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プロフィール
rekisy
rekisy
飛騨に住んで40年。文化の町「高山」に住んでいながら、知らないことが多い事に気づきました。少しでも、皆さんに知っていただくために、文化のまちおこしを目指します。 「歴史」と「音楽」のまちづくりを目指します。応援してください!
<所属研究会>
飛騨の匠学会 所属
立川流彫刻研究会 後援会会員
山王祭 神楽組 所属
日枝雅楽会 会員
倭舞保存会 責任者
飛騨歴史民俗学会 会員
飛騨古川ふるさと案内人会 準会員
下呂検定2008合格者

元 金森顕彰会 理事
日本ホスピタリティ学会 関西支部 客員聴講者
佐藤一斎研究会 客員会員
オーナーへメッセージ

2008年04月04日

獅子舞の練習



春祭りの獅子舞は、山王祭の神楽臺組が担当するのではなくて、森下組の担当です。

森下組では、昭和23年から代々、徳兵衛獅子を伝授してきました。
もともと、江名子の松原氏が神楽臺の獅子舞を担当して来られましたが、5代目を持って
終了。徳兵獅子を伝授された祐成氏によって、森下組に伝授されました。

神楽組では、明治23年と昭和23年に長年の松原家の功労に感謝して感謝状を贈っています。


徳兵衛氏は、江名子の錦山の住人で、松原獅子を体得した一人でした。
その怪力で、ものすごく重い、獅子頭を回した事で有名です。
いまでも、神楽組にその獅子頭が残されています。


徳積善太  
Posted by rekisy at 21:00Comments(4)TrackBack(0)飛騨の風習

2008年04月03日

采女の練習が始まりました

高山祭の采女の練習が始まりました。

采女とは、日枝神社で舞を奉納する子供たちです。

今年も、9名の少女たちが舞を奉納してくれます。
一般には、「浦安の舞」を奉納するのですが、日枝神社では「東遊 求子の舞」(あずまあそび もとめごのまい)という舞を披露します。

浦安の舞が鈴や扇を使うのに対し、求子の舞は、何も道具は使いません。
それだけ優雅に舞わなくてはいけない舞なのです。

これから、祭当日まで毎日練習があります。

写真は、平成18年のものですが、子供たち、きれいでしょう(^^)


徳積善太

  
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2008年04月02日

高山の道に水が流れているわけ

昨日から、高山のさんまち地区では、タバコの投げ捨てが禁止になりました。



高山の町には水が流れていますが、これって、ごみを流すための物ではないんです。

もともと、生活用水として、引かれた「三町用水」というものなんですが、
地元の人は、
1)生活用水として使った
2)火事の初期消火として使った
3)雪またじの用水として使った
4)夏の涼を求めるために使った

など、いろいろな用途として使いました。

また、上流の神明町では、明治になると、糸紬をするための動力源として水車を回しました。
いろんな用途で、使われたこの水を大切にしましょう!

徳積善太
  
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2008年03月08日

高山陣屋の不思議5  陣屋の屋根

高山陣屋の屋根の模型が御倉の横に展示してあります。


高山陣屋の屋根の葺き方は2通り有り、身分によって、出入りできる門が違うそうです。

一般の方が出入りする現在のご門は、昔は代官・郡代がお通りになるときしか開門されず、
普段は閉めたままになっていました。普段の利用は、右側の通用門を利用しました。

また、屋根の葺き方は、身分の高い方が通るところほど、屋根の細かい葺き方になって
います。

この板は、表面に出るところが、表、裏、前、後の4回に葺くことができ、それぞれ10年
位づつで入れ替えを行うために、一枚の板が40年持つ計算になります。
葺いた板が、風で吹き飛ばされないように、屋根には石が乗せられています。

徳積善太
  
Posted by rekisy at 20:00Comments(0)TrackBack(0)飛騨の風習

2008年02月16日

高山陣屋の不思議4 お白州

高山陣屋のお白州は、室内の造りになっています。

これは、飛騨地方が寒い地方であるがために、罪状を白状させたり、お取調べ
をするお白州を、寒さから守るためだったようです。

しかしよく考えてみると、罪人を寒さから守るのではなくて、取調べをする役人を
寒さから守ったのかもしれませんね。

また、お白州で使われているのは、白い砂ではなくて、玉砂利が使われています。
これは、百たたき、せっかんなどのときに、血が流れても、血のりなどで砂が固まって
しまいますが、それを洗い流す事が簡単になるように、わざと砂ではなくて砂利を
使ったそうです。

高山陣屋には、「責台と割り石」という、せっかんの道具がおいてありますが、
並状に切った木の上に座らせその上から、重さ16kgもある石を一枚づつ重ねて
いきます。
あまりの重さに、足の痛さに耐えかねて「自分がやりました」と白状させました。

石は5枚おいてありますが、すべてを載せると5x16=80kgにもなります。
当時の日本人は小さいですから、大人の男性でも平均50kgの体重として、じつに
自分の体重より重い石を載せられます。
きっと、ボキボキと、足のすねの骨が折れて、歩けなくなった事でしょう。

そんな、せっかんの悲鳴が聞こえてきそうな気がします。

徳積善太  
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2008年02月10日

高山の料亭の玄関(お正月)

洲岬さんの玄関に、先月の正月飾りがありました。

なかなか、立派ですね。

徳積善太  
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2008年02月08日

高山陣屋の不思議3 畳のへり

高山陣屋のたたみは、身分によって入れるところが分かれています。

①一番上流階級の人
畳のヘリが、柄入りのものになっています。ここには、代官・次官クラス以上の人しか
勝手に入れません。


②お役人クラス・市長・町内会長・僧侶の人
畳のヘリが、黒いヘリです。最近の日本の家庭で一般的に使われているものです。
お役人の書き役部屋では、お役人が執務を取られました。
写真は、僧侶・町総代(市長)・五人組頭(町内会長)クラスの使用する部屋


③女中クラスの人
畳のへりがありません。ここで使われる女中は、年増(としま)と呼ばれていて、だいたい
16~18歳の娘が使われていました。


男性が満年齢14歳くらいで元服した時代のお話ですから。。。。
20代の人は、大年増(おおどしま)と呼ばれていました。
ちなみに、40代は現在でも初老だそうです。中年のおばちゃんじゃなくて、おばあちゃんだった
ようですね。人生50年の時代ですからね。

さて、あなたは・・・・・?

徳積善太  
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2008年02月07日

高山陣屋の不思議2

高山陣屋の米蔵は、高山城にあったものを元禄5年の金森家転封以後、現在地に移築したものである。

それまでは、この建造物は二の丸にあったと思われるので、水害などには全く無縁だったが、現在地に
移転されたことで、宮川が氾濫したときに、水害や火の害に遭う可能性が出てきた。

火伏の石(高山陣屋)

御蔵の通気口のところには、「火伏せの石」と言うものがおかれていて、通気口と同じ形に切られて
いる。
火事や、水害の際には、この石を通気口に合せてはめ込み、間に味噌を塗りこんで、ふたをする。
そうすると、お蔵が被害に遭わない。

必ず、この石の横には、瓶に入れた味噌を常備してあったらしい。

この方式をとる防火、防水方法は、川越の蔵作りでも見られる方法である。

川越の小江戸蔵作りの建造物

代官はほとんどが江戸から赴任してきた人ばかりだったが、誰がこの方法を部下にやらせたのか、
興味深い話である。

徳積善太  
Posted by rekisy at 08:15Comments(0)TrackBack(0)飛騨の風習

2008年02月02日

高山陣屋の不思議1 「たたみは奇数?偶数?」

高山陣屋に入りますと、無料の案内をお願いすることが出来ます。

その一部をご紹介しましょう。

まず、陣屋の畳の数は、奇数か偶数か?

これは、答えから言いますと、武士がこの建物を利用していたために、割り切れる数は切腹につながり、縁起がわるいとのこと
で、奇数になっているそうです。

つまり、小さな部屋は、3畳となっており、身分によって分けられています。
3畳の間は、主に、町年寄の部屋、五人組の部屋、身分を改める(宗門人別をする)ための僧侶の部屋になっています。
高山陣屋の一番東側の部屋です。


また、大広間も、座敷のところに畳を入れて、一畳くわえてありますので、全体の部屋の数は、16畳+1畳で17畳となっています。面白いですね。

徳積善太

  
Posted by rekisy at 08:15Comments(2)TrackBack(0)飛騨の風習

2008年01月24日

今日は24日市でした


今日は高山市の本町通りで24日市が開かれました。

今では、1月24日(太陽暦)に24日市が開かれていますが、昔は旧暦の1月24日でした。

旧暦でいうと、だいたい現在の年末ということになり、お正月の準備にあけくれているとき、
しょうけや、年取りのおかず、冬の支度などで歳末大売出しで大変にぎわう市でした。

また、場所も、現在では、本町通で行われていますが、昔は安川通りがメインだったようです。

道行く人は、ときどき吹雪くゆきにまぎれながら、道路の真中に設置してある焚き火で
暖を取り、ビニール袋を下げて、家路に急いでおられました。

徳積善太  
Posted by rekisy at 19:27Comments(0)TrackBack(0)飛騨の風習

2008年01月19日

一富士、二鷹、三なすび。そのあとに続くものは?

12日は、所属している雅楽会の新年会でした。高山一番の料亭「州さき」さんで毎年1月12日に開かれます。

私達の新年会は、全員が着物で参加し、座敷ゲームをした後、宴会になります。
宴会も、高山の祝い歌をやるのですが、(今日はなかったですが)松づくしという長歌のあと、高山の
祝い歌 めでたをやります。



その後、昔ながらの芸者あそびをするのですが、高齢の方がおられなくなり、少し寂しかったです。
最近では、着物を着て芸者さんをあげ、芸者さんが自分の芸を披露する宴会はおそらくこの宴会だけに
なっているようです。


ところで、その遊びの後に、「一富士、二鷹、三なすび」の後に続くものは・・・・・
というゲームがあり、とても勉強に成りました。

4・・・白南天 し(四)ろ南天
5・・・鯉 鯉の滝上りは、滝つぼに5匹の鯉を入れるそうです。
6・・・ひょうたん ム(六)病単
7・・・だるま 七ころび八起き
8・・・龍 昇り龍
9・・・馬 左馬
10・・・地蔵 十徳地蔵

というのだそうです。
8、9、10の理由に付いては、また調べておきます。

徳積善太  
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2008年01月03日

鏡餅のみかんの意味

新年のおまいりをお寺ですごしたとき、鏡餅の話を聞きました。


かがみもちの上に乗せるみかんって、どんな意味があるか御存知ですか?

「除夜の鐘をならし、心をすみやかにして、新年を迎える。そのとき、陰極まって陽を生ず。
つまり、日の出の太陽を表しているというのが、鏡餅の上のみかんです。」

ということでした。

日の出をあらわしているんですね。
日本の風習は、奥が深いものがありますね。

ちなみに、鏡餅の意味は、↓↓にありますので、ごらんください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8F%A1%E9%A4%85
http://gogen-allguide.com/ka/kagamimochi.html

rekisy
  
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