2008年05月07日
大人の寺子屋 平成20年について
私の先生、徳増先生の今年についての記事です。
大人の寺子屋― 平成20年 戊子の年に思う ―徳増 省允
平成19年は「丁亥」(ひのとゐ)の年でした。
「丁」(てい)の上の「一」は、平成18年の「丙」(へい)の上の「一」が続いている一方で、下方の「亅」は
上方に対するもの、旧と新、善と悪といった対極的動きを示し、相方が対する勢力の衝突する相を表わ
しています。
平成18年から、特に19年の年は世事千変あらゆる分野にあって多発した不祥事は記憶できぬほど
であり、政治経済もゆれ動き、世の人々は何を信じてよいのか混迷の極にいたっています。安定と安心
を失った人々の心、依り所なき生活の中で、新年を迎えました。

年末恒例の京・清水寺での平成19年を象徴する一文字は、「偽」(ぎ/いつわり)でした。
http://www.kanken.or.jp/kanji/kanji2007/kanji.html
誠に哀しきかぎりではないでしょうか。経済大国日本は、ものの豊かさの中で大切なことを忘却し、
全ては金(かね)々でしかない世の中です。「偽」は「人が為す」という文字、全ては人びとの為せる結果
であります。人間以外の責任によるものでないことを深く懺悔し反省すべきです。
丁亥(ひのとゐ)の年をうけての今年は、どういう年であるのか、東洋5千年の歴史の中で多くの先人達
が後人の為にのこした偉大な学問と思想の力をかり、平成20年、戊子(ぼし/つちのえね)の年について
考えてみましょう。
陰陽五行説と干支(えと)=十干十二支による60年周期の思想では、干(かん)は「幹」(みき)を表わし、
支(し)は「枝」(えだ)を表わすと説きます。
安岡正篤、邦光史郎両氏の著書を参考として、「干」及び「支」の意義を学び、本年の指針としたいのです。
まず、戊(ぼ/つしのえ)は十干の中の五番目にあたり、茂(しげる)、樹木が繁茂することを表わし、茂る
ことにより風通しや日当たりが悪くなり、根本が弱り、樹木の勢いが落ち、梢が枯れることとなります。
又、花や果実を養い成長させるのにも、多くの花を咲かすため、多くの実を得るためと、整理を行わずにおけば、
花や実(果実)を結果として駄目にします。そこには、剪定とか摘果(果実を間引く)が必要であり、そのための
果断とか果決が求められます。
事業経営や家庭生活でも良い結果を得るためには選択と決断する力が肝要となります。
「子」(ね)は数がふえる(ネズミは動物のなかで最も繁殖力が強く)、植物の芽が兆/萌(きざ)しはじめることを
表わし、「滋」(じ)と同義です。
ふえる、はびこるの意味から、新たな生命、新芽が伸びるなど、新しき生命力の創造と解することができます。
以上のことから、戊子(つちのえね)には二つの意味があるといわれています。
「ふえる」と「しげる」、万物や万事が繁栄し発展してゆくべき年でありながら、他方では「過ぎる」と矛盾や困難が
多く発生すると。繁栄と発展の過程に「落とし穴」があるということになります。
前足に重心をかけず(勇み足にならず)、後足に重心を置き、チェックするために立ち止まる勇氣と留意が大切です。
「過ぎたるは及ばざるが如し」です。
又、私欲私心にとらわれることなく、公欲公心によるグローバルな視点から思索し、行動することが大切です。
私利私欲にとらわれている間は、正しき道、物事の真理は見えてきません。
今、一人ひとりの大人に自らの在り方、考え方を素直な心で考える覚悟と大人の見識が求められているのです。
今年からの4、5年は、今世紀前半を方向づける重大な時期であり、我国の将来を考える時、その選択が重要で
あると思うのです。
全てはゼロに立ち返り、原点に立ち、道理にそって思索、行動する。その為に一人ひとりが誠に学び、自らに問う
ことが必要なのです。
博報堂の主任研究員 中村隆紀氏は、消費者意識調査をもとに、「モノへの防衛意識は高まり、内面(自分)を
磨きたい欲求が強いから」―自分をみつめる意識が高まる背景―「自分の知識を深めることは、自己満足にも
つながるし、社会的価値の向上にもなる。ほかに投資する対象がなく、内面を見つめ直すことに価値を見出している。
企業にしても謹厳実直な姿勢や取り組みが求められる。昨年来の偽装問題などがあるから目標はより厳しくなる」と。
IT技術の発展により、情報はグローバルに把握できるように、多くの書籍によって知識を得ることも容易です。
しかし情報過多の中で、選択することなく、自らに都合の良いものだけを受容し蓄積してよしとする傾向にあること
は憂えるべきと思います。
知識の為の知識を求め、活かすことを忘れたあり様は、一層憂えるべきことです。知識だけが一人歩きしているの
では、何も意味をなしません。単に「物識り」に成ったにすぎないのです。
一方、電通消費者研究センターの野村尚矢氏は、「世相を示す漢字に『偽』が選ばれた通り、あらゆる物への
信頼が泡のようにはじけた。この信頼バブルを回復することは、企業の姿勢として問われるはず。『偽』を『義』に
変えていくことが求められそうだ」と。
知識は単なる知識や情報の蓄積に終わることなく、体験に活かし、実践を通して経験して、見識(識見)を高め
育てることです。
その高い見識は精神修養に勤めることによって、胆識を養い、重厚な己をつくり上げることが大切なのです。
又、重厚な己をつくり上げることが、自ずと胆識を養うことにつながるからです。それがまさに「生きる」意義でも
あると思います。
勇氣をもって決断する「選択力」が求められ、大切さを増す時代になってきます。
選択力を高める為には、見識と胆識を備えもつことが必要となってきます。
人品骨柄を備えた「教養人」として生きるためには、知識・見識・胆識の三識を備えもつことが大切なのです。
一人びとりが「生きる」とは、自らの使命を感得することに他なりません。自らをみつめる意識を高めるために、
内面を見つめ直すことに価値を見出し、世相に蔓延(はびこ)る「偽」を択び捨て、「義」を択ぶことに勤めるべきです。
今を生きる人の使命も天命もそこにあるのです。
平成20年1月4日 記
徳増省允
(許可を得て、掲載しております。徳積善太)
大人の寺子屋― 平成20年 戊子の年に思う ―徳増 省允
平成19年は「丁亥」(ひのとゐ)の年でした。
「丁」(てい)の上の「一」は、平成18年の「丙」(へい)の上の「一」が続いている一方で、下方の「亅」は
上方に対するもの、旧と新、善と悪といった対極的動きを示し、相方が対する勢力の衝突する相を表わ
しています。
平成18年から、特に19年の年は世事千変あらゆる分野にあって多発した不祥事は記憶できぬほど
であり、政治経済もゆれ動き、世の人々は何を信じてよいのか混迷の極にいたっています。安定と安心
を失った人々の心、依り所なき生活の中で、新年を迎えました。

年末恒例の京・清水寺での平成19年を象徴する一文字は、「偽」(ぎ/いつわり)でした。
http://www.kanken.or.jp/kanji/kanji2007/kanji.html
誠に哀しきかぎりではないでしょうか。経済大国日本は、ものの豊かさの中で大切なことを忘却し、
全ては金(かね)々でしかない世の中です。「偽」は「人が為す」という文字、全ては人びとの為せる結果
であります。人間以外の責任によるものでないことを深く懺悔し反省すべきです。
丁亥(ひのとゐ)の年をうけての今年は、どういう年であるのか、東洋5千年の歴史の中で多くの先人達
が後人の為にのこした偉大な学問と思想の力をかり、平成20年、戊子(ぼし/つちのえね)の年について
考えてみましょう。
陰陽五行説と干支(えと)=十干十二支による60年周期の思想では、干(かん)は「幹」(みき)を表わし、
支(し)は「枝」(えだ)を表わすと説きます。
安岡正篤、邦光史郎両氏の著書を参考として、「干」及び「支」の意義を学び、本年の指針としたいのです。
まず、戊(ぼ/つしのえ)は十干の中の五番目にあたり、茂(しげる)、樹木が繁茂することを表わし、茂る
ことにより風通しや日当たりが悪くなり、根本が弱り、樹木の勢いが落ち、梢が枯れることとなります。
又、花や果実を養い成長させるのにも、多くの花を咲かすため、多くの実を得るためと、整理を行わずにおけば、
花や実(果実)を結果として駄目にします。そこには、剪定とか摘果(果実を間引く)が必要であり、そのための
果断とか果決が求められます。
事業経営や家庭生活でも良い結果を得るためには選択と決断する力が肝要となります。
「子」(ね)は数がふえる(ネズミは動物のなかで最も繁殖力が強く)、植物の芽が兆/萌(きざ)しはじめることを
表わし、「滋」(じ)と同義です。
ふえる、はびこるの意味から、新たな生命、新芽が伸びるなど、新しき生命力の創造と解することができます。
以上のことから、戊子(つちのえね)には二つの意味があるといわれています。
「ふえる」と「しげる」、万物や万事が繁栄し発展してゆくべき年でありながら、他方では「過ぎる」と矛盾や困難が
多く発生すると。繁栄と発展の過程に「落とし穴」があるということになります。
前足に重心をかけず(勇み足にならず)、後足に重心を置き、チェックするために立ち止まる勇氣と留意が大切です。
「過ぎたるは及ばざるが如し」です。
又、私欲私心にとらわれることなく、公欲公心によるグローバルな視点から思索し、行動することが大切です。
私利私欲にとらわれている間は、正しき道、物事の真理は見えてきません。
今、一人ひとりの大人に自らの在り方、考え方を素直な心で考える覚悟と大人の見識が求められているのです。
今年からの4、5年は、今世紀前半を方向づける重大な時期であり、我国の将来を考える時、その選択が重要で
あると思うのです。
全てはゼロに立ち返り、原点に立ち、道理にそって思索、行動する。その為に一人ひとりが誠に学び、自らに問う
ことが必要なのです。
博報堂の主任研究員 中村隆紀氏は、消費者意識調査をもとに、「モノへの防衛意識は高まり、内面(自分)を
磨きたい欲求が強いから」―自分をみつめる意識が高まる背景―「自分の知識を深めることは、自己満足にも
つながるし、社会的価値の向上にもなる。ほかに投資する対象がなく、内面を見つめ直すことに価値を見出している。
企業にしても謹厳実直な姿勢や取り組みが求められる。昨年来の偽装問題などがあるから目標はより厳しくなる」と。
IT技術の発展により、情報はグローバルに把握できるように、多くの書籍によって知識を得ることも容易です。
しかし情報過多の中で、選択することなく、自らに都合の良いものだけを受容し蓄積してよしとする傾向にあること
は憂えるべきと思います。
知識の為の知識を求め、活かすことを忘れたあり様は、一層憂えるべきことです。知識だけが一人歩きしているの
では、何も意味をなしません。単に「物識り」に成ったにすぎないのです。
一方、電通消費者研究センターの野村尚矢氏は、「世相を示す漢字に『偽』が選ばれた通り、あらゆる物への
信頼が泡のようにはじけた。この信頼バブルを回復することは、企業の姿勢として問われるはず。『偽』を『義』に
変えていくことが求められそうだ」と。
知識は単なる知識や情報の蓄積に終わることなく、体験に活かし、実践を通して経験して、見識(識見)を高め
育てることです。
その高い見識は精神修養に勤めることによって、胆識を養い、重厚な己をつくり上げることが大切なのです。
又、重厚な己をつくり上げることが、自ずと胆識を養うことにつながるからです。それがまさに「生きる」意義でも
あると思います。
勇氣をもって決断する「選択力」が求められ、大切さを増す時代になってきます。
選択力を高める為には、見識と胆識を備えもつことが必要となってきます。
人品骨柄を備えた「教養人」として生きるためには、知識・見識・胆識の三識を備えもつことが大切なのです。
一人びとりが「生きる」とは、自らの使命を感得することに他なりません。自らをみつめる意識を高めるために、
内面を見つめ直すことに価値を見出し、世相に蔓延(はびこ)る「偽」を択び捨て、「義」を択ぶことに勤めるべきです。
今を生きる人の使命も天命もそこにあるのです。
平成20年1月4日 記
徳増省允
(許可を得て、掲載しております。徳積善太)
2008年04月23日
大人の寺子屋 ー まったなしの戊子の年ー
私の先生、徳増省允先生のお話を掲載します。
『志ある人々の奮起を』 ー まったなしの戊子の年ー

平成20年は戊子(ぼし)の年(つちのえ・ね)です。
繁茂しすぎた枝葉を剪定し、木々を間引き整理して、風通しや日当たりをよくする勇氣ある選択を実行する年です。
繁茂しすぎたり増殖しすぎたりしては害となります。
60年前の昭和22年がどんな年であったのか、年表に向かい一考する必要があります。歴史は私達にこれからの方向性を示唆してくれます。
今日的世相をつらつら思うに、日々発生する諸不祥事に対し、当事者はいうまでもなく、周囲の人々、かかわりのある者全てが「偽(いつわり)」のなかで利己的利益の為に保身し、傍観し、無関心をよそおい、責任をのがれることを第一として生きようとするあり様に止めどがありません。それはまさに誇りなき、恥をしらぬ行為行動を当り前の如くに振舞う、「良心」無き所行であるといえます。言い換えるならば、誇りと恥を失ったところに、誠の「志」はなく、人として最も大切な「良心」(良知)の存在を忘れて生きようとしているといえましょう。
大きな歴史の周期(日本史の変化400年と世界史の800年、そして1000年期の節目、同時周期は4000年に一度)の今、大人達は誠に目覚めて、この歴史の一大転機に直面し、覚悟を定め、次世代に天理の誠の道を正しく継承せねばならないのです。そのようなあり方こそが、今の世に生きる大人達の役割であり、今の世に生を受けた使命(天命)であると承知すべきです。
「世の為、人の為」に自らが「何を為すべきか」、「如何に生きるべきか」を、「静かなる時間」をもって深く考え、究めて、分相応に覚悟し、のりを越えず、実践行動すべき時なのです。
「平成」の年号を残して昭和58年(1983)12月に世を去った、著名な陽明学者であり碩学で啓蒙的思想家として世の指南役でもあった偉大な先人、安岡正篤先生の著書『醒睡記』より、「有志の奮起」と題する説論を紹介します。
故安岡先生は、アフリカの聖者といわれたA・シュヴァイツァー博士の著書『わが生活と思想』の中より肝銘した言葉として、
「人間性は決して物質的なものではない。人間の内には表面に現われるより遥(はる)かに多くの理想的意欲が存在する。縛(しば)られたものを解き放つこと、底を流れるものを地上に導くこと、一事を成就すべき人間を、人類は待ち焦(こ)がれている」と。
このシュヴァイツァー博士の言葉を引用し、故安岡先生は次のように説かれています。
「不幸にして今日、人心風俗は、折角進歩した学問、究明されている真理から背馳(はいち・そむく、いきちがう)している。
親達は子供等を学校に入れるだけで、親(みずか)ら教育しようとせず、教師は本来の使命を怠り労働組合員となり、政治家は民衆に迎合して指導力を失い、世人は不義不正を傍看(ぼうかん)して氣概を亡くしている。
曽(かつ)ての偉大な指導者達は皆時代の風潮に屈しなかった人々であり、新しい時代の創造は、こういう信念あり勇氣ある少数の人々の不屈の努力に因(よ)るものである。
日本の危機に臨んで、有志者の雄健(雄大にして剛健なこと)を祈る」と。
安岡先生は、その生涯の理念を、「一燈照隅、万燈照国」におかれました。さかのぼること1千年余前、伝教大師(比叡山開山、天台宗開祖最澄)の訓にある「一隅を照らす」の教えを思います。
日本の危機的現状から、誠に、理と義に向かわせるために、大人達、特に指導的立場にある全ての分野の人々が、己の立場や地位に恥ずることなく、誠に学び自らに問うべき時と信ずるからです。
著名な物理学者、相対性理論の発見者である故アインシュタイン博士が、大正11年(1922)、1ヶ月におよぶ来日の折り、日本国と日本人に託して帰国した言葉を、今一度紹介します。
「世界の未来は進むだけ進み、その間いく度か争いはくり返されて、最後の戦いに疲れるときがくる。そのとき、人類は真の平和を求めて、世界の盟主をあげねばならない。この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜き越えた、もっとも古く、もっとも尊い家柄でなくてはならぬ。
世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。
われわれは神に感謝する。われわれに日本という尊い国をつくっておいてくれたことを」と。
故ア博士が「神に感謝する」と言明したほどの「尊い国」日本、その国の今日的世相の実状をみて、博士の失望のどれほど大きいことか、その嘆きはいかほどでありましょうか。
日本人の底流に営々として流れきた大和(だいわ)の精神、大和(やまと)の歴史の継承、その再生と復活こそが一義であり、今、まさにそのことが試(ため)されていると思うからです。
「世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る」と。それは東方の端に位置し、「日出る国」である日本=日の本(もと)の国であることに「誇り」をもち、そして感謝することを強く自覚することでもあり、自ずとそこに誠の愛国心が生じてくるのです。文字や言葉の表現に左右されるものではないと信じます。
今から59年前(昭和24年)、ノーベル 物理学賞を授与された初の日本人、故湯川秀樹博士の言葉を紹介します。
「案ずることはない。30年後の日本は、(戦後の廃墟より立ち上がり)科学技術国として先進国と肩をならべる」と。
しかし、
「僕は30年後の日本人のものの考え方を案じているのだ。日本人が開発した科学技術から派生する思想が日本人の心を蝕(むしば)むのではないか」と。
偉大な先人の言葉や思いは、まさしく今日的日本の様相を予見し、強い警告をわれわれに発していたのです。
このことからも、歴史や先人に学ぶ、そして今に活かすことがどれほど大切であり、賢明であるか再認識することが大切です。
21世紀は「美の時代」又「文化の時代」といわれて久しいのですが、「美」は宇宙の根源的要素(基本)といわれる「真・善・美」の美と考えるべきです。
ただ人や町、環境等、目に見える有形の美のみでなく、大切なのは、基となる無形の美、氣の力や人の心の美しさをも含むのであり、もとの美から発現する美を忘れてはならないのです。
神=天=自然の計(はか)らいに順ずる、素直な魂の発現(=かむながら=隨神の道)を自覚して生きる人々の住む国ということなのです。
尊い国、美しい心の人の住む国、歴史と先人達の大和(だいわ)の精神=大和魂がつちかってきた「日本の良心」に立ち戻り、全ての大人達が、残されたそれぞれの人生を志をもって良心に生き、次世代に継承するための努力に勤めることが、使命であると信ずるからです。
平成20年1月21日 記
(前年4月14日分再考加筆)
『志ある人々の奮起を』 ー まったなしの戊子の年ー
平成20年は戊子(ぼし)の年(つちのえ・ね)です。
繁茂しすぎた枝葉を剪定し、木々を間引き整理して、風通しや日当たりをよくする勇氣ある選択を実行する年です。
繁茂しすぎたり増殖しすぎたりしては害となります。
60年前の昭和22年がどんな年であったのか、年表に向かい一考する必要があります。歴史は私達にこれからの方向性を示唆してくれます。
今日的世相をつらつら思うに、日々発生する諸不祥事に対し、当事者はいうまでもなく、周囲の人々、かかわりのある者全てが「偽(いつわり)」のなかで利己的利益の為に保身し、傍観し、無関心をよそおい、責任をのがれることを第一として生きようとするあり様に止めどがありません。それはまさに誇りなき、恥をしらぬ行為行動を当り前の如くに振舞う、「良心」無き所行であるといえます。言い換えるならば、誇りと恥を失ったところに、誠の「志」はなく、人として最も大切な「良心」(良知)の存在を忘れて生きようとしているといえましょう。
大きな歴史の周期(日本史の変化400年と世界史の800年、そして1000年期の節目、同時周期は4000年に一度)の今、大人達は誠に目覚めて、この歴史の一大転機に直面し、覚悟を定め、次世代に天理の誠の道を正しく継承せねばならないのです。そのようなあり方こそが、今の世に生きる大人達の役割であり、今の世に生を受けた使命(天命)であると承知すべきです。
「世の為、人の為」に自らが「何を為すべきか」、「如何に生きるべきか」を、「静かなる時間」をもって深く考え、究めて、分相応に覚悟し、のりを越えず、実践行動すべき時なのです。
「平成」の年号を残して昭和58年(1983)12月に世を去った、著名な陽明学者であり碩学で啓蒙的思想家として世の指南役でもあった偉大な先人、安岡正篤先生の著書『醒睡記』より、「有志の奮起」と題する説論を紹介します。
故安岡先生は、アフリカの聖者といわれたA・シュヴァイツァー博士の著書『わが生活と思想』の中より肝銘した言葉として、
「人間性は決して物質的なものではない。人間の内には表面に現われるより遥(はる)かに多くの理想的意欲が存在する。縛(しば)られたものを解き放つこと、底を流れるものを地上に導くこと、一事を成就すべき人間を、人類は待ち焦(こ)がれている」と。
このシュヴァイツァー博士の言葉を引用し、故安岡先生は次のように説かれています。
「不幸にして今日、人心風俗は、折角進歩した学問、究明されている真理から背馳(はいち・そむく、いきちがう)している。
親達は子供等を学校に入れるだけで、親(みずか)ら教育しようとせず、教師は本来の使命を怠り労働組合員となり、政治家は民衆に迎合して指導力を失い、世人は不義不正を傍看(ぼうかん)して氣概を亡くしている。
曽(かつ)ての偉大な指導者達は皆時代の風潮に屈しなかった人々であり、新しい時代の創造は、こういう信念あり勇氣ある少数の人々の不屈の努力に因(よ)るものである。
日本の危機に臨んで、有志者の雄健(雄大にして剛健なこと)を祈る」と。
安岡先生は、その生涯の理念を、「一燈照隅、万燈照国」におかれました。さかのぼること1千年余前、伝教大師(比叡山開山、天台宗開祖最澄)の訓にある「一隅を照らす」の教えを思います。
日本の危機的現状から、誠に、理と義に向かわせるために、大人達、特に指導的立場にある全ての分野の人々が、己の立場や地位に恥ずることなく、誠に学び自らに問うべき時と信ずるからです。
著名な物理学者、相対性理論の発見者である故アインシュタイン博士が、大正11年(1922)、1ヶ月におよぶ来日の折り、日本国と日本人に託して帰国した言葉を、今一度紹介します。
「世界の未来は進むだけ進み、その間いく度か争いはくり返されて、最後の戦いに疲れるときがくる。そのとき、人類は真の平和を求めて、世界の盟主をあげねばならない。この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜き越えた、もっとも古く、もっとも尊い家柄でなくてはならぬ。
世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。
われわれは神に感謝する。われわれに日本という尊い国をつくっておいてくれたことを」と。
故ア博士が「神に感謝する」と言明したほどの「尊い国」日本、その国の今日的世相の実状をみて、博士の失望のどれほど大きいことか、その嘆きはいかほどでありましょうか。
日本人の底流に営々として流れきた大和(だいわ)の精神、大和(やまと)の歴史の継承、その再生と復活こそが一義であり、今、まさにそのことが試(ため)されていると思うからです。
「世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る」と。それは東方の端に位置し、「日出る国」である日本=日の本(もと)の国であることに「誇り」をもち、そして感謝することを強く自覚することでもあり、自ずとそこに誠の愛国心が生じてくるのです。文字や言葉の表現に左右されるものではないと信じます。
今から59年前(昭和24年)、ノーベル 物理学賞を授与された初の日本人、故湯川秀樹博士の言葉を紹介します。
「案ずることはない。30年後の日本は、(戦後の廃墟より立ち上がり)科学技術国として先進国と肩をならべる」と。
しかし、
「僕は30年後の日本人のものの考え方を案じているのだ。日本人が開発した科学技術から派生する思想が日本人の心を蝕(むしば)むのではないか」と。
偉大な先人の言葉や思いは、まさしく今日的日本の様相を予見し、強い警告をわれわれに発していたのです。
このことからも、歴史や先人に学ぶ、そして今に活かすことがどれほど大切であり、賢明であるか再認識することが大切です。
21世紀は「美の時代」又「文化の時代」といわれて久しいのですが、「美」は宇宙の根源的要素(基本)といわれる「真・善・美」の美と考えるべきです。
ただ人や町、環境等、目に見える有形の美のみでなく、大切なのは、基となる無形の美、氣の力や人の心の美しさをも含むのであり、もとの美から発現する美を忘れてはならないのです。
神=天=自然の計(はか)らいに順ずる、素直な魂の発現(=かむながら=隨神の道)を自覚して生きる人々の住む国ということなのです。
尊い国、美しい心の人の住む国、歴史と先人達の大和(だいわ)の精神=大和魂がつちかってきた「日本の良心」に立ち戻り、全ての大人達が、残されたそれぞれの人生を志をもって良心に生き、次世代に継承するための努力に勤めることが、使命であると信ずるからです。
平成20年1月21日 記
(前年4月14日分再考加筆)




