2007年05月28日
第7回放送 終わりました
ひだ歴史再発見 第7回 平成19年5月28日
む「ひだ歴史再発見のコーナーです。今日は桐谷忠夫先生と二人で進めて行きたいと思います。桐谷先生よろしくお願いします。」
き「よろしくお願いします。」
む「前回は、古川との共通点などをうかがったのですが、高山の町はもともと三之町というのは川沿いというか、川原で、そこを埋めたと言うことでしたね。」
き「はいそうです。」
む「河川敷を埋め立てて、作ったから、おいしい水がでて、おいしい醤油ができ、お酒のおいしいのができたということだったですね。
き「砂地を埋めているので、地下水を上手く取り入れています。今でも造り酒屋では、伊殿と頃に良水という古い文字をみることができます。」
む「私もその話をあまり知りませんでしたが、前回その話を進めさせていただいたとき、じっくりお話をうかがったいましたが、今日は東山の寺町についてじっくりと伺いたいと思います。私はじっくり歩いた事がありません。観光客の皆さんの方が詳しいと思います。」
き「団体は案内した事がありません。少人数の外国の方が求めておいでになる、古い歴史を知りたいと、アメリカの方が歴史をもたれていないところで生活をされているので、遊歩道辺りを、じっくり、パンを片手に散策した事があります。」
む「先生は、案内人としても活躍されていますよね。」
き「ボランティアガイドの会がありまして、飛騨の里をホームグランドになっておりますが、私は飛騨中をフォローして、下呂や神岡、白川郷まで頼まれればお供して出かけると言う具合です。」
む「観光客の方のルートは、先生が決めたり、観光客が決めたりするのですか?」
き「もう16~7年になりますが、名刺を渡して語っていると、口コミで向こうから頼まれることもあります。観光業者の方が私を理解していただいて、仲介する場合もあります。歴市民俗学会と言う勉強会で事務局長をやっていましたので、そこから全国へ発信しました。
実はね、ガイドをするということは私の健康のためにやっています。私個人のためにはね。折角頼まれてご案内するなら、本物、一番いい所を、ノンフィクションをガイドしたいと思っています。」
む「高山は古い町並とか東山が見所となっていますが、どういう背景でできたとか、見落とされる場合もありますが、先生に伺いながら歩くと興味深いですよね。」
き「金森長近が城下町、城を作る頃に東山寺院軍も名が近い、可重、重頼あたりが寺院群をつくっているということですね。金森衆和なども手伝って京都の東山寺院、のミニチュア版を東の方に作って、そして城の守りをさせたんです。観光のために集めたんではなくて、城を守るためにお寺をいくつか作ったと。秀吉から家康の時代に、戦い上手は僧兵が一番強かった。とくに信心をもった軍団、これに信長、秀吉、家康三人とも皆てこずりました。だから、それを見ていた金森氏が上手に取り入れたんだと思います。」
む「地元の人は行く機会が逆に少ないかもしれません。知らないことがたくさんあろうかと思いますが、後ほど伺いたいと思います。ここで曲をお届けします。今月の曲ということで、しんや修一さんで匠を贈ります。」
む「今月の一曲、匠を聞いていただきました。今日この時間は桐谷忠夫先生とお届けしていますが、じっくりと寺町について、わたしにわかるようにお話いただきたいと思います。」
む「今日はある、パンフレットのゲラといいますか、製作途中のものをおもちいただいているのですが、桐谷先生の歴史探訪というパンフレットですが、これはいつごろできるんですか?」
き「6月上旬には完成しまして、7~9月のお金持ちを特別に高山へお招きしながら、高山の高級料亭で1万円を超えるお昼をいただきながら、やろうという新しい企画です。普通はA4くらいですが、B4の一回り大きいんです。現地をまわって、カメラマンが直接撮影されたということです。原稿造りを手伝いして、語ったことですが、長近公、可重公の時は、大阪の夏の陣、冬の陣の前ですが、そこで豊臣家が滅びますよね。そこでトラブルがあったかたを重頼に預ける。加藤清正の孫、光正公を預かる。その人が住まいとするところが、天性寺です。1632年ということになっていますが、ざっと300~400年近い昔です。その光正の住まいとして持ってきた。それより前、1618には家康の六男、松平忠照という人を預かります。加藤家はその後潰れますが、光正公も19歳で亡くなるのですが、毒殺でなかったかといわれています。加藤光正公だけではなくて、加藤家そのものが法華宗(日蓮宗)ですので、法華寺という寺をつくりました。法華宗は高山ではこの1カ寺だけなんです。真宗はたくさんありますがね。
遊歩道の江名子川のはずれにある、宗猷寺さん、この本堂は2重の寺で、非常に珍しいものです。今年の匠の展示会でやる建造物であることに間違いないと思います。」
む「歩きながら実際に今のお話を聞きながら歩く事ができるんですね。今日、パンフをもってきていただいていますが、直接お願いしてもいいんですよね。」
き「時間さえあれば、もちろん地元の方にもご案内したいですし、社会教育の希望者を集めてもやっていますし、今でも城山へカップルでお越しになる方もおられます。照蓮寺というのもありますよね。別院も同じです。
城山のは、御母衣ダムのダム底に沈むのを昭和になって持ってきたものです。400年前には今の御母衣ダムのを分けて、鉄砲町に持ってきたんですね。高山に同じ 2つの光陽山照蓮寺というのがあるんです。」
む「目をつけておられる方もあろうかと思います。気に付かないところを見られるというのもいいですよね。
観光客ばかりでなく、地元の方も参加していただきたいですね。」
き「高山市民がうっかりすることでも、勉強しておられる。有名になればなるほど、そういう人が増えてきて、大学レベルの勉強をされた方もおられるので、こっちも勉強して向かわないといけない。ビールをあけてこられる方とは違うんです。」
む「そういう観光客の方もいらっしゃいますし、調べながらいらっしゃる方とは、目的も違うと思いますが、是非たくさんの方に知識をつけていただきたいと思います。私もいつか機会があれば、案内していただきたいと思います。」
き「ぜひご一緒しましょうよ。」
む「ありがとうございます。」
む「今日は、東山寺町についてじっくりと伺いました。桐谷先生、今日はありがとうございました。」
き「失礼致しました。」
む「ひだ歴史再発見のコーナーです。今日は桐谷忠夫先生と二人で進めて行きたいと思います。桐谷先生よろしくお願いします。」
き「よろしくお願いします。」
む「前回は、古川との共通点などをうかがったのですが、高山の町はもともと三之町というのは川沿いというか、川原で、そこを埋めたと言うことでしたね。」き「はいそうです。」
む「河川敷を埋め立てて、作ったから、おいしい水がでて、おいしい醤油ができ、お酒のおいしいのができたということだったですね。
き「砂地を埋めているので、地下水を上手く取り入れています。今でも造り酒屋では、伊殿と頃に良水という古い文字をみることができます。」
む「私もその話をあまり知りませんでしたが、前回その話を進めさせていただいたとき、じっくりお話をうかがったいましたが、今日は東山の寺町についてじっくりと伺いたいと思います。私はじっくり歩いた事がありません。観光客の皆さんの方が詳しいと思います。」
き「団体は案内した事がありません。少人数の外国の方が求めておいでになる、古い歴史を知りたいと、アメリカの方が歴史をもたれていないところで生活をされているので、遊歩道辺りを、じっくり、パンを片手に散策した事があります。」
む「先生は、案内人としても活躍されていますよね。」
き「ボランティアガイドの会がありまして、飛騨の里をホームグランドになっておりますが、私は飛騨中をフォローして、下呂や神岡、白川郷まで頼まれればお供して出かけると言う具合です。」
む「観光客の方のルートは、先生が決めたり、観光客が決めたりするのですか?」
き「もう16~7年になりますが、名刺を渡して語っていると、口コミで向こうから頼まれることもあります。観光業者の方が私を理解していただいて、仲介する場合もあります。歴市民俗学会と言う勉強会で事務局長をやっていましたので、そこから全国へ発信しました。
実はね、ガイドをするということは私の健康のためにやっています。私個人のためにはね。折角頼まれてご案内するなら、本物、一番いい所を、ノンフィクションをガイドしたいと思っています。」
む「高山は古い町並とか東山が見所となっていますが、どういう背景でできたとか、見落とされる場合もありますが、先生に伺いながら歩くと興味深いですよね。」
き「金森長近が城下町、城を作る頃に東山寺院軍も名が近い、可重、重頼あたりが寺院群をつくっているということですね。金森衆和なども手伝って京都の東山寺院、のミニチュア版を東の方に作って、そして城の守りをさせたんです。観光のために集めたんではなくて、城を守るためにお寺をいくつか作ったと。秀吉から家康の時代に、戦い上手は僧兵が一番強かった。とくに信心をもった軍団、これに信長、秀吉、家康三人とも皆てこずりました。だから、それを見ていた金森氏が上手に取り入れたんだと思います。」
む「地元の人は行く機会が逆に少ないかもしれません。知らないことがたくさんあろうかと思いますが、後ほど伺いたいと思います。ここで曲をお届けします。今月の曲ということで、しんや修一さんで匠を贈ります。」
む「今月の一曲、匠を聞いていただきました。今日この時間は桐谷忠夫先生とお届けしていますが、じっくりと寺町について、わたしにわかるようにお話いただきたいと思います。」
む「今日はある、パンフレットのゲラといいますか、製作途中のものをおもちいただいているのですが、桐谷先生の歴史探訪というパンフレットですが、これはいつごろできるんですか?」
き「6月上旬には完成しまして、7~9月のお金持ちを特別に高山へお招きしながら、高山の高級料亭で1万円を超えるお昼をいただきながら、やろうという新しい企画です。普通はA4くらいですが、B4の一回り大きいんです。現地をまわって、カメラマンが直接撮影されたということです。原稿造りを手伝いして、語ったことですが、長近公、可重公の時は、大阪の夏の陣、冬の陣の前ですが、そこで豊臣家が滅びますよね。そこでトラブルがあったかたを重頼に預ける。加藤清正の孫、光正公を預かる。その人が住まいとするところが、天性寺です。1632年ということになっていますが、ざっと300~400年近い昔です。その光正の住まいとして持ってきた。それより前、1618には家康の六男、松平忠照という人を預かります。加藤家はその後潰れますが、光正公も19歳で亡くなるのですが、毒殺でなかったかといわれています。加藤光正公だけではなくて、加藤家そのものが法華宗(日蓮宗)ですので、法華寺という寺をつくりました。法華宗は高山ではこの1カ寺だけなんです。真宗はたくさんありますがね。
遊歩道の江名子川のはずれにある、宗猷寺さん、この本堂は2重の寺で、非常に珍しいものです。今年の匠の展示会でやる建造物であることに間違いないと思います。」
む「歩きながら実際に今のお話を聞きながら歩く事ができるんですね。今日、パンフをもってきていただいていますが、直接お願いしてもいいんですよね。」
き「時間さえあれば、もちろん地元の方にもご案内したいですし、社会教育の希望者を集めてもやっていますし、今でも城山へカップルでお越しになる方もおられます。照蓮寺というのもありますよね。別院も同じです。
城山のは、御母衣ダムのダム底に沈むのを昭和になって持ってきたものです。400年前には今の御母衣ダムのを分けて、鉄砲町に持ってきたんですね。高山に同じ 2つの光陽山照蓮寺というのがあるんです。」
む「目をつけておられる方もあろうかと思います。気に付かないところを見られるというのもいいですよね。
観光客ばかりでなく、地元の方も参加していただきたいですね。」
き「高山市民がうっかりすることでも、勉強しておられる。有名になればなるほど、そういう人が増えてきて、大学レベルの勉強をされた方もおられるので、こっちも勉強して向かわないといけない。ビールをあけてこられる方とは違うんです。」
む「そういう観光客の方もいらっしゃいますし、調べながらいらっしゃる方とは、目的も違うと思いますが、是非たくさんの方に知識をつけていただきたいと思います。私もいつか機会があれば、案内していただきたいと思います。」
き「ぜひご一緒しましょうよ。」
む「ありがとうございます。」
む「今日は、東山寺町についてじっくりと伺いました。桐谷先生、今日はありがとうございました。」
き「失礼致しました。」




