2007年07月25日
第10-14回放送終りました
ブログをおまちの方大変申し訳ございませんでした。
連日の徹夜による原稿作成作業のために、ブログをお休みしてしまいました。
ただ、お休みさせていただいた間にも、ちゃんと放送は続けましたし、展示会は、今までにない展示物の多さと内容になりました。
皆さんには、どうぞ、一度は高山の人間でしたらご覧いただきたいと思います。
さて、おわびに、過去の放送分を一気にお伝えしたいと思います。
第10回放送は、6月18日、ゲストはお電話で、古川の郷土史研究家 森下純雄さんに出ていただきました。

(画像が無いので、ナビ村田恵子さんの素敵な画像です。)
森下さんは、自分の所属する三光臺の研究者で、その屋台を作られた蜂屋理八と言う方の研究者です。今回、匠展実行委員会の調査で、その蜂屋理八について、いままでわかっていなかった事があきらかになりました。
蜂屋理八と言う人は、彫刻をよくし、神楽台や、三光臺の屋台建造者として有名ですが、大工の流れを組む事、デザインなどに優れた人だった事、高山の武藤落雁さんのご先祖である事くらいしかわかっていませんでした。
今回の調査でわかったことは、蜂屋理八の祖父 平吉と言う人が大工として春見彦三郎、彦四郎から大工の手ほどきを受けたということ。春見家は、真宗寺を作った宮大工であった事。理八の父は、大工稼業をせず、塩の商売をして大成功を納めた人であった事。理八もその商売を続けるが、晩年に趣味の彫刻を生かして、屋台建造までしてしまったということ。などです。
森下さんのご近所に住んでいたと言う事等を森下さんから伺い、昔の本光寺界隈がどのようになっていたか。蜂屋理八の功績などについてお調べになっていた事をお話いただきました。
徳積善太
徳積善太
連日の徹夜による原稿作成作業のために、ブログをお休みしてしまいました。
ただ、お休みさせていただいた間にも、ちゃんと放送は続けましたし、展示会は、今までにない展示物の多さと内容になりました。
皆さんには、どうぞ、一度は高山の人間でしたらご覧いただきたいと思います。
さて、おわびに、過去の放送分を一気にお伝えしたいと思います。
第10回放送は、6月18日、ゲストはお電話で、古川の郷土史研究家 森下純雄さんに出ていただきました。
(画像が無いので、ナビ村田恵子さんの素敵な画像です。)
森下さんは、自分の所属する三光臺の研究者で、その屋台を作られた蜂屋理八と言う方の研究者です。今回、匠展実行委員会の調査で、その蜂屋理八について、いままでわかっていなかった事があきらかになりました。
蜂屋理八と言う人は、彫刻をよくし、神楽台や、三光臺の屋台建造者として有名ですが、大工の流れを組む事、デザインなどに優れた人だった事、高山の武藤落雁さんのご先祖である事くらいしかわかっていませんでした。
今回の調査でわかったことは、蜂屋理八の祖父 平吉と言う人が大工として春見彦三郎、彦四郎から大工の手ほどきを受けたということ。春見家は、真宗寺を作った宮大工であった事。理八の父は、大工稼業をせず、塩の商売をして大成功を納めた人であった事。理八もその商売を続けるが、晩年に趣味の彫刻を生かして、屋台建造までしてしまったということ。などです。
森下さんのご近所に住んでいたと言う事等を森下さんから伺い、昔の本光寺界隈がどのようになっていたか。蜂屋理八の功績などについてお調べになっていた事をお話いただきました。
徳積善太
徳積善太
2007年07月25日
両面スクナの想像図
画像で紹介できないのが残念ですが、両面スクナの想像図を紹介しています。
これは、三重大学名誉教授で郷土館名誉館長の八賀晋先生の論によるものです。

両面スクナはソマ匠の棟梁だったー一面。そして、武人としてのリーダーだったーーと言う一面。
の2面を持っていたと考えられます。
時代は4世紀から5世紀にかけて、飛騨一帯には、飛騨人と言う民族が住んでいました。
そこには、木の加工技術に長けた人がたくさん居て、木の伐り出し方、加工の仕方など
詳しく知っていました。
あるとき、大和朝廷は全国統一をはかろうと、全国へ兵を送ります。平和に暮らしていた飛騨の
人達は、侵略者から身を守るために最後まで抵抗します。
ところが、大和朝廷側の人達は、朝廷に逆らう人達を「悪人」と決めつけ、兵の志気を高めようとしました。そのため、抵抗する人達は、「蝦夷=えみし」「熊襲=くまそ」「スクナ」などと怪物のような名前をつけて敵と位置づけました。そのことが、後日7世紀に書かれた「日本書紀」に見られる名前です。
7世紀の時代になって、全国に国分寺・国分尼寺が建造されたとき、飛騨の人達は、技術をもっていたために重用され、匠の技術者として全国に散らばって行きました。これが飛騨の匠です。
徳積善太
これは、三重大学名誉教授で郷土館名誉館長の八賀晋先生の論によるものです。

両面スクナはソマ匠の棟梁だったー一面。そして、武人としてのリーダーだったーーと言う一面。
の2面を持っていたと考えられます。
時代は4世紀から5世紀にかけて、飛騨一帯には、飛騨人と言う民族が住んでいました。
そこには、木の加工技術に長けた人がたくさん居て、木の伐り出し方、加工の仕方など
詳しく知っていました。
あるとき、大和朝廷は全国統一をはかろうと、全国へ兵を送ります。平和に暮らしていた飛騨の
人達は、侵略者から身を守るために最後まで抵抗します。
ところが、大和朝廷側の人達は、朝廷に逆らう人達を「悪人」と決めつけ、兵の志気を高めようとしました。そのため、抵抗する人達は、「蝦夷=えみし」「熊襲=くまそ」「スクナ」などと怪物のような名前をつけて敵と位置づけました。そのことが、後日7世紀に書かれた「日本書紀」に見られる名前です。
7世紀の時代になって、全国に国分寺・国分尼寺が建造されたとき、飛騨の人達は、技術をもっていたために重用され、匠の技術者として全国に散らばって行きました。これが飛騨の匠です。
徳積善太
2007年07月25日
いよいよ始まりました「飛騨の匠展」
すっかりご無沙汰してしまいました。
やっと7/21から、飛騨の匠展がスタートしました。
このところ、連日の徹夜作業で、大変くたびれました。
どうにか、オープンにこぎつける事ができました。
50年ぶりの、大工さんの顕彰を行なっているのが4コーナーです。
是非一度はご覧下さい。
徳積善太
やっと7/21から、飛騨の匠展がスタートしました。
このところ、連日の徹夜作業で、大変くたびれました。
どうにか、オープンにこぎつける事ができました。
50年ぶりの、大工さんの顕彰を行なっているのが4コーナーです。
是非一度はご覧下さい。
徳積善太




