2007年12月01日
鶴の墓(鞍作止利の伝説2)
平成19年7月21日から9月9日まで高山市の「飛騨世界生活文化センター」で行われた
「飛騨の匠展」にて、次のような展示を行いました。
福岡県の博多には、鞍作止利の乗った鶴の墓が存在し、福岡市史「大宰府市史」(200119GAKUさん、よりの情報)にその記述があります
以下は、福岡市史「大宰府市史」に実際にある記述です。

「鶴の墓(榎寺)
榎社の前、踏み切りのすぐ傍らに、楕円形の自然石が立っている。これを「鶴の墓」または「碑」といって、木で作った鶴が、空を飛んだ話が伝わっている。
昔、飛騨の匠が、木で大きな鶴を作った。すばらしい出来栄えで、匠はそれに乗って空を飛んでみたいと思った。匠がつるの背にまたがると、その鶴は、ゆっくりと羽ばたいて、青空高く見事に舞い上がった。鶴は匠を乗せて飛び続け、唐土(中国)まで行った。
やがて、日本へ帰る途中、唐土の人は怪しんで、匠と鶴に向かって遠矢を放った。鶴の片方の羽は矢が当って折れてしまった。匠は片羽になった鶴をあやつって、ようやく大宰府のあたりまで飛んで来たが、とうとう力尽きた鶴は榎社の近くに落ちた。匠は、鶴をいとおしんで、そこに手厚く埋葬し、故郷の飛騨に帰ったという。
この鶴の片羽が折れて落ちた海辺の津を「片羽の津」といい、やがて転訛して「羽片の津」となり「博多の津」となったといわれている。
他に、飛騨の匠ではなく、博多の大工の名人が木で鶴を作り、不時着した場所は、通古賀の「鶴の屋敷」、現在の小字鶴畑あたりだ、という話も土地に伝えられている。
(博多市史 第五編 文化伝承 第3章口頭伝承 P1034)
徳積善太
「飛騨の匠展」にて、次のような展示を行いました。
福岡県の博多には、鞍作止利の乗った鶴の墓が存在し、
以下は、
「鶴の墓(榎寺)
榎社の前、踏み切りのすぐ傍らに、楕円形の自然石が立っている。これを「鶴の墓」または「碑」といって、木で作った鶴が、空を飛んだ話が伝わっている。
昔、飛騨の匠が、木で大きな鶴を作った。すばらしい出来栄えで、匠はそれに乗って空を飛んでみたいと思った。匠がつるの背にまたがると、その鶴は、ゆっくりと羽ばたいて、青空高く見事に舞い上がった。鶴は匠を乗せて飛び続け、唐土(中国)まで行った。
やがて、日本へ帰る途中、唐土の人は怪しんで、匠と鶴に向かって遠矢を放った。鶴の片方の羽は矢が当って折れてしまった。匠は片羽になった鶴をあやつって、ようやく大宰府のあたりまで飛んで来たが、とうとう力尽きた鶴は榎社の近くに落ちた。匠は、鶴をいとおしんで、そこに手厚く埋葬し、故郷の飛騨に帰ったという。
この鶴の片羽が折れて落ちた海辺の津を「片羽の津」といい、やがて転訛して「羽片の津」となり「博多の津」となったといわれている。
他に、飛騨の匠ではなく、博多の大工の名人が木で鶴を作り、不時着した場所は、通古賀の「鶴の屋敷」、現在の小字鶴畑あたりだ、という話も土地に伝えられている。
(博多市史 第五編 文化伝承 第3章口頭伝承 P1034)
徳積善太




