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プロフィール
rekisy
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飛騨に住んで40年。文化の町「高山」に住んでいながら、知らないことが多い事に気づきました。少しでも、皆さんに知っていただくために、文化のまちおこしを目指します。 「歴史」と「音楽」のまちづくりを目指します。応援してください!
<所属研究会>
飛騨の匠学会 所属
立川流彫刻研究会 後援会会員
山王祭 神楽組 所属
日枝雅楽会 会員
倭舞保存会 責任者
飛騨歴史民俗学会 会員
飛騨古川ふるさと案内人会 準会員
下呂検定2008合格者

元 金森顕彰会 理事
日本ホスピタリティ学会 関西支部 客員聴講者
佐藤一斎研究会 客員会員
オーナーへメッセージ

2007年12月24日

12月24日放送分 「飛騨のぶり街道」

みなさん、こんにちは。この時間は、飛騨歴史再発見のコーナーです。
このコーナーは、飛騨の生涯学習者 第2号 ながせきみあきがお届けしてまいります。

さて、今年もあと残すところ1週間となりました。皆さんにとって、今年一年はどんな年だったでしょうか。
みなさんお一人お一人が、今年一年やってきたこと。それぞれが、人生であり、歴史です。後の世に伝わるようなことは、歴史の一ページとして記録されます。歴史ってそういう一人ひとりの積み重ねなんですね。

さて、私もこの番組を始めるようになって、今年はたいへん勉強をさせていただきました。今までも地元のことをいろいろと調べていましたが、今年ほど広範囲に、また詳しく調べたことがありませんでしたので、この番組をもたせていただいたことが、とても勉強になりました。これからも、この番組をすすめていきたいと思いますので、番組に対する御要望や感想をぜひ、お寄せください。またひだっちブログにも掲載しておりますので、そちらのほうへもアクセスください。皆さんの疑問などは、番組の中でも取り上げていきたいと思います。

さて、先週は、古川についてのお話をしました。今週は、第4週ということで、いつもは匠のお話をする週ですが、時期が年末ですので、年末の年取りのことについてお話しましょう。

飛騨地方では、昔から年末には、年取りという行事が行われています。これは、一年間無事に無病息災で過ごせたことを感謝し、また、家族や従業員の幸せを祈って、みんなで御馳走を食べたり酒を飲んだりする行事ですが、昔は数え年で年をとっていっていたので、いうならば、みんなの誕生日みたいだったのかなという感じです。
この風習は、飛騨地方独特のものですが、いつごろから始まったのか、定かではありません。
岐阜県の場所によっても違いますが、この年取りのときに食べるものがありました。それが飛騨鰤とまめ、くり、柿、がやです。ではまず、ひだ鰤のお話からいたしましょう。

毎年暮の12月になると、朝日地方では「飛騨鰤街道まつり」というのが行われます。今年も12月の9日に朝日町の道の駅でおまつりが行われました。飛騨ぶりというのは、御存知の方も多いと思いますが、越中の富山で取れたぶりを塩漬けにして、高山まで運んできます。仲買の人がそれを買って、今度は朝日を抜けて信州の木曽福島に出て、塩尻や松本に運ばれた塩ぶりのことを言います。最近では、ぶり街道というキャンペーンのお陰で、有名になりました。

さて、この塩ぶりですが、最近では冷凍技術が進歩したので、細切れにしたものを焼いてすぐに食べることが出来ますが、浜塩にしたものでも結構今では塩辛いものだったと思います。飛騨鰤は、信州では富山から海を運んだ糸魚川鰤と比較して運送の日数が短く、塩甘だったため、塩辛い糸魚川鰤より人気があったということです。

 その塩ぶりのルートですが、越中から飛騨に入るためには、2つのルートがありました。一つは越中東街道、そしてもう一つは、越中西街道と呼ばれていました。この2つの街道は、富山から神通川の右岸と左岸を通るルートです。東街道は、富山から加賀藩の東猪谷関所を通り、今の国道41号線の対岸を神通川沿いに通って神岡に出て、そのあと、山田から上宝の荒原に山越えし、大坂峠から安国寺門前を通り、荒木川の対岸の今から今峠を越えて、国府の広瀬の三川よりにあった追分というところで西街道と合流しました。こちらには神岡の土から吉が原という雪崩の難所を通りました。

一方の西街道は、富山から神通川の西側を通り、富山藩の西猪谷関所を抜けて、宮川沿いに現在の国道360号線を抜けるルートを通りました。ただし、こちらは、交通の難所で、3箇所の難所がありました。
途中、蟹寺でかごの渡しで対岸に渡り、割石あたりを通る中街道という山腹を行く非常に細い道もあったようです。この蟹寺の難所は安藤広重をして日本一の難所と言わしめた所でした。険しい谷のところに下には宮川の激流が流れているといった場所でした。

西街道のかごの渡しは数箇所あって、冬は大雪に見舞われる場所だったようです。かごの渡しというのは、2つの谷を大縄で作った縄をはり、量岸から籠を引っ張り合って一人ひとりかごに載せて渡しました。

江戸時代の後期には、有名な国学者 田中大秀がこのあたりの景色が大好きで、たびたび訪れ、歌を読んでいたり、一刀彫の始祖とされる有名な彫刻師 松田亮長は、このかごの渡しを彫刻にしています。この彫刻は、日下部民芸館や飛騨センターの常設展示館に展示してありますが、かごに乗った人がその恐怖のあまり、いまでも泣き出しそうな顔で描かれています。そしていくつもの難所を越えて、やっと開けた所にでてくるのが、古川町の野口あたりです。そのあと古川、国府を通って三川の落合で東街道に合流します。ここまでお話して、高価なぶりがどちらを通ったかというと東街道の方が安全だったのではと思います。

その後、合流した2つの街道は上野平方面へ抜けて、現在の上水道センターのあたりから松本町に抜け、宮川を横断し、南進。七日町手前の不動橋のあたりでまた宮川を渡り、大新町から二之町に入ったルートを通って、前の図書館の所にあった魚問屋へ運ばれたようです。
さて、この辺でちょっとブレイクしましょう。 今日は、クリスマスということで、松田聖子の天使のウインク
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今日の飛騨歴史再発見は、年取りの行事と飛騨鰤街道のことについてお話しています。

高山の魚問屋は、江戸時代には川上家が一手に仕切っていました。川上家は、二之町の町年寄をつとめたりした豪商でした。別荘のあった堀端町のところが、現在は公園として整備されています。

その魚問屋で、仲買人が買った鰤を、今度は美女峠・野麦街道を通って、今度は牛の背に乗せて遠く信州まで運んでいった。その名残から、朝日町で「ぶり街道まつり」が行われている所以なんですね。

さて、ここまでは、ぶりの話をしてきましたが、先ほど、年取りには、鰤以外にまめ、栗、かき、榧を食べた風習があるといいました。この意味は、地域によって違いますが、「まめで、くりくり、がやがやと」とか、「まめでくりくり、かきとる」などと言いながら、健康を祈って食べたそうです。地方によって違うと申し上げましたが、私の調べた所では、美濃、特に郡上から南のほうでは、柿の産地なので、「かきとる」という言葉が使われるそうですし、下呂と加子母の所にある舞台峠のあたりから東濃地方にかけては、「がやがやと」という言葉を使って、カヤのみが食べられたそうです。この言葉の南限と北限がどのあたりなのかははっきりしませんが、これは、榧の実がどこでとれるかにもよります。

実は、私の本業でこのカヤのみを使った商品を作っていますが、うちの商品は、明治時代の中ごろに私の曾々祖父と曾祖父が開発したもので、当時、行商で魚を商っていた関係上、下呂~加子母~付知~中津川にかけて商売をし、帰りに中津川でお菓子を仕入れてきて販売していました。そのときに、あの地方に榧の木が多いことをみつけて、中津川の老舗の菓子屋さんにその製法を伝授しました。そのため、現在でもかやあられという商品が向こうでは売られています。

なぜ、そこにこんなに榧の木が多いか、不思議になって調べましたら、あの一帯はもともと苗木藩で、苗木藩は1万石という小さな外様大名だったために、飢饉のときに榧の木を植えさせたということがわかりました。確かに榧の木は飛騨に入ると禅宗のお寺や庄屋さんの家に植えてあることが多く、尋ねてみると飢饉の時にはそれを非常食としたそうです。
余談ですが、飛騨には、昔から農家に言い伝えがあって、「榧のなりどしは世の中悪い」という諺があります。私も仕事で、カヤのみを扱っていますが、2年前にものすごく取れて、処分に困りました。その年には、台風23号の被害があった翌年で、政情も不安定でしたが、確かに大成する年には世の中が悪いです。バブルがはじけた年も多かったことを記憶しています。でも、ご安心ください、今年は大変少なかったです。

また、ああ野麦峠のお話で、野麦峠を越えた女工さんたちが、巾着に入れて持って行ったのが、この榧の実といり豆だったそうです。これは、最近古川の案内人の方にお聞きしました。

さて、この「まめ」「かき」「くり」「かや」ですが、どれも大変滋養分の多いもので、体にいいものです。まめはたんぱく質が豊富で、栗は滋養分にすぐれています。また、かきは、利尿作用があることから、特に干し柿などは、二日酔いによいとされています。そういう体にいいものを年取りの晩に食す。これは、一年の無病息災を感謝すると同時に、また来年への健康のお祈りとして、行われたのではないでしょうか。

さて、今年の放送は、今日で終わりです。今年一年、皆様には大変お世話になり、ありがとうございました。また来年もこの番組を続けていきたいと思いますのでどうぞよろしくお願いします。皆様には、今日のお話のように、来年も無病息災であることをお祈りいたします。

それでは最後に曲をお届けします。曲は、来年も皆様が元気で過ごせますようにのお祈りをこめて「槇原則之の どんなときも!」をお届けします。 ではまた1月7日の放送でお会いしましょう!よいお年をお迎えください!
  
Posted by rekisy at 20:00Comments(2)TrackBack(0)毎週の放送内容