2008年01月11日
塩屋秋貞の墓2(西猪谷)
塩屋秋貞は、宮川町の墓碑によると「猪谷の砂場で銃創を負い・・・」となっていましたので、
その場所がどの辺かと思い、確認に行きました。
西猪谷にある、猪谷関所館の中村前館長さんにお会いすることができ、お話を伺うと、
「実は、秋貞の墓が猪谷にもあるんです」ということでした。
猪谷関所館の裏手に高山線の線路があり、そこから高山方面に行ったところのトンネルの上です。

裏手の山道をいくと、そこには、旧越中西街道がありました。

上りきるところのすぐ左手のところにそのお墓がありました。

このお墓については、伝承でしかありませんが、かなり古い武士の墓です。
奥の3つについては、越中西街道沿いにあった3つの石仏を現在地に最近移転したものであるとのこと。
それにしても、宮川町で亡くなったと伝えられる秋貞の遺骨か遺髪を分骨して現地に埋めたものであるのか、
それともここで亡くなって、生まれ育った飛騨の地 宮川町へ分骨したのか謎が多いです。
宮川町のお墓の場所とこの猪谷の場所とでは、かなり(10km以上)はなれており、銃創に倒れた人を
越中西街道の急峻な場所を経て、そこまで家来が運んで行ったとも考えにくく、いったいこれはどういう
ことであるのか、ロマンが広がります。
徳積善太
その場所がどの辺かと思い、確認に行きました。
西猪谷にある、猪谷関所館の中村前館長さんにお会いすることができ、お話を伺うと、
「実は、秋貞の墓が猪谷にもあるんです」ということでした。
猪谷関所館の裏手に高山線の線路があり、そこから高山方面に行ったところのトンネルの上です。
裏手の山道をいくと、そこには、旧越中西街道がありました。
上りきるところのすぐ左手のところにそのお墓がありました。
このお墓については、伝承でしかありませんが、かなり古い武士の墓です。
奥の3つについては、越中西街道沿いにあった3つの石仏を現在地に最近移転したものであるとのこと。
それにしても、宮川町で亡くなったと伝えられる秋貞の遺骨か遺髪を分骨して現地に埋めたものであるのか、
それともここで亡くなって、生まれ育った飛騨の地 宮川町へ分骨したのか謎が多いです。
宮川町のお墓の場所とこの猪谷の場所とでは、かなり(10km以上)はなれており、銃創に倒れた人を
越中西街道の急峻な場所を経て、そこまで家来が運んで行ったとも考えにくく、いったいこれはどういう
ことであるのか、ロマンが広がります。
徳積善太




