2008年01月13日
飛騨登せ魚と登せ塩
しかし、ブリは塩漬けにして、西猪谷関所を通って、飛騨地方にもたくさん送られました。
これを飛騨登せ魚といいます。おなじように富山藩が買った塩の一部も送られ(登せ塩)、
飛騨地方の人びとの生活に役立ちました。
猪谷には、西街道沿いに西猪谷関所(富山藩)、東街道沿いに東猪谷関所(加賀藩)がありました。
もともと、富山藩は加賀藩の一部でしたが、富山藩が分藩するときに、神通川沿いの7つの鉱山(かなやま)
と東猪谷関所は、加賀藩のものとして残し、加賀藩の重要な資金源となっていました。
東猪谷関所では、出国者や荷物を大変厳しく吟味し、口銭の取立てを行いました。
一方で、飛騨に入ると、そこは天領ですが、天領側にも番所と呼ばれる関所がありました。
越中東街道には、荒田口番所。中街道には、中山口番所。西街道には小豆沢番所があり、それぞれで
飛騨に入国する荷物や人間をチェックし、口銭をとっていました。
飛騨には、17箇所のこういった番所が設けられ、入国するものを厳しくチェックしていたそうです。
「通行の決まり 関所を通るには、許可証(過書)が必要でした。国を出る人、とくに女の人はきびしく
調べられました。逆に、国に入るときは調べはゆるやかでした。関所の近くに住んでいたり、商売の
ために関所を何回も通らなければならない人には、特別のきまりがありました。」
徳積善太




