2008年01月18日
彫に生きる「谷口与鹿ものがたり」2

◇幼少時の与鹿
文政八年(一八二五)、与鹿は四歳になった。久しぶりの男子と言う事で、彼はある程度、家族の愛情をたくさん受けて過保護にわがままに育ったのではなかろうか。
岐阜県恵那地方の農家に伝わる伝承によれば、「子供時代に過保護に育った人間ほど、年を取ると親の言う事を聞かず、反撥するものだ。親を捨て、自分本位で生きようとするものである」とのことであるので、後年の彼の行動からすれば、幼少時はたくさんの人間の目と愛情に育まれて成長したに違いない。
幼少時の一番遊びが必要な時期に、一番の遊び相手だったのは、おそらく姉のおたき(当時十一才)であったろう。この年に、妹のおすみが生まれ、もっぱら子守はおたきの役目となる。もう一つ上の姉おつねは二二歳になっていたが、体が弱く病気がちだった上に、一門の炊き出し などで仕事に忙しく、母は産後の養生もあって、どちらかというと与鹿は、過保護にたくさんの遊び道具を与えられて、ほったらかしの状態であったと思われる。
一人ぼっちになった時に、寂しがり屋の与鹿は、誰にも遊んでもらえず、もっぱら地面に落書きをしたり、やぶれた端切らずをもってきては、兎や鯉の絵を描くことを覚えていったのではなかろうか。
時には仕事場に連れて行かれ一人になると、一本ののみと木を渡され、削って兄や父親の真似をして鳥などを彫り、姉のおたきが少し手の空いたときに遊んでもらうという毎日だったろうなどということが推察される。
つづく




