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プロフィール
rekisy
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飛騨に住んで40年。文化の町「高山」に住んでいながら、知らないことが多い事に気づきました。少しでも、皆さんに知っていただくために、文化のまちおこしを目指します。 「歴史」と「音楽」のまちづくりを目指します。応援してください!
<所属研究会>
飛騨の匠学会 所属
立川流彫刻研究会 後援会会員
山王祭 神楽組 所属
日枝雅楽会 会員
倭舞保存会 責任者
飛騨歴史民俗学会 会員
飛騨古川ふるさと案内人会 準会員
下呂検定2008合格者

元 金森顕彰会 理事
日本ホスピタリティ学会 関西支部 客員聴講者
佐藤一斎研究会 客員会員
オーナーへメッセージ

2008年01月24日

今日は24日市でした


今日は高山市の本町通りで24日市が開かれました。

今では、1月24日(太陽暦)に24日市が開かれていますが、昔は旧暦の1月24日でした。

旧暦でいうと、だいたい現在の年末ということになり、お正月の準備にあけくれているとき、
しょうけや、年取りのおかず、冬の支度などで歳末大売出しで大変にぎわう市でした。

また、場所も、現在では、本町通で行われていますが、昔は安川通りがメインだったようです。

道行く人は、ときどき吹雪くゆきにまぎれながら、道路の真中に設置してある焚き火で
暖を取り、ビニール袋を下げて、家路に急いでおられました。

徳積善太  
Posted by rekisy at 19:27Comments(0)TrackBack(0)飛騨の風習

2008年01月24日

彫に生きる「谷口与鹿ものがたり」6

◇弟子入り(八歳~十歳頃)
文政十二年(一八二九)頃ただでさえ人手が足りないところに、相次ぐ不幸が続いた事で、家は多忙を極めるようになった。与鹿は、一人で熱心に刃物を研いでいるものの、時間を見つけては木の破片などを使って彫刻に専念した。もうこの頃になると、兄延恭は一人前の大工として才覚を顕し始め、二人の姉たちは家人と門弟の家事のために忙しくて、なかなか与鹿と遊ぶような暇がなかった。このころから与鹿は、家人からまるで邪魔者扱い。父親から将来は祖父のような立派な大工になるよう言われ修行を始めた。のみやかんなの研ぎ方を習い、絵の修行をし、木の加工を覚えていく。

天保二年(一八三一)、与鹿のすぐ上の姉たきも嫁ぎ、義弟紹芳をも失った谷口家には、とうとう十歳になった少年与鹿の面倒をみるひとがいなくなってしまった。
当時、相変わらず仕事は目白押しで、父も五十代になりすでに引退もささやかれる年代であったし、兄の延恭も棟梁として立派にやっているときに、与鹿は足手まといになりかねない存在であった。年齢的には少し早いと思ったが、父延儔は与鹿を、盟友中川吉兵衛に預ける事にする。与鹿はすでに、絵画や習作の技術は子供ながらかなりのものを身に付けていたが、父としてはやはり大工としての技術を身に付けさせたかったのではないだろうか。