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プロフィール
rekisy
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飛騨に住んで40年。文化の町「高山」に住んでいながら、知らないことが多い事に気づきました。少しでも、皆さんに知っていただくために、文化のまちおこしを目指します。 「歴史」と「音楽」のまちづくりを目指します。応援してください!
<所属研究会>
飛騨の匠学会 所属
立川流彫刻研究会 後援会会員
山王祭 神楽組 所属
日枝雅楽会 会員
倭舞保存会 責任者
飛騨歴史民俗学会 会員
飛騨古川ふるさと案内人会 準会員
下呂検定2008合格者

元 金森顕彰会 理事
日本ホスピタリティ学会 関西支部 客員聴講者
佐藤一斎研究会 客員会員
オーナーへメッセージ

2008年01月30日

彫に生きる「谷口与鹿ものがたり」10

◇川原町大火と三町大火

天保三年火事の類焼場所地図

天保三年(一八三二)、後の与鹿の人生に大きな影響を与える大火事が発生する。
八月十七日川原町大阪屋佐兵衛控屋より出火した火は、またたく間に川原町、中町、西町に燃え広がり、二二七軒も焼け出される大火事へと発展した。
当時、高山に火消し組は存在したが、数が少ない上に、消火方法が現代と違い、水をかけて消火すると言うよりも、壊して延焼を食止めると言ういう方法だった。したがって、一度火が付くとなかなか消し止められず、おそらく強い風も手伝って大火事となったのではなかろうか。

また、その後十一月二日に、今度は二之町中丁の福島屋五右衛門宅から出火し、三町残らず、片原町まで六百軒余りを焼き尽くす大火事が発生した。(この火災について八幡祭りの記録は多少違い、「二之町の百姓清左衛門方より出火。上三町全町、片原町東側の他、八幡氏子では一之町西側、二之町両側、三之町両側、いずれも北よりの一部を除き類焼した。総焼失戸数四九八軒」となっている。)

このとき、二之町の五台山や鳳凰台も類焼し、跡形もなくなった。これは筆者の想像であるが、この十一月の火事は、恐らくつけ火ではなかったかと想像する。なぜなら、十一月の火事については、おそらく大火事の恐ろしさというものを住民がかなり神経をとがらせていたであろうし、こんな大火事が一年の間に二件も発生するとは考えにくい。
また、当時の社会情勢をみても、農民の飢餓に対する商人の大繁盛と言うギャップがあり、そういう住民感情からの不平不満が火事となってあらわれたのではないかと考えることもできる。
いずれにせよ、大火屋台を失った事で、与鹿には後に、屋台造営という千載一遇のチャンスが訪れる事になる。

徳積善太