2008年02月01日
彫に生きる「谷口与鹿ものがたり」12
◇酒におぼれた与鹿
父親の三回忌を済ませ、また琴高台の大仕事をやりのけた与鹿は、自分の心にポッカリと穴の開いていることに気づく。自分の生き方はこれでいいのか、回りから名工であるとちやほやされるほど、半ばノイローゼのような状態になっていき、酒に依存するようになっていった。いわゆるアル中状態であったのではないか。彼のことを心配した家人の勧めで、禅宗 宗猷寺の門をたたき、この頃から座禅の修行を行うようになっていったのではないかと想像される。なぜなら谷口家は代々浄土真宗の家であるのに与鹿自身、死ぬまで禅宗との関わりが深いからである。余談だが、後に山岡鉄舟となった鉄太郎も幼少時代にこの宗猷寺に参禅している。

宗猷寺の玄関の龍
後に龍の彫刻と獅子の彫刻が一体づつ宗猷寺に寄進されている。宗猷寺和尚によると、どのような理由で宗猷寺に与鹿の龍と獅子があるのかその理由は定かでないとのことであった。
しかし、この寺の玄関に龍とその下絵。鐘突き堂には与鹿作と伝えられる獅子が一体(寺伝)現存する。神社仏閣が多い高山にあって、清見村と萩原以外に遺作が一つもなく、この寺だけにあると言うのは不自然である。しかも、萩原・清見は本堂や鐘楼を建造したときに彫られているのに対し、宗猷寺では建造した記録がない。
これについては、後の調査で、押上中将の記録があることがわかった。それによると、この彫刻は、大正五年に宗之の子 谷口英造が、宗猷寺に寄進した物である事であった。このことからも宗猷寺と与鹿は何らかの関係があったと思われることから、参禅修業をしたのではないかと仮定した。
徳積善太
父親の三回忌を済ませ、また琴高台の大仕事をやりのけた与鹿は、自分の心にポッカリと穴の開いていることに気づく。自分の生き方はこれでいいのか、回りから名工であるとちやほやされるほど、半ばノイローゼのような状態になっていき、酒に依存するようになっていった。いわゆるアル中状態であったのではないか。彼のことを心配した家人の勧めで、禅宗 宗猷寺の門をたたき、この頃から座禅の修行を行うようになっていったのではないかと想像される。なぜなら谷口家は代々浄土真宗の家であるのに与鹿自身、死ぬまで禅宗との関わりが深いからである。余談だが、後に山岡鉄舟となった鉄太郎も幼少時代にこの宗猷寺に参禅している。
宗猷寺の玄関の龍
後に龍の彫刻と獅子の彫刻が一体づつ宗猷寺に寄進されている。宗猷寺和尚によると、どのような理由で宗猷寺に与鹿の龍と獅子があるのかその理由は定かでないとのことであった。
しかし、この寺の玄関に龍とその下絵。鐘突き堂には与鹿作と伝えられる獅子が一体(寺伝)現存する。神社仏閣が多い高山にあって、清見村と萩原以外に遺作が一つもなく、この寺だけにあると言うのは不自然である。しかも、萩原・清見は本堂や鐘楼を建造したときに彫られているのに対し、宗猷寺では建造した記録がない。
これについては、後の調査で、押上中将の記録があることがわかった。それによると、この彫刻は、大正五年に宗之の子 谷口英造が、宗猷寺に寄進した物である事であった。このことからも宗猷寺と与鹿は何らかの関係があったと思われることから、参禅修業をしたのではないかと仮定した。
徳積善太




