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プロフィール
rekisy
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飛騨に住んで40年。文化の町「高山」に住んでいながら、知らないことが多い事に気づきました。少しでも、皆さんに知っていただくために、文化のまちおこしを目指します。 「歴史」と「音楽」のまちづくりを目指します。応援してください!
<所属研究会>
飛騨の匠学会 所属
立川流彫刻研究会 後援会会員
山王祭 神楽組 所属
日枝雅楽会 会員
倭舞保存会 責任者
飛騨歴史民俗学会 会員
飛騨古川ふるさと案内人会 準会員
下呂検定2008合格者

元 金森顕彰会 理事
日本ホスピタリティ学会 関西支部 客員聴講者
佐藤一斎研究会 客員会員
オーナーへメッセージ

2008年02月04日

2月4日放送分 「飛騨の匠 水間相模と松田太右衛門」

みなさん、こんにちは。この時間は、飛騨歴史再発見のコーナーです。
このコーナーは、飛騨の生涯学習者 第2号 ながせきみあきがお届けしてまいります。

今年ももう2月に入りました。皆さん、新年会などで毎週お酒を飲む機会がまだ続いているのではないでしょうか。私もそうですが、メタボリック症候群というのは、酒の飲みすぎ、カロリーの取りすぎ、喫煙などが原因となるそうです。どうぞ、ご自身の体のことも考えて、どうぞ暴飲暴食をなされないようにしてくださいね。

この放送のバックナンバーは、ひだっちブログのほうにも掲載していますので、今までの放送についてご覧になりたい方がございましたら、どうぞ「ひだっちブログ」にアクセスしてみてください。また、番組に対するご意見やご要望、調べてほしいことなどがございましたら、ヒッツFMのほうに、ファクスかメールを下さい。ブログのほうへ書き込んでいただいても結構です。なるべくお調べしてお答えしていきたいと思います。
さて、今日の放送は先週予告しましたように飛騨の匠のお話をしたいと思います。

 昨年、7月21日から9月9日まで、飛騨世界生活文化センターで「飛騨の匠展」を開催しました。この放送でも何度もお伝えしましたとおり、のべ1万人の皆様にお越しいただきました。皆さんもおこしいただけましたでしょうか? 私は、この匠展で、全体のプロデュースを始め、市民勉強会の企画などを担当させていただきました。

私が一番力を注いだのが、第4コーナーの江戸時代の飛騨の匠についてのコーナーです。 飛騨にはたくさんの著明な大工さんがおられました。彼らの作品の代表的なものが、高山に残された社寺仏閣の建造物であり、高山祭りの屋台であるといっても過言ではありません。飛騨の匠を顕彰する上で、やはり江戸時代に活躍した大工さんのことを知っていただくことは大切なことだと思います。

 さて、その飛騨の匠ですが、実は、江戸時代以前のことは良くわかっていません。
飛騨の匠といえば、奈良時代に聖武天皇が東大寺を建立し、全国に国分寺、国分尼寺の建設を命じた頃、飛騨の匠が関わっていたと伝えられています。 万葉集にも有名な恋歌 「かにかくに ものは思わじ ひだびとの 打つ墨縄の ただ一道に」というのがあり、飛騨出身の匠の話が紹介されています。三重大学名誉教授で高山市郷土館名誉館長の八賀先生は、この時代よりもっと以前、200年ほど前の5世紀頃に 両面宿難がそま匠の棟梁だった。その中から飛騨の匠が出現したという説を言われています。これについては、学者の間で、今も議論が重ねられているところです。

私は、個人的に、もっと後の時代の室町時代から以降の飛騨の匠について注目しています。ただし、江戸時代より以前のことについては、伝承が多くて、このことを調べるのもなかなか大変です。
一般的には、飛騨の匠の祖といわれているのが、「藤原宗安」という人です。この方は、室町時代に、美濃市の立花にある六角堂の造営や、白山信仰で有名だった郡上の 長滝寺(ちょうりゅうじ)の本堂を建造したことで知られていますが、実際にどこに住んでいて、どんなことをしていたのかは、資料が乏しく、謎に包まれたままです。

美濃市立花 六角堂(藤原宗安建立)

では、どうして、藤原宗安が有名なのかというと、一つは、藤原宗安像が江戸時代の後期に国分寺に祭られていて、木鶴大明神と共に、大工さんの信仰の対象になったことや、江戸時代中期に入って、水間相模という大工棟梁が出現して、自らを「藤原宗安第25世」と名乗り、数々の社寺仏閣建築物を世に残したからではないかと思います。

木鶴大明神像と藤原宗安像(飛騨の匠展にて)

  鎌倉時代から室町時代にかけて、全国に「飛騨の匠の建造物」といわれている建造物が数多く残されています。
たとえば、滋賀県の甲良町にある西明寺は、鎌倉初期につくられた飛騨の匠の建造物で、釘を一本も使わない建造物として初めて国宝指定された155の物件の一つとして認定されました。室町時代には、埼玉県入間市の高倉寺観音堂、東京都目黒区の円融寺本堂、秋田県大仙市の古四王神社本殿、岡崎市の滝山寺三門などが建立され、いずれも飛騨の匠の建造物として言い伝えがあり、どれもが国の重要文化財となっています。岡崎の滝山寺三門の伝承には、飛騨権守 藤原光延という人が垂木を逆さにくみ上げたのを恥じて切腹したなどという逸話も残っています。

さて、ちょっとここでブレイクしましょう。 今日は、「イルカの なごり雪」をお届けします。
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今日の飛騨歴史再発見は、飛騨の匠についてお話しています。後半は江戸時代中期のお話をします。
江戸時代に入ると、先ほどお話した水間相模という人が数多くの建造物を残して勇名になります。この水間相模というのは、一人ではなくて、宗茂―宗紹―宗俊―宗嗣の4代に渡っての水間家一門のことをさします。水間家が飛騨で有名になるのは、3代目の宗俊の代になってからですが、藤原宗安の直系を名乗っていたことで飛騨の匠の子孫として信じられてきました。
初代宗茂の出自はよくわかっていませんが、岐阜高専 名誉教授の水野先生の論文によると、水間を名乗る前は中村という姓を名乗っており、大工棟梁として数々の実績を上げました。初代は、飛騨の匠として有名な松田太右衛門・廣田良親らと共に、神岡の大国寺本堂や、日枝神社の本殿=現在の富士神社社殿の造営に関わりました。

日枝神社、富士神社社殿

 2代目宗紹は、天明から文化にかけて活躍し、円徳寺の鐘楼、大雄寺の山門などを残しました。2代目は、この山門の建設途中で亡くなり、3代目宗俊が完成させたとの逸話も残っています。

大雄寺の山門

 3代目宗俊は、西之一色にある東照宮の本殿や、国分寺の三重塔の棟梁を務めたことで有名になりました。当時、三重塔は文化年間に火災で焼けたものを再建する動きがあり、谷口権守、村山勘四郎、土村伊三郎などそうそうたる当時の飛騨の匠の総帥を集めて建造したという記録が残っています。

 4代目宗嗣は、父であった宗俊があまりに有名な棟梁であったため、よく比較されていたようです。しかし、三代目の弟子たちが彼をよく助け、下呂市小坂の浄福寺本堂の建造をはじめ、数々の建造物を残しています。
 水間家は、建造物ばかりでなく、多くの弟子達を残したことで、飛騨の匠の直系であるということを世に知らしめました。神岡の石田家、高山陣屋を造った土村家、吉島邸を造った西田家などはいずれも水間相模の弟子として活躍し、現在に数多くの建造物を残しています。

 同時期に活躍した大工棟梁で最も有名なのが、松田太右衛門と廣田良親です。彼らがどこで大工の技術を習ったかについては、資料が乏しく、全く分っていませんが、高山市と飛騨市一円に、多くの建造物を現在に残しています。
その代表的なものは享保4年(1719)27歳で棟梁をつとめた了徳寺本堂を皮切りに塩屋の円徳寺本堂、白川郷から関市に移築された光輪寺本堂などがあります。

円徳寺本堂

なお、高山市の文化財に指定されている元禄二年(1689)に造った大雄寺の鐘堂は、松田太右衛門が生まれる2年前の作で、父親の又兵衛の作です。親子で大工棟梁だったんですね。

 この松田太右衛門は、数多くの弟子を残しました。江戸時代後期に大工棟梁で有名になった笠原家の先祖 東雲勘四郎は、日枝神社の本殿を作ったことで有名ですが、彼の甥の坂野半三郎は、東山宗猷寺の本堂を作った人です。
また、弟子の今井庄兵衛は、後に屋台建造で有名になった谷口家を育てます。この谷口家には、谷口与鹿という、高山の屋台彫刻で有名な手長足長や麒麟台の籠伏せの鳥を彫った人が後に出現します。この谷口与鹿については、後日詳しくお話したいと思います。

 さて、松田太右衛門と同時期に右腕として活躍した大工さんがいます。これが廣田良親という人です。彼は松田太右衛門と一緒に副棟梁として数々の建造物を残していますが、晩年は棟梁としても数多くの作品を残しています。古川の信行寺本堂や浄慶寺本堂の移築、上切町 髄縁寺、清見町 蓮徳寺本堂、漆垣内町 円徳寺庫裏など現存する建造物が結構あります。彼も牛丸半助、長瀬重兵衛、青木清蔵など数多くの弟子を育てました。

 高山市には、重要文化財の日下部家住宅や吉島家住宅がありますが、これらはいずれも明治時代の作品です。昭和40年に優れた建造物として重要文化財に指定されましたが、江戸時代の中期に建造された松田太右衛門や廣田良親の建造物は、一部が市の文化財に指定されていますが、指定されていないものもあります。こういった建造物を保護し、後世に伝えていくためにも是非とも指定を検討していただきたいものです。
さて、今日のお話はこのへんで。今月からは、第1週に大工さんのお話をさせていただきます。来月は谷口家のお話をいたします。どうぞお楽しみに! 来週は、金森長近が飛騨を攻める前のお話をします。

今日は、この曲でお別れです。「大橋純子で シルエットロマンス」 ではまた来週。
  
Posted by rekisy at 20:00Comments(0)TrackBack(0)毎週の放送内容