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プロフィール
rekisy
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飛騨に住んで40年。文化の町「高山」に住んでいながら、知らないことが多い事に気づきました。少しでも、皆さんに知っていただくために、文化のまちおこしを目指します。 「歴史」と「音楽」のまちづくりを目指します。応援してください!
<所属研究会>
飛騨の匠学会 所属
立川流彫刻研究会 後援会会員
山王祭 神楽組 所属
日枝雅楽会 会員
倭舞保存会 責任者
飛騨歴史民俗学会 会員
飛騨古川ふるさと案内人会 準会員
下呂検定2008合格者

元 金森顕彰会 理事
日本ホスピタリティ学会 関西支部 客員聴講者
佐藤一斎研究会 客員会員
オーナーへメッセージ

2008年02月09日

お尋ねの件

昨日、ある学校の先生からこんなお電話を頂きました。

「高山の雲龍寺の裏の所に、神社のような建物があるが、そこに龍の立派な彫刻があります。
見ると、高山の恵比寿台の彫刻によく似ているのですが、谷口与鹿の作品ですか?」

私も、見た事がありませんでしたし、知らない建造物でしたので早速調査に行って着ました。


この建物で、建造年とかわかればいいのですが、灯篭にあった年代は、弘化四年とか慶応、
文化年間というものがあり、もしその頃に建造されたのなら、谷口家かつ与鹿との関係が
あるはずなので、大変期待しました。


問題の彫刻は、これです。


若僧正にお尋ねしたら、「ああ、金毘羅堂のことですか。それなら雲龍寺記に載っています」
と一冊の本を頂いてまいりました。

そこには、

金毘羅権現堂
「金毘羅権現を勧請したのはいつの頃か詳らかではないが、金森時代の承応三年(1654)
に鋳造した洪鐘の銘に 『 開説昔年金毘羅仏猷建之』の字句を刻してあったという文献が
ある。
享保十四年(1729)の火災では類焼したようで、再建は寛政九年(1797)の記録がある。
この六十年あまりの間はお堂が無かったのか仮の小祠があったのか明らかではない。
「紙魚のやとり」によれば、文政三年(1820)当寺二十六世月胆凡丁和尚の時、金毘羅堂を
新たに建立し、三月九日より十八日まで開扉したとあるがこの時の堂は、現在の奥殿と
思われる。

現在の奥殿

前方の本殿は、大正二年(1913)棟梁 坂下甚吉(8代)の建立で、六月着工、十二月完成、
工費千五百二十四円六十三銭とある。」

となっていました。
私が見たところ、前殿の蛙又が谷口家のものによく似ていますが、虹梁の雲は坂下家の
ものでした。奥殿もかなり古い建造物である事がわかりました。
坂下甚吉(8代)は、名棟梁で数々の作品が高山に残っています。
有名なものは、旧高山市役所(市政記念館)、東小学校(現存せず)、押上邸、平瀬酒造場
旧三星製糸場などです。

彫刻については、腹違いの息子 三枝伊兵衛が得意としており、馬瀬の桂林寺の経蔵の
彫刻などが有名です。彼の作品ではないかと思いましたが、証拠がありません。

徳積善太