2008年02月12日
飛騨も文化財を火災から守ろう!
韓国ソウルの町のシンボル「南大門」が放火により、焼け落ちました。

高山の町は、文化財がたくさんあります。
高山の町も、以前の放送でお話しましたように、高山という町は、度重なる大火に包まれてきました。
江戸時代より前の記録がないので、それ以前のことはわかりませんが、
享保14年(1729)の高山大火975軒をはじめ、
そのわずか5年後の天明4年(1734)には2340軒、
寛政8年(1796)の三町南大火447軒、
天保3年(1832)の西向町大火227軒、
明治5年(1872)の向町大火721軒、
極めつけは明治8年(1875)には、8月と11月に2度の高山大火で1032軒など、
町中が焼けてしまう大火が7回。そして、50軒以上やけた大火事が大正時代までに4回もありました。
高山の別院も放火などによって、8回も焼けたそうです。

昭和22年に焼けた別院の大門(大正2年建造)
そのときに、村山群鳳のこんなに素晴らしい彫刻があったんです。

子々孫々に、高山の文化財を残していきましょう!
徳積善太

高山の町は、文化財がたくさんあります。
高山の町も、以前の放送でお話しましたように、高山という町は、度重なる大火に包まれてきました。
江戸時代より前の記録がないので、それ以前のことはわかりませんが、
享保14年(1729)の高山大火975軒をはじめ、
そのわずか5年後の天明4年(1734)には2340軒、
寛政8年(1796)の三町南大火447軒、
天保3年(1832)の西向町大火227軒、
明治5年(1872)の向町大火721軒、
極めつけは明治8年(1875)には、8月と11月に2度の高山大火で1032軒など、
町中が焼けてしまう大火が7回。そして、50軒以上やけた大火事が大正時代までに4回もありました。
高山の別院も放火などによって、8回も焼けたそうです。

昭和22年に焼けた別院の大門(大正2年建造)
そのときに、村山群鳳のこんなに素晴らしい彫刻があったんです。
子々孫々に、高山の文化財を残していきましょう!
徳積善太




