2008年02月13日
「彫に生きる 谷口与鹿ものがたり」15
◇麒麟台の依頼(二二歳)
天保十四年(一八四三)、与鹿は萩原にいた。妙覚寺の経堂向拝の親子獅子を完成させていた。(寺は焼失したが、この獅子が現存していることが最近わかった。)

あまりに高山の人がしつこく参上するので、高山から一時的に離れたかったのであろう。彼の行方を捜していた一之町下組の人たちは、彼の帰高を心待ちにしており、帰ってきたときには大変喜んだ。実は、組内にあった「吉野静」の改築に踏み切ろうとしていたからである。組の者の中に、琴高台彫刻に感銘を受けた者があり、何とか他の屋台にはない立派な彫刻をつけた屋台を制作したい、それをするには与鹿の力をと考えた。ところが、大仕事をやり終えて半ば腑抜けになっている与鹿を説得するのには骨が折れた。あの手この手を使って結局は、組内の醸造元 老田屋(当時千虎屋、大阪屋一族)に借家を用意し、酒浸りの日々の中、小遣いを十分に与えてもらって気の向くままに仕事をさせることにした。与鹿も、大好きな酒がたらふく飲めて、小遣いもくれるという気前のいい話に、ついふらふらと乗ってしまうのだった。
徳積善太
天保十四年(一八四三)、与鹿は萩原にいた。妙覚寺の経堂向拝の親子獅子を完成させていた。(寺は焼失したが、この獅子が現存していることが最近わかった。)
あまりに高山の人がしつこく参上するので、高山から一時的に離れたかったのであろう。彼の行方を捜していた一之町下組の人たちは、彼の帰高を心待ちにしており、帰ってきたときには大変喜んだ。実は、組内にあった「吉野静」の改築に踏み切ろうとしていたからである。組の者の中に、琴高台彫刻に感銘を受けた者があり、何とか他の屋台にはない立派な彫刻をつけた屋台を制作したい、それをするには与鹿の力をと考えた。ところが、大仕事をやり終えて半ば腑抜けになっている与鹿を説得するのには骨が折れた。あの手この手を使って結局は、組内の醸造元 老田屋(当時千虎屋、大阪屋一族)に借家を用意し、酒浸りの日々の中、小遣いを十分に与えてもらって気の向くままに仕事をさせることにした。与鹿も、大好きな酒がたらふく飲めて、小遣いもくれるという気前のいい話に、ついふらふらと乗ってしまうのだった。
徳積善太




