2008年02月17日
「彫に生きる 谷口与鹿ものがたり」18 麒麟台の自慢
◇麒麟台の自慢 (二四歳)

「弘化三年(一八四六)三月十四日、春の山王祭。一之町の麒麟台組の人達は、
晴天を祈る気持ちでこの日を迎えた。永年の念願であった屋台下段に嵌められる
待望の彫がようやく完成し、晴れて披露することが出来るのである。
去年の秋から、組合の旦那衆である造り酒屋の借家が彫師の仕事場になってい て、
約半歳ほどの間に誰言うとなく、麒麟台組がたいした「彫」(ほり)を作っているという
噂が広まっていただけに、組の人達はいよいよ屋台を曳き出すこの日がとても待ち
遠しかったのである。

屋台の彫刻は、寺や神社と同じように、殆んど獅子や牡丹、 竜などが題材と して
用いられていた。だが、今現れた麒麟台の彫 は、そうした当 時の一般の常識を破って、
無心に遊ぶ童子に犬や鳥を配した、全く自由で斬新な構図と、高度な技術を駆使した
画期的なものであった。
屋台は一之町から御旅所前の広場までの街筋を、雅やかな蘭陵王崩しの笛と太鼓の
囃子にあわせて、ゆらりゆらりと揺れながら、ゆっくりと曳かれていった。
祭り見物の町の人や、近郷近在の人達が、一目この彫刻を見なければと屋台の周りに
集まってくる。「彫」をのぞきこむ人人は、この作品の出来ばえに、揃って感嘆の声を
あげるばかりであった。
このような群集の声を聞いて、組の人達は一様に誇らしい思いと歓びをかくしきれな
かった。
その頃、一之町の仕事部屋では、一人の若い男が、憑き物が落ちたような表情で、
遠くの鉦の音を聞くともなく聞きながら静かに冷酒を飲んでいた。
この青年こそ、彼の代表作となった「唐子群遊之図」を完成した若い彫師、谷口与三
次郎与鹿であった。」(飛騨の匠 老田剛著より 原文のまま)
この彫刻の完成こそ、与鹿の名前と名声を挙げた作品はなかったことであろう。
徳積善太
「弘化三年(一八四六)三月十四日、春の山王祭。一之町の麒麟台組の人達は、
晴天を祈る気持ちでこの日を迎えた。永年の念願であった屋台下段に嵌められる
待望の彫がようやく完成し、晴れて披露することが出来るのである。
去年の秋から、組合の旦那衆である造り酒屋の借家が彫師の仕事場になってい て、
約半歳ほどの間に誰言うとなく、麒麟台組がたいした「彫」(ほり)を作っているという
噂が広まっていただけに、組の人達はいよいよ屋台を曳き出すこの日がとても待ち
遠しかったのである。
屋台の彫刻は、寺や神社と同じように、殆んど獅子や牡丹、 竜などが題材と して
用いられていた。だが、今現れた麒麟台の彫 は、そうした当 時の一般の常識を破って、
無心に遊ぶ童子に犬や鳥を配した、全く自由で斬新な構図と、高度な技術を駆使した
画期的なものであった。
屋台は一之町から御旅所前の広場までの街筋を、雅やかな蘭陵王崩しの笛と太鼓の
囃子にあわせて、ゆらりゆらりと揺れながら、ゆっくりと曳かれていった。
祭り見物の町の人や、近郷近在の人達が、一目この彫刻を見なければと屋台の周りに
集まってくる。「彫」をのぞきこむ人人は、この作品の出来ばえに、揃って感嘆の声を
あげるばかりであった。
このような群集の声を聞いて、組の人達は一様に誇らしい思いと歓びをかくしきれな
かった。
その頃、一之町の仕事部屋では、一人の若い男が、憑き物が落ちたような表情で、
遠くの鉦の音を聞くともなく聞きながら静かに冷酒を飲んでいた。
この青年こそ、彼の代表作となった「唐子群遊之図」を完成した若い彫師、谷口与三
次郎与鹿であった。」(飛騨の匠 老田剛著より 原文のまま)
この彫刻の完成こそ、与鹿の名前と名声を挙げた作品はなかったことであろう。
徳積善太




