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プロフィール
rekisy
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飛騨に住んで40年。文化の町「高山」に住んでいながら、知らないことが多い事に気づきました。少しでも、皆さんに知っていただくために、文化のまちおこしを目指します。 「歴史」と「音楽」のまちづくりを目指します。応援してください!
<所属研究会>
飛騨の匠学会 所属
立川流彫刻研究会 後援会会員
山王祭 神楽組 所属
日枝雅楽会 会員
倭舞保存会 責任者
飛騨歴史民俗学会 会員
飛騨古川ふるさと案内人会 準会員
下呂検定2008合格者

元 金森顕彰会 理事
日本ホスピタリティ学会 関西支部 客員聴講者
佐藤一斎研究会 客員会員
オーナーへメッセージ

2008年05月02日

広瀬氏について

金森が飛騨に入国する前に、三木氏と共に飛騨を治めていた、広瀬氏のことを調べています。
そのことをお尋ねしに、国府町の菅田一衛先生をお尋ねしました。

 
(写真は広瀬氏の居城のあった高堂城跡)

広瀬氏の出自は明らかではなく、鎌倉時代から国府町のあたりを治めていた豪族です。
広瀬氏の土地は、山科家によって知行されていた事もありますが、垣根氏が知行した
こともあり、その土地は、所有者が複雑に入れ替わる土地となっていました。

いまの上広瀬~広瀬~古川の入り口にいたるまで広範な土地を知行していました。

広瀬氏の居城 高堂城は、国府町の瓜巣にあり、城址は岐阜県の重要文化財に指定されています。
看板には、次のようにかかれています。
「かつて、広瀬郷を治めていた広瀬氏の居城であり、天文年間(1532~54)年に広瀬左近将監利治
がこの地に築城したとされている。
標高はおよそ700m。四面は天然の要害となっており、宮川を南北に俯瞰することができ、山頂には
平地があり、以下段々に小さな平地がある。
名張地区にある広瀬城の詰城としてその規模は、高山市にある高山城・松倉城に継ぐものと言われて
いる。
後、広瀬氏は三木自綱に滅ぼされ、城の主は三木氏に移ったが、この三木氏も天文十三年(1585)
豊臣秀吉の命を受けた金森長近により攻められ、広瀬城により防戦したが、降伏した。」

のち、広瀬氏は、越前大野にいた金森氏に投降し、金森の先陣役として金森氏の飛騨入国を助けました
が、論功行賞がなく、かつての知行地を与えられなかった為に、金森可重に対して反抗しますが、結果的に
天正十四年に完全に滅ぼされてしまいました。
その後、広瀬氏は、滋賀県に渡り、武士を捨て僧侶となったようです。また、広瀬氏の部下達は、すぐに
武士を捨て、百姓となったためにそれまでの土地を安堵され、その末裔は、今でも国府町の地域に住居
された方が多かったようです。

徳積善太