2008年06月18日
小島城跡1
姉小路氏は、金森が入国するずっと以前、建武の新政で、後醍醐天皇から飛騨の国司として
任命されました。
以来、三木氏によって、滅ぼされるまで、ずっと飛騨の国司を勤めていました。

その居城となったのが、小島城です。
普段は、山ノ下の居館に居を構えていましたが、有事の際には、城に立てこもって、
敵の攻撃を防ぎました。
古川町太江にある看板には、このように書かれています。

「県指定史跡 小島城跡 昭和34年11月16日指定
飛騨国司姉小路家、その一族小島氏が代々居城とした城で、応永18年(1411)に四代目
国司尹綱(ただつな)がこの城を守り、幕府派遣の大軍と戦って戦死したと伝えられて
いる。その後、天正13年(1585)8月金森長近によって滅ぼされた。
城郭は山の尾根に沿い、ほぼ東西方向に細長く構築されており、三ヶ所ある平場のうち、
東端の頂上部が主郭と考えられる。
越中西街道と神岡街道とに挟まれた標高630mにあるこの城は、越中あるいは高原郷
からの敵の侵入を防ぐのには、恵まれた位置にある。
平成18年3月 飛騨市教育委員会」
この表記の中で、二箇所、疑問の部分があります。
1)応永18年にこの城で戦死した・・・諸説あります。
2)金森によって滅ぼされた・・・・・・・諸説あります。
三木氏によってというのが有力。金森は確かこの城は攻めていません。
この点については、諸先生のご指摘をいただきたいと思います。
徳積善太
任命されました。
以来、三木氏によって、滅ぼされるまで、ずっと飛騨の国司を勤めていました。

その居城となったのが、小島城です。
普段は、山ノ下の居館に居を構えていましたが、有事の際には、城に立てこもって、
敵の攻撃を防ぎました。
古川町太江にある看板には、このように書かれています。

「県指定史跡 小島城跡 昭和34年11月16日指定
飛騨国司姉小路家、その一族小島氏が代々居城とした城で、応永18年(1411)に四代目
国司尹綱(ただつな)がこの城を守り、幕府派遣の大軍と戦って戦死したと伝えられて
いる。その後、天正13年(1585)8月金森長近によって滅ぼされた。
城郭は山の尾根に沿い、ほぼ東西方向に細長く構築されており、三ヶ所ある平場のうち、
東端の頂上部が主郭と考えられる。
越中西街道と神岡街道とに挟まれた標高630mにあるこの城は、越中あるいは高原郷
からの敵の侵入を防ぐのには、恵まれた位置にある。
平成18年3月 飛騨市教育委員会」
この表記の中で、二箇所、疑問の部分があります。
1)応永18年にこの城で戦死した・・・諸説あります。
2)金森によって滅ぼされた・・・・・・・諸説あります。
三木氏によってというのが有力。金森は確かこの城は攻めていません。
この点については、諸先生のご指摘をいただきたいと思います。
徳積善太




