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プロフィール
rekisy
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飛騨に住んで40年。文化の町「高山」に住んでいながら、知らないことが多い事に気づきました。少しでも、皆さんに知っていただくために、文化のまちおこしを目指します。 「歴史」と「音楽」のまちづくりを目指します。応援してください!
<所属研究会>
飛騨の匠学会 所属
立川流彫刻研究会 後援会会員
山王祭 神楽組 所属
日枝雅楽会 会員
倭舞保存会 責任者
飛騨歴史民俗学会 会員
飛騨古川ふるさと案内人会 準会員
下呂検定2008合格者

元 金森顕彰会 理事
日本ホスピタリティ学会 関西支部 客員聴講者
佐藤一斎研究会 客員会員
オーナーへメッセージ

2008年07月02日

越前大野訪問~長近の越前侵攻2~


金森長近書状  専福寺蔵

金森長近は天正三年(1575)大野進入にあたって、高田派寺院や豪族にあてて、
勧告を行いました。これによって、大野進攻は順調に進み、わずか1ヶ月で平定する
にいたりました。

「其国乱入ニ付て 大野郡至、被抽忠 節おいてハ、一所可 申付事、不可有 相違候、併可随
忠義候、恐々謹言     金森五郎八
七月廿三日 長近(花押)

専福寺、賢松寺、保福寺、山田兵内助殿、山田猪介殿、戸田権内殿、印牧勝蔵坊、同十城坊、
笠井三郎衛門尉殿、野尻与一殿

御宿所」

この手紙を見てもわかるように、当時、誰がどの地域をどのように押さえていたか、確実に把握
しています。その情報網たるや、すごいものがあろうかと思います。
現在のように、携帯電話やインターネットで調べるわけでもなく、ちゃんとその地域に明るい人を
味方に付け、しかも、自分に味方した場合は、ちゃんとその所領地を安堵するという方法で、
人を殺さずに、平定する。そういう術に長けた人であることが伺えると思います。

大野歴史資料館の館長 岩井先生に伺いましたが、残念ながら、当時のこの地域の調査や、
どのように金森氏が侵攻し平定して行ったかについては詳しく調査がされていないようです。


徳積善太