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プロフィール
rekisy
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飛騨に住んで40年。文化の町「高山」に住んでいながら、知らないことが多い事に気づきました。少しでも、皆さんに知っていただくために、文化のまちおこしを目指します。 「歴史」と「音楽」のまちづくりを目指します。応援してください!
<所属研究会>
飛騨の匠学会 所属
立川流彫刻研究会 後援会会員
山王祭 神楽組 所属
日枝雅楽会 会員
倭舞保存会 責任者
飛騨歴史民俗学会 会員
飛騨古川ふるさと案内人会 準会員
下呂検定2008合格者

元 金森顕彰会 理事
日本ホスピタリティ学会 関西支部 客員聴講者
佐藤一斎研究会 客員会員
オーナーへメッセージ

2008年08月01日

兼山に行ってきました1

子供と「夏休みの自由研究を何にする?」といったら、「森欄丸のことを調べる」といったので、
「親の子だな」と思いながら、森欄丸が城主だった、兼山城に行ってきました。


 
兼山城というのは、岐阜県の美濃地方。八百津の南側に兼山町というところがあります。
現在は、可児市の一部になっていますが、そこに昔は、7万石のお城がありました。
飛騨が63千石ですから、どれだけ広い領地を持っていたかがわかります。

西は美濃太田、東は恵那まで。南は岩村、北は白川町あたりまで、広い範囲が領土でした。

とはいっても、戦国時代の話。それ以後江戸時代には、土岐氏の勢力を恐れた徳川家の策略によって、
譜代で分断され、1万石に満たない小さな譜代が外様大名に入り込む形で、数多くの知行に
分断されていました。

森欄丸は、16歳の歳で、織田信長に仕え、18歳で城主となり、その年に起った明智光秀の
反逆によって、主君ともども本能寺で討ち死にしました。

森欄丸とその弟の墓(坊丸、力丸=ともに本能寺で討死)

ところで、どうして、うちの息子が森欄丸に興味を持ったかですが、現代っ子ですね。

森欄丸のイベントも開かれるようです。

ゲームに登場する森欄丸がかっこいいので、彼の本物を知りたくなったとの事です。
ま、理由がどうあれ、親としては、歴史に興味を持ってくれたことにうれしさを感じました。

徳積善太

  
Posted by rekisy at 22:50Comments(0)TrackBack(0)調べていること