2008年08月01日
兼山に行ってきました1
子供と「夏休みの自由研究を何にする?」といったら、「森欄丸のことを調べる」といったので、
「親の子だな」と思いながら、森欄丸が城主だった、兼山城に行ってきました。


兼山城というのは、岐阜県の美濃地方。八百津の南側に兼山町というところがあります。
現在は、可児市の一部になっていますが、そこに昔は、7万石のお城がありました。
飛騨が63千石ですから、どれだけ広い領地を持っていたかがわかります。
西は美濃太田、東は恵那まで。南は岩村、北は白川町あたりまで、広い範囲が領土でした。
とはいっても、戦国時代の話。それ以後江戸時代には、土岐氏の勢力を恐れた徳川家の策略によって、
譜代で分断され、1万石に満たない小さな譜代が外様大名に入り込む形で、数多くの知行に
分断されていました。
森欄丸は、16歳の歳で、織田信長に仕え、18歳で城主となり、その年に起った明智光秀の
反逆によって、主君ともども本能寺で討ち死にしました。

森欄丸とその弟の墓(坊丸、力丸=ともに本能寺で討死)
ところで、どうして、うちの息子が森欄丸に興味を持ったかですが、現代っ子ですね。

森欄丸のイベントも開かれるようです。
ゲームに登場する森欄丸がかっこいいので、彼の本物を知りたくなったとの事です。
ま、理由がどうあれ、親としては、歴史に興味を持ってくれたことにうれしさを感じました。
徳積善太
「親の子だな」と思いながら、森欄丸が城主だった、兼山城に行ってきました。
兼山城というのは、岐阜県の美濃地方。八百津の南側に兼山町というところがあります。
現在は、可児市の一部になっていますが、そこに昔は、7万石のお城がありました。
飛騨が63千石ですから、どれだけ広い領地を持っていたかがわかります。
西は美濃太田、東は恵那まで。南は岩村、北は白川町あたりまで、広い範囲が領土でした。
とはいっても、戦国時代の話。それ以後江戸時代には、土岐氏の勢力を恐れた徳川家の策略によって、
譜代で分断され、1万石に満たない小さな譜代が外様大名に入り込む形で、数多くの知行に
分断されていました。
森欄丸は、16歳の歳で、織田信長に仕え、18歳で城主となり、その年に起った明智光秀の
反逆によって、主君ともども本能寺で討ち死にしました。
森欄丸とその弟の墓(坊丸、力丸=ともに本能寺で討死)
ところで、どうして、うちの息子が森欄丸に興味を持ったかですが、現代っ子ですね。
森欄丸のイベントも開かれるようです。
ゲームに登場する森欄丸がかっこいいので、彼の本物を知りたくなったとの事です。
ま、理由がどうあれ、親としては、歴史に興味を持ってくれたことにうれしさを感じました。
徳積善太




