2008年08月02日
兼山に行ってきました2
兼山町は、現在は可児市の一部となっていますが、合併前は可児郡兼山町といいました。
そこは、森欄丸のふるさとということで、町おこしが行われていました。
史跡金山城跡
金山城は天文六年(1537)可児郡兼山町の南にそびえる標高253mの古城山の絶頂に
稲葉山(岐阜)城主斎藤道三の猶子斎藤大納言正義が築城して、烏ケ峰城と称した。
室町末期の典型的山城遺構です。正義は同17年久々(利)城主土岐三河守に亡ぼされ
凡17年同一族の土岐十郎左エ門が留守城を守った。
永禄八年(1565)織田信長美濃経略に当って此城を森三左エ門可成に賜り、同年九月
入城し、即ち金山城と改称した。
これより三左エ門可成、その子武蔵守長可、末弟右近太夫忠政と父子三代に亘って
凡36年間在城し、七万石を領した。森欄丸長定は入城の年、此の城に生れ信長に仕え、
天正十年恵那郡岩村城五万の城主となった。
慶長五年(1600)二月、忠政信州川中島に転封するに及んで此城を犬山城主石川備前守
光吉に賜り、光吉は天守、諸櫓その外、城郭施設を悉く解体して、古材を筏に組み、木曽川を
狩り下し犬山に移建した。 兼山史蹟保存会
昭和42年 月 日 岐阜県史跡指定。」
森欄丸母の菩提寺 常照寺(浄土真宗大谷派)
かつて(H5.3.31)、テレビ愛知のロケが行われ、その看板が示されています。
慈光山常照寺の看板 欄丸母の菩提寺として設立された旨が示されています。
森家の菩提寺 可成寺
墓所への案内標識 墓所は、少し高台のところに白壁の塀でめぐらされています。
森家三代の墓に、歴代の城主が眠っておられ、そこには、森欄丸ほか本能寺で死んだ人も弔われています。
徳積善太




