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プロフィール
rekisy
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飛騨に住んで40年。文化の町「高山」に住んでいながら、知らないことが多い事に気づきました。少しでも、皆さんに知っていただくために、文化のまちおこしを目指します。 「歴史」と「音楽」のまちづくりを目指します。応援してください!
<所属研究会>
飛騨の匠学会 所属
立川流彫刻研究会 後援会会員
山王祭 神楽組 所属
日枝雅楽会 会員
倭舞保存会 責任者
飛騨歴史民俗学会 会員
飛騨古川ふるさと案内人会 準会員
下呂検定2008合格者

元 金森顕彰会 理事
日本ホスピタリティ学会 関西支部 客員聴講者
佐藤一斎研究会 客員会員
オーナーへメッセージ

2008年08月02日

兼山に行ってきました2



兼山町は、現在は可児市の一部となっていますが、合併前は可児郡兼山町といいました。
そこは、森欄丸のふるさとということで、町おこしが行われていました。


史跡金山城跡

金山城は天文六年(1537)可児郡兼山町の南にそびえる標高253mの古城山の絶頂に
稲葉山(岐阜)城主斎藤道三の猶子斎藤大納言正義が築城して、烏ケ峰城と称した。
室町末期の典型的山城遺構です。正義は同17年久々(利)城主土岐三河守に亡ぼされ
凡17年同一族の土岐十郎左エ門が留守城を守った。
永禄八年(1565)織田信長美濃経略に当って此城を森三左エ門可成に賜り、同年九月
入城し、即ち金山城と改称した。
これより三左エ門可成、その子武蔵守長可、末弟右近太夫忠政と父子三代に亘って
凡36年間在城し、七万石を領した。森欄丸長定は入城の年、此の城に生れ信長に仕え、
天正十年恵那郡岩村城五万の城主となった。
慶長五年(1600)二月、忠政信州川中島に転封するに及んで此城を犬山城主石川備前守
光吉に賜り、光吉は天守、諸櫓その外、城郭施設を悉く解体して、古材を筏に組み、木曽川を
狩り下し犬山に移建した。             兼山史蹟保存会
 
昭和42年 月 日 岐阜県史跡指定。」


 
森欄丸母の菩提寺 常照寺(浄土真宗大谷派)


かつて(H5.3.31)、テレビ愛知のロケが行われ、その看板が示されています。


慈光山常照寺の看板  欄丸母の菩提寺として設立された旨が示されています。

 
森家の菩提寺 可成寺

 
墓所への案内標識  墓所は、少し高台のところに白壁の塀でめぐらされています。


森家三代の墓に、歴代の城主が眠っておられ、そこには、森欄丸ほか本能寺で死んだ人も弔われています。

徳積善太



  
Posted by rekisy at 21:00Comments(0)TrackBack(0)調べていること