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プロフィール
rekisy
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飛騨に住んで40年。文化の町「高山」に住んでいながら、知らないことが多い事に気づきました。少しでも、皆さんに知っていただくために、文化のまちおこしを目指します。 「歴史」と「音楽」のまちづくりを目指します。応援してください!
<所属研究会>
飛騨の匠学会 所属
立川流彫刻研究会 後援会会員
山王祭 神楽組 所属
日枝雅楽会 会員
倭舞保存会 責任者
飛騨歴史民俗学会 会員
飛騨古川ふるさと案内人会 準会員
下呂検定2008合格者

元 金森顕彰会 理事
日本ホスピタリティ学会 関西支部 客員聴講者
佐藤一斎研究会 客員会員
オーナーへメッセージ

2008年08月07日

兼山に行ってきました5


欄丸のお兄さん 森長可(ながよし) 第二代金山城主 永禄年(1558)~天正12年(1584)

織田氏の家臣、のち羽柴秀吉に仕える。森可成の次男。一説に嫡男。
通称:勝蔵(勝三)武蔵守。 本名:長可
いみな:前武州太守鉄囲秀公大禅定門  菩提寺:可成寺(かじょうじ)

元亀元年(1570)、父可成討ち死にに伴い、十三歳で家督相続し、美濃兼山城主となる。
天正二年(1574)頃より織田信忠に属し、畿内諸国に従軍している。同十年二月甲斐・信濃
武田領侵攻の際にも、先方を務める信忠に従軍。飯田城・高遠城攻めに参加し、その
直後から上野(群馬県)へ進軍して国人(在地領主)を従属化させている。

戦後、信濃の高井・水内・更科・埴科四郡(金山を含め、約二十万石)を与えられ、信濃
海津城に在城。領内の治安維持、安定化に努めていたが、信長父子が本能寺で死去
(天正10年(1582))すると、信濃から撤収。本貫(本地)美濃金山城にもどり、
羽柴秀吉に所属。岐阜城の織田信孝と対峙する。

 同12年3月織田信雄・徳川家康と交戦する秀吉に従軍。犬山城を陥れる。
 同年4月9日、義父池田恒興とともに三河侵攻を図るが、長久手において家康の奇襲
に遭遇し、討ち死に。行年27歳。
なお、直前の3月26日付けで、尾藤知宣(甚右衛門)に対して遺言状を残している。」

徳積善太


  
Posted by rekisy at 21:00Comments(0)TrackBack(0)調べていること