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3月11日放送分_飛騨の地震について

たまたま地震についての放送をしましたところ、3月11日に大震災が起きました。
被災された皆様には心よりお悔やみ申し上げます。

(3月11日放送分 第190回)みなさんこんにちは。飛騨の歴史再発見のコーナーです。
このコーナーは飛騨の生涯学習者第二号、わたくしながせきみあきがお届けしてまいります。

まず、お知らせがあります。3/1にやっと本を出版致しました。昨年の応永飛騨の乱
600年祭の記念誌です。今日は、発刊を記念して1名の方に私から本をプレゼント
させていただきたく存じます。ハガキとメールで受け付けますので、住所氏名年齢と
番組に対しての感想をお書きいただき、3/15必着でヒッツFMまでご連絡ください。
なお、3月第4週の放送で当選発表をいたしますので、よろしくお願いいたします。
3月11日放送分_飛騨の地震について
 さて、先月末はびっくりしましたよね。地震のないといわれている高山で、震度4の
地震が2回も続けてありました。そのあとにも震度3の地震があったりして、大変
驚きました。
地震のない高山と言われている地域の人達ですから、私も含めて大変驚いた事件だった
と思います。
幸い、この地震による被害は、丹生川町の国道158号線で道路にひび割れが確認された
ほか、建物の被害は、赤カブの里での天井が一部崩れたり、国分寺通りのアーケードの
天井が外れたり、駅前ではピルの壁のタイルがはがれたなどと言う事件がありましたが、
幸いけが人がなくてよかったと思います。

よく、調べてみますと、実はこの日から翌日の28日昼にかけて実に27回もの有感地震が
起きていたんですね。丁度原稿を書いているときにも地震がきましたから、まだまだ
予断を許さない今回の地震です。

今回の地震の規模は、震度4の時のマグニチュードが午前2時19分の時がM4.9、午前5時
38分の時がM5.4となっており、あとは大体M2~3の地震が続いているようです。

ここで、地震の規模を示すマグニチュードについてちょっとご説明しますと、地震その
ものの規模を表す尺度を数値で指し示したものです。通常震央から100キロ離れた地点に
ある標準地震計の最大振幅をミクロン単位で測り、その常用対数で表すことになって
いまして、マグニチュードが1増加すると、エネルギーは約30倍増加します。

マグニチュードでは、M1未満を極微小地震、M1~3を微小地震、M3~5を小地震、
M5~7を中地震、M7以上を大地震(※M8以上の大地震は巨大地震ともいう。)として
定義しています。

したがって、今回の2回の震度4の地震は、深夜2時のが小地震、明け方5時のが中地震と
言う事になります。

また、よく耳にする震度とは異なります。
震度とは、ある場所における地震動の強さの程度を表す階級で、気象庁の震度階級では、
震度0を無感・1を微震・2を軽震・3を弱震・4を中震・5を強震・6を烈震・7を激震の
8階級に分けていましたが、平成8年(1996)からは、震度5と6をおのおの弱と強に分けて、
10階級で表すようになっています。

かつては、人体の受ける感じや周囲の状況などによって推定していましたが、この時から、
計測震度計により自動的に観測し速報するようになりました。
日本国内には約600地点の震度観測点があり、この震度を測る仕組みになっています。

さて、「飛騨は地震のないところ。地盤が固いんで大丈夫やさ。」という考えが飛騨の人
には蔓延しているようですが、これは、ここ百数十年の間に、飛騨に大きな地震が来て
いないと云うことや、震源地になった地域は別としてそういった被害に関する伝承も
薄れていることからきているようです。

ところが、調べてみますと、飛騨には過去にたくさんの地震があったんですね。
今から15年前の「飛騨春秋」に池之端甚衛(やすもり)氏がその点を発表されています
ので、その中から1800年代の物だけを抜き出してみますと、
・明治24 (1891)10/28 濃尾大地震 M8.4 岐阜などで死者7000人以上
・安政5年2/26(1858.4/9) 飛越地震(角川地震)M7死者303人
・安政2年2/2(1855.3/18) 白川郷 保木脇で山崩れ M不明 死者12人
・安政元年11/14(1854.23/34)  安政大地震 M8.4 死者多数 
・弘化4年3/24(1847.5/8)  善光寺地震 M7.4 信越地方死者12000人 
             白川郷保木脇民家埋没死者数十人
・天保元年7/3(1840.8/20) 飛騨で7/3から5日の間大地震 死者等詳細不明
・文政9年7/25(1826.8/29) 飛騨大野郡家屋土蔵崩れ井戸水濁る M6.2
・文化13年2/3(1816.3/1) 飛騨に強震 詳細不明
・文化元年8/28(1804.10/1) 飛騨法力村武蔵山一夜で大穴できる。
などとなっています。
ちょっとここでブレイクしましょう。曲は「村下孝蔵 ゆうこ」をお届けします。
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本日の飛騨の歴史再発見は地震の話しをお届けしております。

1800年代の100年間でもいまご紹介した9回の大地震に見舞われていますが、逆に1900年
代は、各所で大地震がありましたが、飛騨は幸いにして被害が少なかったことから、
先ほど申し上げたように「飛騨に地震がない」という話になっていったように思われます。

実はこれ以外にも8回の地震が「飛騨春秋」に記録されていますが、記録自体が古く、
伝承として伝えられているものがほとんどです。
そのため、地震の規模やマグニチュードなどといったものは類推するしかないのが、
現状です。

伝承からの物で有名なのは、天正13年11/29(1586.1/28)に起きた天正地震で、この時には
白川郷にあった帰雲城が山崩れで城下町もろとも無くなってしまいました。
そのため、内ヶ島氏が保持していた金塊が一緒に埋まってしまったと云う、「帰雲城伝説」
となって、また、下呂の舞台峠付近にあった「大威徳寺」の崩壊伝説となって現在に伝説
として伝えられていますね。
3月11日放送分_飛騨の地震について
さて、先ほどご紹介した、地震の原因ですが、分かっているものでは、安政五年の飛越地震
と天正13年の天正地震の2つです。この二つの大地震は、飛騨を走るA級の活断層による
直下型の大地震でした。

天正13年の天正地震は、最近の研究によって阿寺断層と御母衣断層が同時に動いた双子地震
であった可能性があることが分かってきました。
御母衣断層と言うのは、荘川のあたりから、白川郷を通り、高岡の方まで通っている大断層。

そして、阿寺断層と言うのは、萩原から下呂・加子母を通り、付知の方に通っている断層です。
どちらも谷になっていますから、想像がつくと思います。

また、阿寺断層は、数回のずれを記録していて、今でも付知町には段差になったところを見る
ことができます。この天正地震は、その後の研究で、飛騨地区のみならず、三重県の北勢
地方や滋賀県湖北部に及ぶ広い地域で激震を起こしたと推定されており、かなり広範囲の
地震であったことがわかってきております。  

また、安政五年の飛越地震は、跡津川断層と言う活断層が動いて起きました。
この跡津川断層と言うのは、河合町の天生峠から河合町角川を通り、宮川町を経て神岡町
跡津川沿いに富山県境大多和峠から有峯の方へ伸びている長さ60kmの大断層です。

最近の研究で、この飛越地震の時には、安政2年の地震でがけ崩れがおき、山が崩れて
小鳥川をせき止め小さな湖ができました。そこにまた安政5年に大山崩れが起こり、
対岸にあった村に湖の水が押し寄せ、村一つが一瞬のうちに水没し、たくさんの方が
亡くなったと云う事が知られております。

また、越中側でも激震によって常願寺川の支流湯川がせき止められ、2週間後にこの川が
決壊して下流の村々に洪水をもたらし、140人の溺死者を出す山地災害をもたらしました。

最近の研究では、この跡津川断層は2200年に1回の割合で比較的規則正しく地震を起こして
いることがわかっています。

さて、最後に今回の地震ですが、2/28付の新聞には、気象庁の見解として「だんだんと
地震の数は減ってきているが、本震か前震かの見極めはまだつかず、まだこの先に大地震
がある例もある」と地震の見極めを避けています。
また、岐阜大流域圏科学研究センター長さんの見解として「これほど短期間に同じ地域で
集中した例は近年になく、注目している。発生地点の分布状況を調べる必要性がある」と
明言を避けておられます。

この原稿を書いてから放送までにまだ時間があると思われますので、この見解がどうなるか
はわかりませんが、今回の地震の地域が東経137.4度から137.5度。北緯36.1度から36.2度の
間に集中しています。
ウェザーニュースのデータから分析してみますと、東経137.4度北緯36.2度で起きたのが
27回の内12回で、そのうちの8回が地下10kmの所で起こっています。これは地上では、
朝日町の六方山から岩井谷付近・カクレハ高原のあたりではないかとされていますが、
そこが乗鞍の麓であることから、火山性の物ではないかという指摘もあります。

先日リスナーの方からお電話をいただきまして
「あなたが、火山の話をしたから、地震が起こったんだよ。まるであなたが予言したような
ものだ」と冗談で言われましたが、この地震や乗鞍の再噴火についても、もっと関心を持って
いく必要があると思いました。危機管理はいつでもしておくに越したことはないと思います。

さて、本日も時間となりました。
来週の放送は、第3週ですから古川の話しをする週ですが、予定を変更して「八幡祭りの
大祭について」お話したいと思います。どうぞお楽しみに!
本日はこの曲でお別れです。
曲は「石川セリ ダンスはうまく踊れない」をお届けします。
それではまた来週お会いしましょう!


徳積善太
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