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プロフィール
rekisy
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飛騨に住んで40年。文化の町「高山」に住んでいながら、知らないことが多い事に気づきました。少しでも、皆さんに知っていただくために、文化のまちおこしを目指します。 「歴史」と「音楽」のまちづくりを目指します。応援してください!
<所属研究会>
飛騨の匠学会 所属
立川流彫刻研究会 後援会会員
山王祭 神楽組 所属
日枝雅楽会 会員
倭舞保存会 責任者
飛騨歴史民俗学会 会員
飛騨古川ふるさと案内人会 準会員
下呂検定2008合格者

元 金森顕彰会 理事
日本ホスピタリティ学会 関西支部 客員聴講者
佐藤一斎研究会 客員会員
オーナーへメッセージ

2011年05月15日

津野滄州について2

津野滄州を祖とする津野家について、そのほかの人についても調べてみました。


■津野芳州(生没年不詳)
蚕糸問屋。高山の人。滄州の長子。名は延賢。字は子客。通称を清右衛門。赤田臥牛に経史を学び、父滄州の遺命により『臥牛集』を上梓。(斐山語草)

■津野文卿(生年不詳~安政1(1854)11.21)
蚕糸問屋。高山の人。名は義監。字は士雲。号を鳳泉。福島屋五右衛門と称する。赤田臥牛に学び詩をよくする。(斐山語草)

■津野千萱(生年不詳~慶応2(1866)9月)
糸問屋。高山の人。文卿の長子。名は義武。通称は五右衛門。天保3年に高山大火の火元となったため半田村へ転居。後に帰郷して家業を再開。山崎弘泰に歌を学ぶ。(斐山語草・高山市史)
国府村史P535
〔農家童子訓〕これは木曽垣内石原茂右エ門家に保存されて居るが、弘化五年の春、高山
町の富家津野芳仙(糸問屋 福島屋清右エ門の事)故あって半田村の田屋に住居中、寺子屋を営んでいた折、津野作幼童に諭し教えた本である。全文産業篇の章に載せてある。

P877
農家童子訓
弘化五年春 高山の人津野芳仙(福島屋清右エ門)故あって半田村に寓居中、寺子屋を営んでいた。今に芳仙の著「農家童子訓」が、石原茂衛門家に保存してある。

夫農家に生れし子供等は幼少より耕作の道に心をゆだね、万取実のおふきことを専一心懸へし、朝は夢を払ひ疾く起て田畑の稼に由断せず、晩には星をいたゞきて家に帰るへし、食事は命を繫く為衣類は寒を凌く為なれは随分粗服を着すへし、食は稗、粟、麦の類常にしょくす可、農家分限とは是なるへし、其分限を弁へす美服美食に飽又は其食を嫌ひ他の職の真似する人は、いつしか親の譲りの田も畑も家蔵迄も他人の物と成へし、假て言はゞ烏は黒き鳥なれど、鵜の真似をして川江入魚を取食はんとすれは、天より受たる我職分にあらされは水に溺て苦痛して果は命を失へしかくのことく人間も士農工商と職分の隔あれは、天授の職分を嫌ひ金の職の真似する人は鴉の假に異なる事無、油断すな子供等よ慎や子供等よ、酒は百薬の長とて程能呑めは随分薬なり終日の労を治し気血を廻らし邪気を払ふて実に百薬の長成へし、是も分量を知らす呑過れは一杯人酒を呑、二杯酒さけを呑、三杯酒人を呑との俗語のことく田畑家蔵迄も呑つくし、後にて命迄丸呑にして妻や子供に難儀を見するそや、夢々油断すへからす、呉々も我職分に愉怠なく勤むへし、紋日休日なんとには必書物を見るがよし、物の道理も能く分り五常の道もよく知れる万物の長たる人間に生れ来て、人間の道も勤も知らすして一生果る其人は鳥獣に近きぞや、油断すな子供等よ、慎や子供等よ、実に惜しき事ならすや、子供等子供等能く聞よ、かぼちゃのつるに牡丹は咲かぬ、桜の枝に糸瓜はならぬ、汝等人の種なら人と成れ、人の中ても人と成れ、鮪や鰯といわれんよりいっそ腐っても鯛といわれよ。
                      松下隠士津野芳仙作
陋叟
半田むら寓居の頃三除之暇近隣の子供等に拙き手跡を学はしむ農家の童子等往々人の微助となれかしと農家童子訓と題して陋叟をつらつら食前に是を読しむ成人の従聊身をおさむるの一助ともならんかと老陋がいっへんの老婆心のみ   芳仙情叟

■津野槇雄(生年不詳~明治3(1870))
文卿の六男。太六と称する。京都へ移り、国学者の大橋長広に学び歌をよくする。(斐山語草)

■津野五三二(梧窓)(天保7(1836)5.1~明治23(1890)11.12)
神職・糸問屋・狂句判者。高山の人。号は千岐・路春・蘿園・歩月・梧窓。福島屋五右衛門と称する。山崎弘泰に和歌を、貫名海屋に南画を学ぶ。日枝神社(高山市)と水無神社(宮村)の神職。(斐山語草・日枝神社史)


徳積善太

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