昨日の自己レスです。
本日、富山の日枝神社さんに確認したところ、江戸時代に2回大火があり、史料をほとんど焼失したそうです。
1707年に、祭礼で屋台か山車を曳いていた記録がありますが、詳しくはわからないそうです。
明治の中ごろまで、数台の山車があったそうですが、それも第二次世界大戦の空襲で焼失し、どのような
形であったかなど、現在は何も確認する史料がないそうです。
書類の中に、「明和8卯年に~」という記述があり、明和9年以降のものである事がわかりました。
これは、大発見です。
分析してみたら、行列数が141の役割から成っており、車に関わっている記録を15人で曳いた(他の屋台
などから推定)した場合に、総勢1298人の人たちが行列に関わっている事が分かりました。
これは、高山祭りの行列のほぼ倍の数字です。
やはり、富山は前田家のお膝元という事で、ものすごい数の氏子達によって、祭礼が行われていたようです。
また、東照宮神輿、山王御輿、日光神輿の順で、お神輿が担がれており、当時は3つの神社の祭礼を
同時に行っていたようです。
氏子の区域も現在の日枝神社の区域とは異なっており、とても貴重な史料である事が分かりました。
徳積善太
お電話を頂いた者とは別の平尾です。先日来より、何かとご配慮いただきありがとうございます。お電話を頂きましてからいろいろ調べました結果長者町は富山藩にはなかったことが解り、残念ながら当社の祭礼ではないことが判明致しました。調べの中で該当する社は、おそらく名古屋市中区丸の内2-3-37鎮座の東照宮であると思われます。http://white.ap.teacup.com/applet/syumoku/28/trackback こちらのページを御参照下さい。
今後共、宜しくお願い申し上げます。