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プロフィール
rekisy
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飛騨に住んで40年。文化の町「高山」に住んでいながら、知らないことが多い事に気づきました。少しでも、皆さんに知っていただくために、文化のまちおこしを目指します。 「歴史」と「音楽」のまちづくりを目指します。応援してください!
<所属研究会>
飛騨の匠学会 所属
立川流彫刻研究会 後援会会員
山王祭 神楽組 所属
日枝雅楽会 会員
倭舞保存会 責任者
飛騨歴史民俗学会 会員
飛騨古川ふるさと案内人会 準会員
下呂検定2008合格者

元 金森顕彰会 理事
日本ホスピタリティ学会 関西支部 客員聴講者
佐藤一斎研究会 客員会員
オーナーへメッセージ

2008年04月07日

4月7日放送分「高山まつりの屋台の不思議2」

みなさん、こんにちは。この時間は、飛騨歴史再発見のコーナーです。
このコーナーは、飛騨の生涯学習者 第2号 わたくし、ながせきみあきがお届けしてまいります。

さあ、来週は春の高山祭り・古川祭りが行われます。自然のほうもそろそろ、梅や桜のつぼみが開いて
きた頃でしょうか。天気予報の桜前線のたよりが大変気になるところです。今年は、4/14が桜前線の
到来日と言う予報です。 

さて、各屋台組では、祭りの飾りつけ、「屋台やわい」があちこちで行われていますね。最近ではたいてい、
祭りの前の土曜日か日曜日に行われるところが多いですね。これは、勤め人の方=サラリーマンの人が
多くなってきたので、土日に行うところが多くなりました。ところが、昔は、この屋台を分解して各家に保管
していたので、とても一日で屋台をやわうことなどできなかったと思います。一週間くらいかかったでしょうか。
 これは、江戸時代末期になって江戸屋万蔵=俗称 江戸万という人が左官の技術を高山に伝えてから、
大きな屋台蔵を造れるようになって、いちいち分解をしなくても良くなったために、屋台やわい、屋台かたづけ
の方法まで変わったということです。

さて、この放送ですが、今日で一年がたちました。今月からも、毎週月曜夜7時半からと毎週土曜朝10時半
から、こちらは再放送でお届けしています。
来週は、高山祭りと古川祭りがありますので、どちらにも共通するお話をしたいと思います。
今日の放送は先週予告をお話しましたように、「高山の屋台の不思議 パート2」と題して、「屋台にま
つわる不思議なお話」をしたいと思います。
先週のこの放送では、どちらかというと、匠の技術 屋台の構造とゆれ。上げ下げする方法。戻し車に
ついてお話しました。今日は、デザインの事を中心にお話しましょう。

私の尊敬します故 老田剛先生が、かつて高山短大で屋台の講義や講演を行っておられた事があります。
先生の書かれていた資料をもとに、私なりに考察を加え、補足して飛騨春秋に掲載していただいたことが
ありますが、その中に私の知らないことがたくさんありました。

さて、高山祭りの屋台ですが、高山の屋台と古川の屋台の大きさと形はほぼ同じものになっています。
この形ですが、非常にバランスの取れた、安定した印象を与えていると思いませんか? この大きさ
ですが、人間が感じる美についての比率というのがあります。これは、直角三角形の比率で、
1:2:√3という比率が一番きれいだそうです。
  
(龍神台と八野さんの作った五重塔、法隆寺のパンフレット)

高山の祭り屋台も、法隆寺の五重塔も、実は同じ比率になっているそうです。では、どうしてこの比率が
生まれたかというと、これは、差し金で図ったものだからだそうです。差し金というのは、大工さんが使う
直角になっている金尺のことですが、あの差し金一本を使って、この比率を出しているそうです。
したがって、お寺の屋根の傾斜とか五重塔とか、屋台とか、大工さんは差し金を上手に使って長さを
出しています。
大工の棟梁にお聞きすると、屋根の勾配などは、この差し金の裏目というものを使って、1:1:√2に
仕上げていて、これを専門用語でかねこうばいというそうです。すべて差し金でを使って、2つの直角
三角形の組み合わせで設計しているから同じ比率になるということです。

次に、屋台の形ですが、高山は独特の形です。この形には、全国にいろんな形があって、その主なもの
には、京都の祇園祭の山鉾型。岸和田のだんじりのような、だんじり型。高岡の山車のような高岡型。
山車の部分にからくりのついた名古屋型。屋台の上に人形を乗せた江戸型など、だいたいその地方に
よって形が異なります。
私は、このどこの形よりも、高山の屋台の形が好きですし、いちばんすっきりしている形だと思っています。
これは偏見でもなく、公平に見た上での話です。

この形が、一般的になるのは、高山では文化文政期のことですが、高山市郷土館にある「文化年間の
屋台絵図」には、先ほど申し上げた、型のうち、江戸型。祇園型。高山型の混在しているものを見ること
ができます。

たとえば、今は焼けてなくなってしまいましたが、本町2丁目の応龍台という屋台は、昔は頼政といって
源頼政の物語を演ずるからくりを載せていた屋台ですが、この屋台には上段・下段がなく、屋根のかわり
に、おそらく本物の桜の木をつけていたのでしょう。上段にあたるところに、大きな桜の木が一本、つけられ
ていて、その前のところにからくりを演じたであろう人形がすえつけられていました。

また、八幡の屋台の中では、船鉾台というのがありましたが、これは、現在の八百津や久田見にあるような
山車によく似た形で、舟の形をした屋台でした。

古川で変った形といえば、子供が歌舞伎を演じる白虎台です。これは高山古川で最も古い形態をしていると、
今はなき大野先生が話しておられました。

さて、この辺で、ちょっとブレイクしましょう、曲は「キャンディーズで そよ風のくちづけ」をお届けします。

今日の「飛騨歴史再発見」は、「高山祭りの屋台の不思議」というお話をしています。
前半は、屋台の形の話をしましたが、後半では、名前とデザインのお話をしていきましょう。まず、名前に
ついてお話します。

 皆さん、各屋台に名前がありますが、それぞれ、どうやってつけられたかご存知ですか? 実はそれぞれ
の屋台にそれぞれの意味があるのですが、全てをお話しすると時間がいくらあっても足りませんので、今日
は代表的なものをお話します。まず、神楽台ですが、高山も古川も共通に決められている事があります。
それが、この神楽台が、必ず行列の先頭を行くという事です。一番のルーツは、上一之町の山王神楽台に
あります。

この屋台の太鼓の後ろのところに旗がありますが、私たちは剣旗(けんばた)と呼んでいます。ここに2つの
文字が書かれています。それは、「無遺」「対物」となっています。何もない「無」と遺恨を残す「遺」。「対物
(たいもつ)」は自動車保険に使われている対物保証の「対物」です。
 
これは、直訳すると、「この屋台が通った後に、物や遺恨を残さない。」という意味になりますが、郷土館長の
田中先生によると、その意味が意訳されて、『あまねく神々の光が、四方八方に照らされる』という」意味
だそうです。
これは、中国の四書に書かれている言葉だそうです。つまり、神様の行列が通るときに、常に先頭で獅子舞
を行い、道を清め、そして四方八方からくる怨念を払いのけるという意味があります。したがって、飛騨の
どこの神社においても、獅子舞は必ず行列の先頭を行くならわしになっているのです。

 次に、これは、高山の山王祭と古川祭りにしかありませんが、「三番叟」というのがあります。これは、謡曲
の三番叟からとったもので、必ず神楽台に順じ、他の屋台よりも先に曳かれる慣わしになっています。なぜか
というと、これは謡曲の世界では、一番先に演じられる演目だからだそうです。高山では、からくりがあって、
舞を舞っている童子が、舞い終わると箱に顔を突っ込み、顔を上げると老人に変化している、といった内容の
ものですが、浦島太郎の玉手箱と同じストーリーですよね。お話の筋からすると、子孫繁栄、子孫長久を祈った
ものです。

 名前の話は、まだまだ沢山ありますが、このほかの屋台の名前は、からくりから来るもの。陰陽道から来る
もの。四書から取られたもの。仙人の名前のもの。などがあります。

名前の話は、このくらいにして、デザインの話をしたいと思います。まず、各屋台組には、それぞれの台紋=
屋台の紋 というのがあります。これは、屋台の名前にちなんだものや、屋台のからくりにちなんだものが
多いです。たとえば、本町1丁目の琴高台は、鯉に乗った琴高仙人にちなんで作られていますので、魚の
鯉を正面から見たものを図案化しています。


春秋の鳳凰台や高山春・古川の麒麟台などは、それぞれ鳳凰・麒麟を図案化しています。
    
動物を図案化したものは、このほかに獅子、蝶々、龍、龍の手、雀などを図案化
したものがあります。

また、文字を図案化したものは、春祭りの神楽台のように、神楽の楽しいという字を
図案化したもの。


古川の三光台のように、3つの光を組み合せた物。


古川青龍台のように青の文字を図案化したデザイン。


三番叟の曳き子の着物のように翁の文字を図案化したものなどがあります。

それぞれ興味を持ってご覧になってください。

 次に、屋台の幕ですが、一般的に最近では赤が使われています。これは、猩猩の血で染めたといわれる
幕ですが、これが使われるようになったのは、文化文政以降です。それまでの幕は、山王の五台山や鳳凰
台のように、刺繍した幕や、色も赤ではなくて紺・黒・水色を使ったものもかつての屋台にはありました。
最近発見した高山の黄鶴台の幕には、黄色のおしどりが刺繍されていて、その背景の幕は陣屋の正面に
ある青海波の模様の入った紺色の幕でした。

現在は、古川の青龍台組の幕として、古川の祭り会館に保管されています。

 時間が無いので、最後に中段の彫刻と見返りの後ろ幕ですが、彫刻は、先日の放送のように、諏訪の
和四郎の彫刻が五台山に取り付けられてから、高山の屋台に一般的に成りました。
それまでは、ボタンとか花の彫刻に色を施したものが多かったのですが、白木のままで木目を出すものは、
一大センセーショナルとなって広がっていきました。
見返り幕は、どこの屋台組も自慢の一つで、たいていのところが2枚以上持っていて、日によって替えたり、
特別なときに替えたりしています。一枚しかないところは、火災に遭ったり、その幕自体が高価なもので
あったために替えられないという事情もあったようです。八幡の鳩峰車台のものは、最近修理したとき
数千万したそうです。

さて、今日もお時間となってしまいました。来週は、「舞を奉納する采女と古川祭り」に関するお話しを
したいと思います。どうぞお楽しみに。  今日は、この曲でお別れです。「ふきのとうで 風来坊」 
ではまた来週。

徳積善太
(一部修正し、放送と異なりますので、よろしくお願いします)

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