2008年04月21日
4月21日放送分「戦国時代 飯山一党のこと」
みなさん、こんにちは。この時間は、飛騨歴史再発見のコーナーです。
このコーナーは、飛騨の生涯学習者 第2号 ながせきみあきがお届けしてまいります。
4月もすでに第3週目に入りました。皆さん、この放送聞いていただいてますでしょうか?
昨年の4月から、すでに1年が経過しました。先週の放送で、何と50回目の放送となりました。
10月からは一人でお伝えしておりますが、よくこれだけ、ネタが続いたなあと思っていますが、
高山はそれだけ、ネタの宝庫なんです。
私も、生涯学習者といっているだけあって、知らない事ばかりで、いろいろと調べているうちに
自分が持っていた疑問が解けたり、また新たな疑問にぶつかったり。この番組をやらせて
いただいているおかげで、大変勉強になります。今後とも、できるだけ、わかりやすくお伝え
したいと思っていますので、よろしくお付き合い下さい。
ただし、間違っていることもあろうかと思いますので、間違いがあった場合は、是非ともお知らせ
いただきたいと思います。よろしくお願いします。
さて、今日の放送は先月のこの週にお話した、金森が飛騨に侵攻する前のお話の続きをしたい
と思います。
以前の放送をもう一度、振り返ってみましょう。室町時代初期には、姉小路・江馬・廣瀬という
豪族がいて、公家や寺の所有する土地を略奪して大きくなっていきました。
室町時代後期になると姉小路は3つに分裂して、京極氏が台頭してきました。
その家来が所領を治めることで、当時の飛騨には、たくさんの豪族となっていきました、
というお話をしました。
先月の放送では、白川郷近辺を治めていた内ケ島氏のお話と、照蓮寺を作った三島将監と
いう人が戦争をした後、和睦してお互いに縁戚関係となったんですが、天正の大地震で帰雲山
の崩落と共に滅んだお話をしました。
今月も、数々の軍記物をもとに、お話したいと思います。高山近辺の軍記物で、今日伝わって
いるのは「飛騨略記」「飛騨治乱記」「飛騨国治乱記」「飛騨太平記」「飛騨軍乱記」「飛騨群鑑」
「通夜物語」などという本があります。
いずれも江戸時代になって書かれたものですが、それぞれの内容が少しづつ異なっており、
郷土史研究をしている者にとっては、信頼性がうすいうえに、頭の痛いものになっています。
といいますのは、どれもが異なっているので、研究をする者にとっては大変なんです。
たとえば、年号が違っていたり、関わった人が異なっていたりします。
どうしてもこれらの本は、聞き書きが中心となっていますので、少しづつ異なってくるんです。
また、当時は、コピーといった物がありませんから、前の人の書いた物を、次ぎの人が写して
書き残しました。どうしても、書き間違いや、読み間違いといったことも出てきます。
ですから、そういったものを鵜呑みにすると、間違ったままで伝わってしまうと言う事になります。
そのために、どの本から写したか。それはどの時点で書かれたものかなどということが大事に
なってきます。
私も数多くの本を見比べて見て、「あ、ここは前のと違う」とか、「これは向こうの本では○○さん
になっていた」とかいう分析が必要になってきます。ですから、こうやって原稿を作るのも結構
大変なんですよ。
さきほどご紹介した軍記物のほかにも、「飛州志」「斐太後風土記」「願生寺由来記」「岷江記」
「飛騨編年史要」「寿楽寺大般若経奥書」などという史料などがありますし、軍記物でも、飛騨
以外にも信長のことを書いた「信長公記」ですとか、武田信玄のことを書いた「甲陽軍鑑」です
とか、上杉謙信のことを書いた「謙信公年表」などという軍記物もあります。
したがって、あらかじめ、お断りしておきますが、私がこの放送でお話している事は、あくまで、
「こうであろう」という物語でありますことを、お断りをしておきます。
さて、後半はいよいよ、飛騨の戦国時代のお話に移ってまいります。今日は、飯山一党の事に
ついて、お話します。
飯山党とは、現在の石浦町と千島町の境目に、飯山寺(いいざんじ)というお寺があります。
そこを治めていた飯山氏の一族の事を言います。現在は、41号バイパスのところに、エクス
リース商会がありますが、そこの裏にあるお寺のことです。かつてそこには、飯山氏という
一族が、お城を持って、知行していました。
城主は飯山三郎兵衛保氏という人で、その祖先の飯山三郎兵衛保重と言う人は源氏の
貴族でした。平治の戦のときに鎌倉より流浪して飛騨に蟄居しました。
さて、ちょっとここでブレイクしましょう。曲は、岩崎宏美で「思い出の木の下で」。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今日の飛騨歴史再発見は、飛騨の戦国時代のお話をしています。
あるとき、この保重が夢を見ます。自分の城館の西にある山の上に、古い松の茂林ありましたが、
其中に老松が三株ありました。その木の下に灮明赫奕(こうみょうかくやく)たる救世観音の尊像が
あらわれ、彼にむかってお告げをされました。
観音様がおっしゃるには、「保重よ、私はあなたに縁のある者です。私はこの西方の教主 阿弥陀
如来の命を受けて、法界に群類を生まらせたい。早く私の体を別室に安置して、阿弥陀佛を以て
家の本尊としなさい。朝夕、弥陀の名号を称えれば安楽を得て子孫が必ず長く久しく繁栄するでしょう。」
とお告げになりました。
保重は、夢が覚めて、不思議に思ってすぐに西山の松林のところへ行ってみると、古松が生い
茂っていて、その光景は夢の中と同じものでした。その林の中へ行ってみると、老松のところに、
金色の観音様がそこにいらっしゃいました。保重は、大変喜んで、すぐにその林の中に祠を建造し、
その観音様の尊像を安置して、霊松院と名附けました。
保重は、この時より家紋を改めて、三株の老松を使うことにしました。のちに保重はなくなりますが、
代々にわたってこの地を治める事になりました。彼がなくなった後、この霊場は真言蜜教の宗派の
お寺として生まれ変わりました。庶民が拝礼の時、少しばかりではありますが、ご志納をいただくなど
して、お告げの如く飯山の一族は、次第に繁昌していったということです。
飯山氏が真言宗のお寺を建造した頃、三木氏は則綱の代でした。
彼は、長男の綱良に家督を相続させ、四男頼綱を千光寺に遣し尊海阿闍梨という偉いお坊さんに
附けて出家をさせました。この人は出家して尊超と号しましたが、それは学業にすぐれたお方でした。
彼は、三世常恒という偉いお坊さんにもついて、即身即佛の証を得た人です。後に常憲寺というお寺に
住んで大僧都法印乗空と号しました。
年老いてからは浄土真宗に帰依して、本願寺の門徒を集めて遊仙房という道場を起こして、阿弥陀如来
を本尊として祀りました。「阿弥陀如来を常に信ずれば必ず子孫長久なるべし」という飯山家のご先祖に
お告げがあった通りにしたということです。
さて、そのころ、宮村の山下というところには、山下刑部左衛門利国と云う人がいました。彼の家は数代
水無神社の宮司としてお勤めしてまいりましたが、利国の代になって、自分は神社を去って神楽山と云う
所に居館を構えて、最終的には一ノ宮水無神社領を掠(かす)め取ってしまいました。
彼の力が大きくなる前に退治してしまおうといって、三木氏は、内木助左衛門善秋という人を使って、
飯山の城と、山下の両城について、「利国の悪逆を討て神様の力を得よう」と宗徒の者たちに働きかけて、
速に討手を差し向けようとしました。
しかし、どこから漏れ聞こえたのか、山下利国は、急ぎ軍勢を整えたので、戦争になりました。
利国はすぐに押し寄せて、早いうちに勝負を決そうとして、其夜、手勢を引き連て阪下というところに
押し寄せ、火を懸けて夜討に仕懸けました。 内木善秋は、手傷を負った上に、士卒の大半を討死に
させてしまいました。もうこれ以上は防戦が難しいと、善秋は、只一人夜に紛れて信州へ落ちて行き
ました。
丁度そのときに内木善秋の弟の善龍は兄の怪我を治してほしいと、毎日、身を粉にして佛神の加護を
いただくようにお祈りを重ねながら反逆の機会を窺っていました。
善龍は、内木の残党を集めて多勢山下の居城を取り囲んで日夜合戦をしていたところ、三木氏と飯山氏が
協力して攻めたために、利国は篭城かなわずついに居城を攻出され、ついに宮峠にて内木善秋によって
討たれました。
そのとき、一緒に戦った飯山三郎兵衛は三木より、飯山に居住することを許されました。
永禄の頃、三左衛門保貞の代になって、三木自綱が松倉に新しく城を構えたとき、三木氏が飯山の所領を
奪おうと霊松院を焼払って攻め寄せたので、今は矢長に思とも叶ふべからずと自害して果てました。
しかし、子の新左衛門と弟の新右衛門の二人は逃げ延びて彼方の山奥でじっと時を待ち、のちに金森法印の
家来となって自綱没落の後も金森家に仕えて子々孫々、忠臣の家名を残していったということです。
これも、霊験あらたかな観音様のお導きであったと言うお話でした。このつづきは、またしたいと思います。
さて、今日の放送はこの辺で。来週は、第4週目ですので、飛騨の匠のお話をしたいと思います。
今日はこの曲でお別れです。松田聖子で「Rock’n Rouge」ではまた来週。
徳積善太
このコーナーは、飛騨の生涯学習者 第2号 ながせきみあきがお届けしてまいります。
4月もすでに第3週目に入りました。皆さん、この放送聞いていただいてますでしょうか?
昨年の4月から、すでに1年が経過しました。先週の放送で、何と50回目の放送となりました。
10月からは一人でお伝えしておりますが、よくこれだけ、ネタが続いたなあと思っていますが、
高山はそれだけ、ネタの宝庫なんです。
私も、生涯学習者といっているだけあって、知らない事ばかりで、いろいろと調べているうちに
自分が持っていた疑問が解けたり、また新たな疑問にぶつかったり。この番組をやらせて
いただいているおかげで、大変勉強になります。今後とも、できるだけ、わかりやすくお伝え
したいと思っていますので、よろしくお付き合い下さい。
ただし、間違っていることもあろうかと思いますので、間違いがあった場合は、是非ともお知らせ
いただきたいと思います。よろしくお願いします。
さて、今日の放送は先月のこの週にお話した、金森が飛騨に侵攻する前のお話の続きをしたい
と思います。
以前の放送をもう一度、振り返ってみましょう。室町時代初期には、姉小路・江馬・廣瀬という
豪族がいて、公家や寺の所有する土地を略奪して大きくなっていきました。
室町時代後期になると姉小路は3つに分裂して、京極氏が台頭してきました。
その家来が所領を治めることで、当時の飛騨には、たくさんの豪族となっていきました、
というお話をしました。
先月の放送では、白川郷近辺を治めていた内ケ島氏のお話と、照蓮寺を作った三島将監と
いう人が戦争をした後、和睦してお互いに縁戚関係となったんですが、天正の大地震で帰雲山
の崩落と共に滅んだお話をしました。
今月も、数々の軍記物をもとに、お話したいと思います。高山近辺の軍記物で、今日伝わって
いるのは「飛騨略記」「飛騨治乱記」「飛騨国治乱記」「飛騨太平記」「飛騨軍乱記」「飛騨群鑑」
「通夜物語」などという本があります。
いずれも江戸時代になって書かれたものですが、それぞれの内容が少しづつ異なっており、
郷土史研究をしている者にとっては、信頼性がうすいうえに、頭の痛いものになっています。
といいますのは、どれもが異なっているので、研究をする者にとっては大変なんです。
たとえば、年号が違っていたり、関わった人が異なっていたりします。
どうしてもこれらの本は、聞き書きが中心となっていますので、少しづつ異なってくるんです。
また、当時は、コピーといった物がありませんから、前の人の書いた物を、次ぎの人が写して
書き残しました。どうしても、書き間違いや、読み間違いといったことも出てきます。
ですから、そういったものを鵜呑みにすると、間違ったままで伝わってしまうと言う事になります。
そのために、どの本から写したか。それはどの時点で書かれたものかなどということが大事に
なってきます。
私も数多くの本を見比べて見て、「あ、ここは前のと違う」とか、「これは向こうの本では○○さん
になっていた」とかいう分析が必要になってきます。ですから、こうやって原稿を作るのも結構
大変なんですよ。
さきほどご紹介した軍記物のほかにも、「飛州志」「斐太後風土記」「願生寺由来記」「岷江記」
「飛騨編年史要」「寿楽寺大般若経奥書」などという史料などがありますし、軍記物でも、飛騨
以外にも信長のことを書いた「信長公記」ですとか、武田信玄のことを書いた「甲陽軍鑑」です
とか、上杉謙信のことを書いた「謙信公年表」などという軍記物もあります。
したがって、あらかじめ、お断りしておきますが、私がこの放送でお話している事は、あくまで、
「こうであろう」という物語でありますことを、お断りをしておきます。
さて、後半はいよいよ、飛騨の戦国時代のお話に移ってまいります。今日は、飯山一党の事に
ついて、お話します。
飯山党とは、現在の石浦町と千島町の境目に、飯山寺(いいざんじ)というお寺があります。
そこを治めていた飯山氏の一族の事を言います。現在は、41号バイパスのところに、エクス
リース商会がありますが、そこの裏にあるお寺のことです。かつてそこには、飯山氏という
一族が、お城を持って、知行していました。
城主は飯山三郎兵衛保氏という人で、その祖先の飯山三郎兵衛保重と言う人は源氏の
貴族でした。平治の戦のときに鎌倉より流浪して飛騨に蟄居しました。
さて、ちょっとここでブレイクしましょう。曲は、岩崎宏美で「思い出の木の下で」。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今日の飛騨歴史再発見は、飛騨の戦国時代のお話をしています。
あるとき、この保重が夢を見ます。自分の城館の西にある山の上に、古い松の茂林ありましたが、
其中に老松が三株ありました。その木の下に灮明赫奕(こうみょうかくやく)たる救世観音の尊像が
あらわれ、彼にむかってお告げをされました。
観音様がおっしゃるには、「保重よ、私はあなたに縁のある者です。私はこの西方の教主 阿弥陀
如来の命を受けて、法界に群類を生まらせたい。早く私の体を別室に安置して、阿弥陀佛を以て
家の本尊としなさい。朝夕、弥陀の名号を称えれば安楽を得て子孫が必ず長く久しく繁栄するでしょう。」
とお告げになりました。
保重は、夢が覚めて、不思議に思ってすぐに西山の松林のところへ行ってみると、古松が生い
茂っていて、その光景は夢の中と同じものでした。その林の中へ行ってみると、老松のところに、
金色の観音様がそこにいらっしゃいました。保重は、大変喜んで、すぐにその林の中に祠を建造し、
その観音様の尊像を安置して、霊松院と名附けました。
保重は、この時より家紋を改めて、三株の老松を使うことにしました。のちに保重はなくなりますが、
代々にわたってこの地を治める事になりました。彼がなくなった後、この霊場は真言蜜教の宗派の
お寺として生まれ変わりました。庶民が拝礼の時、少しばかりではありますが、ご志納をいただくなど
して、お告げの如く飯山の一族は、次第に繁昌していったということです。
飯山氏が真言宗のお寺を建造した頃、三木氏は則綱の代でした。
彼は、長男の綱良に家督を相続させ、四男頼綱を千光寺に遣し尊海阿闍梨という偉いお坊さんに
附けて出家をさせました。この人は出家して尊超と号しましたが、それは学業にすぐれたお方でした。
彼は、三世常恒という偉いお坊さんにもついて、即身即佛の証を得た人です。後に常憲寺というお寺に
住んで大僧都法印乗空と号しました。
年老いてからは浄土真宗に帰依して、本願寺の門徒を集めて遊仙房という道場を起こして、阿弥陀如来
を本尊として祀りました。「阿弥陀如来を常に信ずれば必ず子孫長久なるべし」という飯山家のご先祖に
お告げがあった通りにしたということです。
さて、そのころ、宮村の山下というところには、山下刑部左衛門利国と云う人がいました。彼の家は数代
水無神社の宮司としてお勤めしてまいりましたが、利国の代になって、自分は神社を去って神楽山と云う
所に居館を構えて、最終的には一ノ宮水無神社領を掠(かす)め取ってしまいました。
彼の力が大きくなる前に退治してしまおうといって、三木氏は、内木助左衛門善秋という人を使って、
飯山の城と、山下の両城について、「利国の悪逆を討て神様の力を得よう」と宗徒の者たちに働きかけて、
速に討手を差し向けようとしました。
しかし、どこから漏れ聞こえたのか、山下利国は、急ぎ軍勢を整えたので、戦争になりました。
利国はすぐに押し寄せて、早いうちに勝負を決そうとして、其夜、手勢を引き連て阪下というところに
押し寄せ、火を懸けて夜討に仕懸けました。 内木善秋は、手傷を負った上に、士卒の大半を討死に
させてしまいました。もうこれ以上は防戦が難しいと、善秋は、只一人夜に紛れて信州へ落ちて行き
ました。
丁度そのときに内木善秋の弟の善龍は兄の怪我を治してほしいと、毎日、身を粉にして佛神の加護を
いただくようにお祈りを重ねながら反逆の機会を窺っていました。
善龍は、内木の残党を集めて多勢山下の居城を取り囲んで日夜合戦をしていたところ、三木氏と飯山氏が
協力して攻めたために、利国は篭城かなわずついに居城を攻出され、ついに宮峠にて内木善秋によって
討たれました。
そのとき、一緒に戦った飯山三郎兵衛は三木より、飯山に居住することを許されました。
永禄の頃、三左衛門保貞の代になって、三木自綱が松倉に新しく城を構えたとき、三木氏が飯山の所領を
奪おうと霊松院を焼払って攻め寄せたので、今は矢長に思とも叶ふべからずと自害して果てました。
しかし、子の新左衛門と弟の新右衛門の二人は逃げ延びて彼方の山奥でじっと時を待ち、のちに金森法印の
家来となって自綱没落の後も金森家に仕えて子々孫々、忠臣の家名を残していったということです。
これも、霊験あらたかな観音様のお導きであったと言うお話でした。このつづきは、またしたいと思います。
さて、今日の放送はこの辺で。来週は、第4週目ですので、飛騨の匠のお話をしたいと思います。
今日はこの曲でお別れです。松田聖子で「Rock’n Rouge」ではまた来週。
徳積善太

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この記事へのコメント
飯山寺といえば、ここに平治の乱で敗れた
源氏の棟梁・源義平(悪源太・頼朝の長兄)が
隠れ住んだという話が有りますが、
飯山氏は恐らくその郎党なんでしょうね。
源氏の棟梁・源義平(悪源太・頼朝の長兄)が
隠れ住んだという話が有りますが、
飯山氏は恐らくその郎党なんでしょうね。
Posted by まこちん.
at 2008年04月23日 12:09
at 2008年04月23日 12:09まこちんさま>訪問いつもありがとうございます。
飯山氏の出自はわかりません。頼朝の長兄が移り住んだんですか。その話は知りませんでした。
確か、悪源太義平は、あちこちに伝説があったんではなかったですか?
飯山氏の出自はわかりません。頼朝の長兄が移り住んだんですか。その話は知りませんでした。
確か、悪源太義平は、あちこちに伝説があったんではなかったですか?
Posted by rekisy at 2008年04月25日 00:18




