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プロフィール
rekisy
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飛騨に住んで40年。文化の町「高山」に住んでいながら、知らないことが多い事に気づきました。少しでも、皆さんに知っていただくために、文化のまちおこしを目指します。 「歴史」と「音楽」のまちづくりを目指します。応援してください!
<所属研究会>
飛騨の匠学会 所属
立川流彫刻研究会 後援会会員
山王祭 神楽組 所属
日枝雅楽会 会員
倭舞保存会 責任者
飛騨歴史民俗学会 会員
飛騨古川ふるさと案内人会 準会員
下呂検定2008合格者

元 金森顕彰会 理事
日本ホスピタリティ学会 関西支部 客員聴講者
佐藤一斎研究会 客員会員
オーナーへメッセージ

2008年04月28日

4月28日放送分「飛騨の匠 坂下甚吉」

みなさん、こんにちは。この時間は、飛騨歴史再発見のコーナーです。
このコーナーは、飛騨の生涯学習者 第2号 私、ながせきみあきがお届けしてまいります。

もうすぐ、待ちに待ったゴールデンウィークですね。皆さん、今年はどこか行かれますか? 
とはいえ、高山は観光地ですから、稼ぎ時なんで仕事ですという方も、私を含めて多いのでは
と思います。
ガソリンが一時的に値下げになりましたが、このゴールデンウィークの自家用車は多いでしょうか?
少ないでしょうか? 最近、ゴールデンウィークに高山市内の国道が渋滞するということも見られ
なくなりましたが、たくさんの方が高山に来てくださるといいですね。

 さて、この放送ですが、一年が経過しました。振り返ってみると、最初の半年はゲストをお迎えして
の放送でした。生放送ということもあって、どんなお話が飛び出すのか、一応原稿を作って臨みました
が、少ない時間の中でやりとりをするのが大変だった覚えがあります。数えてみましたら、のべ20人
のゲストの皆さんにご出演いただきました。ご出演下さった方には、ありがとうございます。
 10月以降は、私一人でお届けしてまいりましたが、その都度、原稿を作ってまいりました。
だいたいいつも時間を計算しながら原稿を書くのですが、A4の用紙に2枚くらいを作っています。
書ける内容については、一気に2枚くらい書いてしまうのですが、本を丸写しにすると言葉が難し
かったり、昔の言葉で書かれていて意味が伝わりにくかったりしますので、何度も見直して原稿を
校正します。これが結構時間がかかるので、毎週毎週がたいへんでした。

それにしても、飛騨とか高山とかいうところは、よくもまあこれだけ話題があるものだと、毎回感心
しながら原稿を書いています。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

 今日の放送は、先週予告いたしましたとおり、飛騨の匠についてお話したいと思います。今まで、
飛騨の匠については、
飛騨の匠の祖といわれる藤原宗安の直系といわれる水間相模家。
社寺仏閣をたくさん建造した松田太右衛門一門。
谷口与鹿で有名な高山まつりの屋台をたくさん作った谷口家一門。
屋台の建造や別院の大門を造った村山陸奥守一門。
水間相模について学んだ石田家一門の話をしてまいりました。
今日は、明治時代以降にその一門と肩を並べるくらいであった坂下家一門についてお話します。

 坂下家のことは、5代目以降の事しかよくわかりませんが、5代の甚蔵さんが、江戸の中期に活躍し、
6代も甚蔵を名乗り、七代目以降は代々甚吉を襲名しました。
一番たくさんの建造物を作られるのが、7代目・8代目のときで、明治から昭和にかけて、たくさんの
建造物を高山市街地や周辺に建造しました。

それぞれの代の坂下家の代表的建造物をあげますと、
5代目の建造物は、城山の裏、春日町にある大隆寺の本堂です。
この建造物は、お寺の本堂としては小さなもので、どちらかというと一般の住居建造物と同じような
作り方をしています。柱も五寸角の細い各柱で、古い形態をしています。
また、この人の残した建造物は、高山の素玄寺の前にある絵馬殿が、彼の作品である事がわかりました。

これは、蔵の中に長い間、保管されていた素玄寺の五重塔があったのですが、その五重塔に棟札が
ついていて、その中にこの五重塔とともに絵馬殿の建造もされていたことがかかれていました。
時に、天保13年(1842)のことです。

六代目の甚吉さんは、どうも大工の仕事をしていた記述は少ないとされていますが、唯一、清見町藤瀬の
神明神社が彼の建造物ではないかと推定されているくらいで、今日まで主だった建造物が確認できて
いません。それもそのはず、奥さんの年令からすると七代目の甚吉さんを生んだのが16歳のときですので、
六代目と七代目の年令差があまりなく、調査された建造物がほとんど七代目のものになっているということ
があります。
これは推定ですが、安政4年(1857)建造の大雄寺六角堂や、江戸時代末期に建造された、了心寺本堂、
黄金神社などは、この人と七代目の共同作品ではないかと推定されます。

さて、ちょっとここでブレイクしましょう。 今日の曲は「松山千春で 季節の中で」
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今日の飛騨歴史再発見は、飛騨の匠 坂下甚吉家についてお話しています。

さて、七代目の甚吉さんは、松田太右衛門から流を汲む、大工で有名な笠原家で修業を行いました。
彼の作品といえば、先ほどのもののほかに、芳国舎の渋草焼きの製陶所や、郷土館の文庫蔵などがあげられ
ます。この郷土館の文庫蔵は、現在の郷土館の第二展示室として使用されていますから、皆さん一度は入った
ことがあるのではと思います。

さて、七代目の子供の八代目甚吉さんが大変すごい人で、彼が坂下甚吉の名を世に知らしめたといっても
過言ではありません。彼の作品は、今でも、高山市街地にたくさんの建造物を見ることができます。
主なものを上げますと、
市の文化財になっています高山測候所、勝久寺本堂、正雲寺本堂、押上邸本館、永田邸本館、
平瀬酒造場、


善応寺本堂
などたくさんの建造物があります。
その中でも、高山の三町の中心地にある旧高山町役場。
これは、現在は市政記念館として使われています。中に入りますと、特に二階の議場として使われていた
場所は、すべてが格天井になっていますが、天井の隅のところが、曲線を描いた構造になっていて、非常に
美しい天井になっています。
また、建物の周囲に張り巡らされている鉄柵は、花柄のハイカラなデザインのもので、最近になって当時の
ものを復元されたものです。

これは、東京神田の鋳物問屋 田中精之商店に特注で頼まれたもので、飛騨の文明開化の象徴であるとか、
古今未曾有のものであると、「飛州」という雑誌に取り上げられた事があります。
この鉄柵には逸話があって、東京から高山まで運んでくるのに、いったん桑名まで船便で運び、高山までは
荷馬車で運びましたが、途中悪路のために13枚ほど大破して一悶着して、破損分は引き取らせて再生させ、
完全品しかがんとして受取らなかったということです。

また、その南にあります、現在は中田邸になっていますが、三星(みつぼし)製糸所の建物。
このどちらも、洋風建築を意識したもので、それまでの社寺建築にはなかったトラス構造というものをふんだんに
使った建造物になっています。
トラスというのは、梁の上に木を三角形に組む方式で屋根を支える構造です。この建築方法では、柱をなくすこと
ができるために、下部の部屋を広く取ることができました。
建築における飛騨の文明開化を積極的に取り入れた建造物です。

彼は、当時の大檀那様であり、初代の高山町長だった永田吉右衛門の肝煎りで、群馬県の富岡製糸場や
東京へ勉強に行き、西洋の建築技術を学んできました。当時の富岡製糸場は、政府が殖産興業政策のため
に、西洋の技術を取り入れ、フランスの協力を得て生糸産業の近代化を推し進めたもので、全国的に工場の
建造物の模範となっていました。
また、押上邸の洋館なども、この建築技術が取り入れられていたようです。

これらの建造物は、白壁が特徴ですが、このころの左官技術は、土に漆喰ではなく石灰を混ぜたものを使用
したらしく、それまでの漆喰を使って仕上げる技法とは異なる斬新な方法を取り入れられていたようです。
したがって、坂下甚吉が東京へ勉強に行っていたときには、おそらく左官の人や、建具師、表具師なども
一緒に東京へ行き、飛騨の建物の文明開化のために技法を勉強してきた事でしょう。

9代目の甚吉さんは、8代目の44歳の時の子供として生まれました。彼は早いうちから大工の技術を学び、
若くして棟梁を勤めるくらいの技術の持ち主でした。彼は、父親の手伝いをしながら、
国分寺の庫裡、
護摩堂、
飛騨天満宮拝殿、
高山日赤など数多くの作品を仕上げています。
中でも昭和5年には、
霊雲寺本堂、
神明町鉢ノ子地蔵堂、
円光寺鐘楼、
清傳寺本堂(甚吉設計・高原常三棟梁)、
勝久寺本堂、塩竈金清神社社殿、住吉神社(松本町)本殿、護国神社大神宮拝殿・渡殿、
大黒台修理など、ものすごい数の仕事をこなしていますが、2年後の昭和7年にわずか28歳の若さで
なくなってしまいました。今思うと、過労死だったのではと思います。

大工としての坂下家は、彼の代で終りますが、8代の甚吉さんが下島さん、畑さん、八野さんをはじめ
たくさんの弟子達を残しました。現在でもその末裔の皆さんが飛騨の匠としてご活躍をされています。

さて、今日の放送もこの辺で時間となりました。来週は、GWですので、話題を変えて高山のまちなみに
ついてのお話をします。では、この曲でお別れです。 矢野顕子で「春先小紅」。ではまた来週。

徳積善太

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この記事へのコメント
先日はありがとうございました。早速メールまでいただいていたようで。
パソコンが(キーボードですけど)悲惨なめにあいまして、本日復活しました。
しかしよう勉強してみえますね。SAXいつ練習するんですか?
Posted by ドラムおやじ at 2008年04月29日 00:43
いつ練習しようか。

時間が無い。。。。。

今日は、エコーの練習日でした。

HDのバックアップとっていたので、今年の1/27までのデータは大丈夫でした。
Posted by rekisy at 2008年05月01日 01:42
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