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プロフィール
rekisy
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飛騨に住んで40年。文化の町「高山」に住んでいながら、知らないことが多い事に気づきました。少しでも、皆さんに知っていただくために、文化のまちおこしを目指します。 「歴史」と「音楽」のまちづくりを目指します。応援してください!
<所属研究会>
飛騨の匠学会 所属
立川流彫刻研究会 後援会会員
山王祭 神楽組 所属
日枝雅楽会 会員
倭舞保存会 責任者
飛騨歴史民俗学会 会員
飛騨古川ふるさと案内人会 準会員
下呂検定2008合格者

元 金森顕彰会 理事
日本ホスピタリティ学会 関西支部 客員聴講者
佐藤一斎研究会 客員会員
オーナーへメッセージ

2008年06月09日

6月9日放送分 高山~江戸までの行程

(6月9日放送分)
みなさんこんにちは。飛騨歴史再発見のコーナーです。このコーナーは、飛騨の生涯学習者第2号
 わたくし、ながせきみあきがお届けしてまいります。

さて、6月に入り、もう2週目となりました。学校に行く子供達の制服を見ると、いままでは黒の学生服
だったのが、カッターシャツになって、「ああ、もう衣替えなんだ」と思います。私達社会人には、あまり
衣替えは関係ないように思いますが、これから暑くなりますから、夏風邪などに気をつけてください。

お蔭様で、この放送も、だんだんリスナーが増えてまいりました。最近では、まちで知りあいの人に
お会いすると、「放送聞いているよ。がんばってくださいね。」「ためになります。それにしてもよく知って
いるなあ。」などと励ましのお言葉をいただくようになりました。
なるべく、わかりやすい放送を心がけてまいりますので、今後ともどうぞ応援してください。

この放送のバックナンバーのほうは、再三お伝えしておりますが、ひだっちブログのほうにも掲載
させていただいていますので、一度ご覧下さい。番組に対する要望、調べてほしい事などもござい
ましたら、なるべくお調べしてお話したいと思いますので、どうぞ、ヒッツFMのほうへ、ファクスなり
メールなりでお問い合わせ下さい。

さて、今週は、先週予告いたしましたように、リスナーの方からお手紙をいただきましたので、
それについて、お知らせしたいと思います。お手紙を下さったのは、高山市内にお住まいの
「白井さんです」。ちょっと御紹介します。

「長瀬さんこんにちは。いつも放送を楽しく聞かせていただいています。大変勉強になります。
ところで、江戸時代に高山から江戸へ行くのに、どのルートを通ったか、お調べいただけませんか?」
ということでした。

白井さん、お手紙いただき、ありがとうございます。私も、街道のことについては、そんなに詳しくありま
せんので、早速調べてみました。こういうものは、地図で調べるに限ると思って、まず、私の知りあいの
方で、古地図を集めておられる方に相談しました。
そうすると、書棚から、嘉永六年ですから、150年前の地図を持ってきてくださいました。

江戸時代には、高山に日下部徳平さんという、出版業の方がおられたんですね。そこの古地図でした。
高山も含めて、全国に行くにはどういったらいいか、携帯用の地図を出版されていたようです。
スポンサーは川上きどうという人。この人は、豪商川上家の人ですから、こういった旦那衆がスポンサーに
なっていたんですね。

昔の人は、今のようにカーナビなどないわけですから、こういう地図を頼りに、自分の足の痛みとも
相談して、「あと何里歩くと、どこどこに宿があるから、そこまで目標に歩いていこう」などと考えたのだ
と思います。こういった地図を見ながら、旅の行程をたどってみるのも、大変面白いですよね。

さて、江戸への行程ですが、現代の行程ですと、3種類があろうかと思います。皇居まで行く事を
考えてみましょう。
まず、高速バスの行程。高山発のバスに乗って、中央高速で新宿へ。行くというパターン。
これですと、片道6500円で、大体新宿まで4時間半から5時間の行程です。そこで、JR中央線に
乗り換えると、東京駅まで特別快速で16分です。

また、JR高山線ですと、特急ひだで、名古屋まで最短2時間16分。東京までのぞみで1時間半です
から、全行程で4時間半くらいなどという行程になります。ただ、料金は、片道で計算すると大体13000円
くらいですか。結構しますね。

また、私はもっと楽に、という人は、高山から車で富山空港へ1時間半かけて行って、そこから羽田へ。
45分のフライト。そこから、京浜急行で品川を通って、JRで東京駅へ24分。ただしこちらは
飛行機のチェックインがありますから、だいたい1時間くらい余分にみたとして4時間くらいの行程に
なろうかと思います。料金は片道16000円です。

私はどれも利用しないで、いつも、松本まで車で行って、そこから高速バスで、東京へ行きます。
実は一番安いし早いんです。安房トンネル経由で、片道約4500円の4時間という所要時間です。
一度御利用下さい。
ちょっとここでブレイクしましょう。曲は6月はジューンブライドということで「シュガーのウェディングベル」 

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------       」
今日の飛騨歴史再発見は、江戸までの行程についてお話しています。
さて、現代の行程を、長々とお話しましたが、実は、江戸時代の行程は、どのルートも通っていないこと
がわかりました。

江戸時代に高山からどの行程を通ったか、八野忠二郎先生の「飛騨一日一話」という本に、こんな記述が
あります。

寛政12年(1800)に、小出郡代が江戸から高山陣屋に赴任されるときに、通ったルートが示されています。

それによりますと、江戸板橋から、中仙道を通り、軽井沢を経由し、和田峠を通って、下諏訪に出ます。
そして、そこから南進して飯田を抜け、中津川をまわり、下呂を通って、高山に入っています。
家族同伴で、馬七頭と人足37人を継ぎたてながら、12泊という行程で、高山にたどり着いています。
江戸から中山道経由で、総行程385kmの旅でした。単純に12泊13日という事ですので、13で割ると
一日約30kmの旅ですが、天候その他で非常にムラがあり、2日目の大宮~深谷宿の間が、46km。
逆に速度が落ちるのが、中仙道から飛騨路へ入った馬籠から付知までの21kmでした。
その費用については出ていませんが、相当な費用がかかったものと思います。

当時の郡代クラスですと、ちょっとした大名と同じ扱いになるわけですから、手代が先回りして、郡代様の
御到着を宿場に知らせます。宿に着くたびに、手代が馬ですとか人足を手配しておくわけですから、
郡代の赴任というのは、大変なことだったと思われます。

さて、現代のルートを考えてみると、中央高速もJRの中央線も、下諏訪から甲府を抜けて八王子へ出て
います。しかし、当時の行程では、なるべく急峻な山岳地帯や、崖の部分はなるべく避けたいと思ったに
違いありません。当時も現在のルートと同じルート、甲州街道がありましたが、途中、小仏峠などの難所が
ありました。

また、古地図をもとに、里程を計算してみると、新宿から下諏訪まで甲州街道経由が、52里45宿。
板橋から軽井沢経由で下諏訪までが49里77丁、で29宿という数字が計算できました。
字が細かいので若干の計算間違いもあろうかと思いますが、家族を連れての3里の差、つまり12kmの
差は大きいですよね。

また宿数をみても楽に通れたことがわかります。そんなわけで、甲府(甲州街道)を通るのではなく、
大宮~軽井沢~和田峠~下諏訪という中仙道を通っていたのではないかと思います。

一つの地図からいろんなことがわかりますから、面白いですね。


また、下諏訪から高山へは、野麦峠や日和田越えも越えたでしょうが、冬の雪が多いときなどは避けた
でしょうし、非常に急峻な為、必ずしも安全とは言えなかったようです。

江戸時代の地図を見ると、長野側の寄合渡から野麦までは峠道を含む4里(16km)の区間に宿がなく、
また、木曽福島から日和田を越えて朝日の中宿までの4里の区間も宿がありませんでした。
当時の宿場町は、1里半から2里ごとに宿場町がありましたから、そんなに長い区間に宿がないというのは、
人も通らず、危険だった。だから旅行者はなるべく避けたという事がいえると思います。

もうひとつ、この野麦を通ったという記録では、安政五年(1858)に、増田郡代の手代、森出集助は、野麦峠越の、
江戸~高山の最短距離337kmを九日間で踏破しています。一日の速度が37.4kmでした。
非常に早いですよね。

また、別のルート、東海道を通って江戸に行くルートでは、寛政元年(1789)に、大原騒動の吟味を終えた
万年三左衛門らの一行は、萩原~中川辺を通り、小牧村から東海道を通る480kmのコースを14日間
かかっています。距離にして90km。中仙道より2日も余計にかかっています。

また、急飛脚は、7日間で行ったようです。こちらは、馬で夜通し走ったのですから、一般の旅行とはちょっと
異なりますね。

白井さんの、お手紙のおかげで、私も大変勉強になりました。ありがとうございました。
また皆さんも疑問に思うことをこのコーナーにお寄せ下さい。私なりにお調べしたいと思います。

 さて、これで時間となりました。来週は、第三週目ですが、先月のお話の続き、高山のまちづくりパート2
いや、第三週目ですから、古川のことについてお話したいと思います。

今日は、この曲でお別れです。太田裕美で「雨だれ」  ではまた、来週、お会いしましょう!

徳積善太

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