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プロフィール
rekisy
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飛騨に住んで40年。文化の町「高山」に住んでいながら、知らないことが多い事に気づきました。少しでも、皆さんに知っていただくために、文化のまちおこしを目指します。 「歴史」と「音楽」のまちづくりを目指します。応援してください!
<所属研究会>
飛騨の匠学会 所属
立川流彫刻研究会 後援会会員
山王祭 神楽組 所属
日枝雅楽会 会員
倭舞保存会 責任者
飛騨歴史民俗学会 会員
飛騨古川ふるさと案内人会 準会員
下呂検定2008合格者

元 金森顕彰会 理事
日本ホスピタリティ学会 関西支部 客員聴講者
佐藤一斎研究会 客員会員
オーナーへメッセージ

2008年06月23日

6月23日放送分_運材について1

(6月23日)みなさんこんにちは。飛騨歴史再発見のコーナーです。
このコーナーは、飛騨の生涯学習者 第二号 私 ながせきみあきがお届けしてまいります。

さて、サッカーのワールドカップが始りました。それが終ると北京オリンピックです。これから夏場に
かけて、甲子園ですとか、スポーツの祭典がニュースになる季節になりましたね。すでに皆さんの
周りでも、子供が部活動で大会があるとか、予選があるとかっていいながら、あちこち飛び回って
おられる方もあろうかと思います。どうぞ、道中の交通安全には充分気をつけてください。
また、お酒を飲む機会も増えると思いますが、どうぞ、酒気帯び運転、飲酒運転はくれぐれもなさら
ないようにお願い申上げます。

 今年に入って、隣の大陸では、5月の始めにミャンマーでのサイクロン被害、四川大地震での
大地震被害など、自然災害が続いています。お亡くなりになった方には、改めて御冥福をお祈り
したいと思います。
さいわい、日本で自然災害がないのがありがたいですが、備えあれば憂い無し。もし、地震に
あったら。台風の被害にあったらどうするか。そういうことを考えて行動することは、必要です。

 ちょっとここでお知らせですが、先日、昨年行いました飛騨の匠展のサブ事業、市民勉強会の
記録小冊子が発表されました。私も、谷口与鹿の講演をさせていただきましたので、当日にお話
した内容と、それまで観光協会の広報紙に連載してまいりましたものを一つにまとめて掲載させて
いただきました。
谷口与鹿について、それまで老田先生が書かれたものや、岐阜県が発行した漫画しかありません
でしたが、伊丹に行ってからの与鹿のことや、老田先生がお調べにならなかったことを補稿して
書上げましたので、一度ご覧いただければと思います。

今年の勉強会は7月5日から飛騨センターで始ります。郷土館長の田中館長など3人の方が
シリーズでお話されるようですが、それに申し込みをするとこの本がおまけで着いてくるそうです。
この本について、講演会については、飛騨センターのほうへお問い合わせいただきたいと思います。

 その小冊子の中に、現代の匠 高原建設の高原さんの記述があります。大工の組み手について
のことがものすごく詳しく載っています。高原さんがおっしゃっていましたが、「地震のときなどに、
こういった昔ながらの組み手を使っていれば、建物が地震でつぶれるという事はなかった。
ところが、現代の建築物は、組み手などは使わず、ほとんどが釘を打ち付けて止めている建物
だから、どうしても柱と柱の間にはすかいといって、斜めの木組みが必要になる。
しかし、それすら手を抜いて建物が建てられているから、どうしても地震などには弱く、家が倒れて
しまい、たくさんの犠牲者がでるんだ。」ということでした。

 確かに、阪神大震災のときも、建物の柱と柱の間に、斜めの「はすかい」というものをつけた
建物や、アメリカで開発されたツーバイフォーの建築物は、倒壊をまぬがれました。
今回の中国の大地震では、建造物のなかでも、小中学校の建造物の倒壊が大きな話題と
なりましたが、大体の建物が柱と天井の枠を作っただけで、壁はレンガを一面に敷き詰めたもの
です。むこうでは、内装は、入居する人が自分でリフォームするという考え方が主流です。

私も以前、海外に住んでいましたときに知ったのですが、中国人の発想では、ブレイクアンドビルド
という考え方ですので、建物にはあまりお金をかけません。日本人のように同じ建物に何年も住む
のではなく、20年くらいすると壊して立て替える。ライフスタイルを新しい生活で行うといった考えが
主流なので、あまり建物にお金をかけず、内装にお金をかける人がほとんどです。

昨年の飛騨の匠展で紹介された、実物の組み手、展示会では仕口となっていましたが、展示され
ている木組みがまるでパズルのようで、なかなか外れませんでした。
そういう日本人の細かい技術があれば、あれだけの死者が出なかったのではと思います。
そういうところに匠の技術は生きているんですね。

あれ、地震の話で済んでしまいましたね。後半は予定のお話をしましょう。ちょっとここでブレイク。
曲は、「イルカで 雨の物語」をお届けします。

さて、今日のお話は、4週目という事で飛騨の匠についてのお話をする週ですが、今日は、江戸時代
の材木の運材方法について、お話したいと思いますが、とても一日でお話できるような内容では
ございませんので、シリーズでお話ししていきたいと思います。

 飛騨というところは、金森氏が入国したのが天正十四年で、いまから400年前のことです。
もちろん、それ以前にも、両面宿難の時代があり、飛騨の匠が都へ行ったという話があり、
古代寺院が建造されたなどという話があるわけですが、いつの時代も、注目されていたものが
ありました。それは、「山」です。

 山には、豊富な資源としての山林があります。また、掘れば鉱山としての鉱脈があり、金銀銅、
鉄、鉛が取れます。そういう資源が注目されてきたんですね。
なかでも、人間の生活の中で、衣食住は大切な三大要素ですが、日本人は昔からこの住を考えた
ときに、木の建物に住む習慣を持っていました。

そのため、人は、山から木を切り出し、その木を削って建物を作ったり、家具を作ったり、生活の
道具を作ったり、信仰の為の仏像を作ったりしてきました。本当に木は、日本人の生活を豊かに
してきた資源だったんですね。
 おそらく、人口の密集地、いわゆる都といわれた地域では、最初は、近くの里山から伐り出した
に違いありません。しかし、木は育てるのに、何年もかかります。一旦伐ってしまうと、もう近くには
ありませんから、どんどん奥山に伐りに行くようになります。そうすると、山奥に行けば行くほど、
今度は持ってくる事を考えなくてはいけない。折角伐った木でも、その場所から都まで運べなければ、
その木はただの倒木になってしまいます。

そんなわけで、人々は自然の川を利用した「運材」ということを考え出したわけです。

 また、人が密集すると、火事や地震という災害にあう、被害も多くなってきました。日本人は、
そういった歴史の中で、壊されては建て、また壊されては建て、材木がなくなれば、どこから
持ってくるか=だんだん奥山からということを繰り返してきたんです。
また、木を伐り過ぎてしまえば、今度は水が一気に流れてくるから、水害が起きる。そうして、
また建物が壊されて、また作る。今度は、水害に遭うと困るから、山に植林をして育てることを
考えるようになった。ですから、山と人間の生活というのは、切っても切り離せない、そういう
関係があるのです。

今で言う、「飛騨の匠」というのは、単に木を削って建物を建てる人のことを言うのではなくて、
こういった奥山からいかにして伐った木を運び出すか、そういった技術も含めて、木に関わる
技術を持った人のことを言ったのではないかと思います。

 三重大学名誉教授で郷土館名誉館長の八賀晋先生は、昨年の学会での発表の中で、
「両面宿難はそま匠の棟梁だった」ということをおっしゃっていました。飛騨人のもともとの
ルーツは、飛騨の匠に代表されるような、山仕事を最も得意とする民族集団であった。
そういう技術を持っていた人たちの集まりだったから、奈良時代には、非常に重宝されて、
全国の国分寺・国分尼寺の建造に携わるようになり、有名になった。
その時には、これだけの建造物を作るのに、木はどのくらい必要か。これだけの材料を
どこから伐りだすか。どうやって持ってくるか。どのくらいの人足が必要か。
そういうことができる技術者集団が飛騨の匠だったということです。

さて、今日も時間となりました。このお話は次回から具体的にお話しすることにしましょう。
来週は、今日のお話の続きをお届けしたいと思います。今日はこの曲でお別れです。
曲は「ツイストで 燃えろいい女」
ではまた来週、お会いしましょう!

徳積善太

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