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プロフィール
rekisy
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飛騨に住んで40年。文化の町「高山」に住んでいながら、知らないことが多い事に気づきました。少しでも、皆さんに知っていただくために、文化のまちおこしを目指します。 「歴史」と「音楽」のまちづくりを目指します。応援してください!
<所属研究会>
飛騨の匠学会 所属
立川流彫刻研究会 後援会会員
山王祭 神楽組 所属
日枝雅楽会 会員
倭舞保存会 責任者
飛騨歴史民俗学会 会員
飛騨古川ふるさと案内人会 準会員
下呂検定2008合格者

元 金森顕彰会 理事
日本ホスピタリティ学会 関西支部 客員聴講者
佐藤一斎研究会 客員会員
オーナーへメッセージ

2008年12月08日

12月8日放送分_梅村騒動のもう一つの理由

(12月8日放送分)みなさんこんにちは。飛騨の歴史再発見のコーナーです。
この番組は、飛騨の生涯学習者第二号 わたくし、長瀬公昭がお届けしてまいります。

さあみなさん、早いものでもう今年も12月に入りました。そろそろ忘年会シーズンでしょうか。
いろいろとお酒を飲む機会も増えると思いますが、どうぞ、飲酒運転だけはなさらないで
下さい。高山市内には代行サービスもあります。そういうものをご利用下さい。
最近、ニュースの殺人事件などで、自分だけがよければ。自分だけがむしゃくしゃして
気晴らしになったからといって人を殺すケースがありますが、飲酒運転で人を殺してしまえば、
そういった殺人事件となんら変わりのないものとなってしまいます。
一緒に飲んでいた人、飲んでいたお店、そういった人たちにも迷惑が掛かりますから、何卒、
独りよがりの飲酒運転だけはやめていただきたいと思います。

さて、今日の放送ですが、先週、予告をいたしましたように、梅村騒動のもう一つの理由に
ついてお話したいと思います。梅村騒動とは皆さんご存知だと思いますが、江戸の時代から
明治の時代になって、梅村速水という知事が赴任してきました。その急進的な改革によって、
困った飛騨の人たちが、この知事を飛騨から追い出そうと明治2年に起した騒動の事です。
ここで、梅村騒動について、少し振り返ってみましょう。

江戸幕府が15代将軍 徳川慶喜の大政奉還によって、300年の歴史にピリオドを打ったのが、
慶応4年(1868)年のことです。丁度今、NHKの大河ドラマ天承院篤姫でも取上げられている
時代の話ですが、王政復古の大号令とともに、それまでの幕府を中心とした政治から、天皇を
中心とした政治に切り替わりました。それまでのシステムが一変するわけですから、それは
それは大変な騒ぎだったことでしょう。

しかし、飛騨のような田舎では、おそらく民衆には、不安の方が先にあったものと思われます。
今までの年貢はどうなるのか。生活はどうなるのか。ちゃんとやっていけるんだろうか。
そういった目前のことが一番の心配事だったのではと思います。
新しく樹立された明治政府では、こういった地方に、鎮撫使を派遣して、徳川幕府の世が
終った事。新しい政府が樹立して新政府による政治が行われる事を知らせることが最も
重要な事でした。現代のように、インターネットやテレビ、新聞などで報道がされる時代では
ありませんでしたから、いわゆる高札を掲げる為に、人間が各地に派遣されました。

飛騨では、現在も高山陣屋の中にありますが、竹沢寛三郎という人が派遣されて、
「天朝御用所」という高札を高山陣屋の玄関に掲げ、幕府の世の中が終った事を誇示しました。
到着するやいなや、筆を持ってあわてて書いたために、一番下の所という文字が小さく書かれて
いるなどという面白いエピソードもあります。

さて、その竹沢寛三郎という人が去った後、新しく作られた飛騨県に赴任して来た人が、
梅村速水という人でした。当時若干27歳の若き青年政治家でした。彼の取った新しい政策は、
たくさんありますが、だいたい次の4つがあります。1つは、商法局の設置。                   
2つは、殖産興業を進め、産業の奨励を行いました。
3つは、山方米の廃止。山方の仕事をする人たちに、それまでは安い米=大体市価の半額。
で米を支給されていましたが、それを中止しました。
4つは軍隊の設置。驟雨隊という軍隊を組織して、金山の下原などで軍事演習などを行いました。

この急進的な改革が、民衆に受け入れられず、「憎くき知事を排除しよう」と暴動へと発展して
いったのが「梅村騒動」という騒動です。
最初は、高山の打ち壊しに始まり、古川の消防組の人たちと軍隊のこぜりあいへと続き、
その消防組の一隊が暴発して、旦那衆の家や、警察隊を組織していた浄土真宗西派の
人たちのお寺や関係者の家を打毀し、家財道具を焼き捨てるなどという行為を繰り返しました。
そこへ、出張中の梅村が飛騨に入るとの情報が入って、高山の消防組の一隊と一緒に
「飛騨に梅村を入れるな」と、萩原まで追っかけていった。
そこで銃を撃つなどの騒動になり、梅村は命からがら、加子母方面へ逃げていった。
というのが、梅村騒動の簡単な顛末です。

このお話については、フィクションですが、江馬修氏の「山の民」という小説に書かれてい
ますから、一度ご覧になられるといいと思います。ちょっとここでブレイクしましょう。
 曲は「山口百恵 ロックンロールウィドウ」をお届けします。
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本日の飛騨歴史再発見は、梅村騒動が起ったもう一つの理由と称してお話しています。

梅村知事というと、どちらかというと「飛騨の人たちには、急進的な政治を早く進めすぎた悪人」
といったイメージが大きいのですが、若干27歳の若い人が知事として赴任してきたわけですから、
すごい優秀な人材だったと思わずにはいられません。彼の精神は、今の世でも通用するような
施策が多いように思います。

ところで、本日のテーマ、梅村騒動が起ったもう一つの理由ですが、最近発行された、東京の
江戸東京博物館の資料に面白い記事を見つけました。それは、この梅村騒動の起る2年前から、
相当なハイパーインフレになっていたというグラフです。
まず、銀の公定相場がそれまで金一両に対して60匁だったのに、98匁と1.5倍。銭相場もそれ
までの6500文に対して8500文と1.3倍。
米相場も天保の飢饉の時でさえ米一石が銀147匁であったのが、1327匁と実に10倍以上の
物価高になっていたのです。

当時のお金の単位を今のレートに換算した金額がいくらだったのか、ちょっと難しいのですが、
仮に当時の職人の賃金と現代の職人の賃金から換算すると、金一両が大体30万円くらい。
米の値段が一両分で55500円位になります。
ちょっとこれでは差がありすぎるので、中間を取りますとだいたい一両が18万円前後といった
ところでしょうか。

米一石が金一両で、銀60匁というのが一つの目安でしたから、仮に18万円で計算しても、
米一石=600kgで18万円。つまりキロ当たりで300円となります。それが天保の飢饉の時には、
キロ当たり735円。明治維新の前の年には、6634円にまで跳ね上がっていたということです。
最近高山の米穀で販売されている、コシヒカリがキロで大体550円くらいですから、主婦の皆さん、
いかに物価が高いことになっていたということですよね。
これでは、やっぱり、生活がやっていけませんよね。
人間、一番気が荒く腹の立つ事が、食べるものを食べていないときといいますから、これでは
騒動に発展しても、無理はなかったんじゃないでしょうか。

さて、このハイパーインフレの原因ですが、実は、開国にありました。
それまで、徳川幕府の政策で、将軍徳川家光の時代から、日本は鎖国をして、ずっと海外との
交易を、長崎の出島だけで行い、オランダや朝鮮以外の国とは交易をしていませんでした。
そのため、日本国内で採れる金や銀の鉱物資源と、米を貨幣として使っていた為に、米の作柄が
不作だったとき以外は、比較的金融は安定していました。

 ところが、この長い眠りを覚ました、蒸気船の到来によって、日本は一気に開国への機運が
高まります。
「泰平の 眠りを覚ます 蒸気船 たった四杯で 夜も眠れず」という歌がありますよね。
浦賀にペリー一行が来日し、開国を求め、安政五年(1858)に日米修好通商条約が締結されます。
今年はそれから150年目との事で、東京や名古屋などで、「ペリー&ハリス展」が開催されました。
名古屋市金山のボストン美術館で12月21日まで開催中ですので一度ご覧になってください。


さて、その開国によって起ったことは、貨幣価値の違いによって、日本から金がどんどん海外に
流出したということでした。
つまり、世界のレートでは金1.8gが一ドル銀貨一枚(銀27g)に相当していたのに、日本国内の
それまでのレートは、金4.8gに相当していました。
実に国際レートの3分の一の価値でアメリカは金を取得することができたんです。

そのため、金が海外にどんどん流出し、国内に流通する金が少なくなって、物価がどんどん上昇
していきました。このことを重く見た幕府の水野忠徳は、ハリスに対して、かなりの主張をしました
が、聞き入れられず、対応の遅さも手伝って、インフレがどんどん加速していきました。

また、先ほどご紹介した「ペリー&ハリス展」にも展示されていましたが、粗悪な貨幣もどんどん
海外から流入し、明治時代の中ごろに流通していた外国貨幣は、実に16%も銀の含有量が少ない
貨幣だったそうです。
そういったこともあって、江戸時代後期から明治の中ごろまで、たくさんの金が海外へ流出して
しまいました。

結果的に、飛騨では「梅村騒動」という大きな騒動がおこり、それが沈着することで、政治的にも
経済的にも落ち着きを見せましたが、こういった大きな流れの中で起ったハイパーインフレによって、
物価高が加速し、民衆の暴動や不満が爆発したものと思われるというお話でした。

さて、本日も時間となりました。
来週は「古川のお話 蛤城主 塩屋筑前守秋貞」のお話をしたいと思います。
今日は、この曲でお別れです。曲は「グレープ 雪の朝」ではまた、来週!

徳積善太


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この記事へのコメント
1石=600キロ  これは4倍の重さですよ
 1石=10斗=100升ですから、
 一升が6kの計算になります間違いですよ。
一升=1.5キロが正しいで。
したがって 1石=150キロです。
1表=4斗=60キロです
現在の1反(10a)当りの米の収量は約600キロ・4石位ですよ。
1石=150キロ=18万円=1,200円/キロ
になると思いますが・・・
Posted by ヒロちゃん at 2008年12月08日 20:46
ヒロちゃんさん>ありがとうございます。
計算間違いしていましたか?
ご指摘ありがとうございます。

キロ1200円だとすると、現在とあまり変わりがないような気がしますね。
Posted by rekisy at 2008年12月09日 00:13
確か、中国とも交易があったと思います。
それと、小栗上野介が交渉して金と銀の交換比率がまともになったと思いますが。。。
ただ、明治維新前後に何か間違いがあったのなら分かりますが。
Posted by 飛騨郎 at 2008年12月09日 01:07
「天朝御用所」の文字は、富田礼彦によるものとされています。
Posted by タンタン at 2008年12月09日 10:38
インフレについては、当時の高山の米相場の検討を岐大の学生さんが卒業論文でとりあげて詳細な検討をされています。
それは雑誌「信濃」に掲載されていますが、名前失念。
Posted by タンタン at 2008年12月09日 10:40
全国的な米相場の変遷はこちらにありました
ttp://roughrice.hp.infoseek.co.jp/Data/Rekisi/tenmei.htm
最近のガソリン価格じゃないですが、
1857年から1867年の10年で米の価格が
4倍になったら、そりゃ庶民はたまりません。
このへんが為替レート不備によるインフレの時代で、
倒幕の遠因になったといわれるくらいですね。

明治に入ってからは全国的な不作が相次いだことも大きな原因ですかね。
飛騨はご存知のように昔は米の輸入国でした。
従って、全国(特に江戸時代は天領ですから江戸)の
米相場が高騰するとたちまちその影響を受けたはずで、天保の飢饉時なども豪商による米買い付け・施米などが無ければ犠牲者はもっと多かったろうと思います。
従ってこの相場で見る幕末と明治初年も、
相当ひどい状況であったことは伺えますね。
それが「糸ひき出稼ぎ」に繋がっていくんでしょう。
Posted by まこちん。 at 2008年12月09日 11:31
たくさんの方がこのブログを見てるんですね
私もいつも楽しみにしています。
明治初期のこの時期が、読者の皆さんにいかに関心があるのか示すバロメーターのようです。

梅村速水は、水戸藩の出身。
当時は世の中を「良くしたい」という熱い思いがあった事は容易に想像できます。
理論的にも政策は間違っていなかったと思います。ただ現実とそぐわないファジーな部分があると理解していれば改革も成功しただろうと考えます。

表舞台に出てくるには早すぎた人物でしょう。
Posted by ひだ桃源郷 at 2008年12月10日 09:10
飛騨郎さん>名古屋の展示では、明治以降に銀の改鋳が行われた粗悪な銀貨が日本に大量に流入していたとのことでした。
16%も粗悪な銀貨だったそうです。

タンタンさん>ご指摘ありがとうございます。来週の放送で、富田礼彦のことを話します。
岐阜大学の資料は、見てみたいものです。

まこちんさん>勉強になりました。
ハイパーインフレになっていた表は、また掲載します。ご覧ください。

飢饉のときに旦那衆が米を買い付けしなかったら、確かにもっと犠牲者は増えていたでしょうね。旦那衆様様です。

ひだ桃源郷さん>はじめまして。訪問ありがとうございます。今回の梅村騒動のお話で、皆さんの関心が強いことがわかりました。

梅村速水のような改革が今の政治に求められているような気がします。
急進的な改革でしたが、惜しい人をなくしたようにも思えますね。
またブログのほう、放送のほう、応援してください!
Posted by rekisyrekisy at 2008年12月10日 22:40
恵那市の恵那神社の神職の方が『梅村さん』です、子孫でしょうかね・・
Posted by ヒロちゃん at 2008年12月15日 22:32
以前、うかがったことが有ります。
親戚の方になるそうです。
Posted by rekisy at 2008年12月15日 22:49
上の画像に書かれている文字を入力して下さい