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和良村の歴史資料館7_鬼のミイラ

和良村には、鬼のミイラが伝わっていて、伝説があります。

以前から気になっていたのですが、その写真が歴史資料館に展示されていました。
和良村の歴史資料館7_鬼のミイラ

粥川寺縁記(要約)   郡上市美並町史参照

濃州郡上郡粥川村高賀山星宮粥川寺由来の事

粥川村高賀山星宮大権現は、藤原氏粥川院「高光公の開社」である。
その由来は、西の岳に妖鬼という化け物が住んでいて、近郷の人々を
悩ましていた。その姿も声も牛に似て、まことに恐ろしい有様であった。
この事を帝に申し上げたところ、妖鬼退治に高光公を、美濃国大谷村
大岳山の麓へつかわされた。
数日後、高光公が大岳へ登ると、身の丈一丈ばかり(約3m)の夜叉
(人を害し食う猛悪の鬼神)が、高光めがけて襲いかかってきた。
高光はこれが妖鬼だろうと討ってかかり、ついに退治して都へ帰った。
その後、悪鬼の亡魂がこの山の頂上に留まり、近郷に現れ、夏に霜を
降らせ、五穀を枯らすなど人々を悩ましたので、重ねて都へ申し上げ
ると、再び高光が派遣された。高光は山々をめぐって、悪鬼の亡魂を
討とうとするが、変化のものであるため、容易に見つからず、近くで
は雉のような鳴き声をし、遠くではほととぎすの声のようであった。
あるときは木尾村の西、片知村の境の岩屋に住み、下田山の釜が滝、
粥川山の石の小屋、大岳の池に住み、ある時は神野山の滝が洞、高賀
山の岩屋堂千駄が蕪の山に住み、地獄が岳の雲の峰と、あちこちを飛
びまわるため退治できず、むなしく月日を送っていた。
高光公は幼少の頃より虚空蔵菩薩を信仰していたので、亡魂退治を
一心に祈っているとお告げがあった。
お告げに従って、片知から頂上を目指して分け登り、待っていると、
大きな鵺(ぬえ=背は黄褐色、腹は白色の鳥、夜ひょうひょうと寂し
い声で鳴く)が飛んでいった。後を追って行くと、大きな岳が三つ
あり、中の岳の南に平野があり、そこに大きな池があった。高光は
この地を不思議に思い、あたりを眺めたが、亡魂の姿は見えなかった。
この時虚空蔵大菩薩が、軍陀利夜叉明王となって現れ、「ここより南
の岳に登って待つがよい」と告げ、蕪矢・かりまたの矢を与え、たち
まち隠れてしまわれた。
高光はお告げに従い、南の岳で待っていると、一丈ばかりのおおきな
鳥が稲妻のような速さで高光をめがけて舞い下がってきた。高光はす
ばやく蕪矢で射ると、命中して射落とすことができた。
かりまたの矢で、大鳥の首をかき切り、剣で死骸をずたずたに切り捨て
前に討った死骸と共に焼いてしまった。その所を骨原と言う。高光は
弓を宮に納め、矢を滝に納めたので、その滝を「矢納めの滝」という
ようになった。
山が静まったので、瓢岳(ふくべがたけ)と名付け、禅定が峰ともいう。
山頂に釈迦如来を安置し、神々を祀った。
その後、橘村より登って、片知の蔵王権現を拝し、奥別当よりはじめ
て入峰するようにした。勅により麓に守護神を立て、大谷村を粥川村
と改めた。
こうした事から、この辺りに、雉や、ほととぎすが来ても鳴くことが
なかった。また棚橋より牛を入れないようになり、その橋を「牛返し
橋」という。
この宮は、瓢岳より東にあって、弓矢を納めた所であり、高光の高の
字を取って、高賀山星宮粥川寺というようにした。
瓢岳の鬼門にあたる那比村に、八王子権現、高賀山厳新宮寺、大日堂
宇婆御前の社、高賀山本宮寺、北に稚児の宮秘竜権現宝珠の石座、岩
には不動明王、西に高賀山蓮花峰寺並に八幡宮大日堂、南に高賀山滝
の宮、片知村には高賀山蔵王権現を建立し、高賀山六ヶ所には虚空蔵
菩薩を安置した。
高光に三人の子があり嫡子高森は粥川に、二男高直は本宮・新宮に住
し、西高賀より滝の宮、片知の蔵王宮に三男高経が住した。
粥川村星宮は、六ヶ所の元祖であり、最初に建立した所であり神名を
星宮大権現という。」

徳積善太
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この記事へのコメント

タンタン さんのコメント

星宮→星祭→節分→鬼 でしょうね。

高光が、サルトラヘビ(ぬえ)を退治したことで著名ですが、洞戸村の方で伝わっている話と比べ瓢ガ岳の地名譚など大幅に違うようですし、興味深く読ませていただきました。

鬼のミイラ、ウ~ン・・・
Posted on 2009年02月12日 09:09

rekisyrekisy さんのコメント

タンタンさん>洞戸にもそういう話があるんですか。本当に詳しいですね。
Posted on 2009年02月14日 01:10

まこちん。 さんのコメント

粥川神社といえば「ウナギ」の話が有名です。
虚空蔵菩薩と鰻の関連は、ことに西日本に多く
鰻は虚空蔵菩薩の化身だとされていることが
その根本にあるらしいですね。

また、虚空蔵菩薩と星(妙見)の関係も深く、
ここも各地の神社などで知ることができます。

もうひとつは、虚空蔵と漆の関係があるらしいこと。
この点などは、飛騨にはかかわりのあることかな~と想像しています。
Posted on 2009年02月16日 16:17

rekisyrekisy さんのコメント

まこちんさん>いつもありがとうございます。
うなぎと虚空蔵菩薩が関係あるとは知りませんでした。

菩薩様なら、食べるということは問題だと思いますが、いいのですかね。

飛騨には、分水嶺から北は、「あじめどじょう」が神様の化身と言うことで食べない風習がありますね。萩原地区では、名産品になっていて、下呂に天皇陛下がお越しになったとき、食されて褒められたそうです。
Posted on 2009年02月19日 02:08

まこちん。 さんのコメント

>rekisyさま
たしか粥川神社の方はウナギ食べないはずです。

アジメも、宮川上流域だけがタブーみたいですね
宮川村や高原川流域では普通に食べてますから
水無神社に関連したタブーだってことでしょうね。
Posted on 2009年02月20日 13:58

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