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<title>飛騨の歴史再発見！</title>
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<description>ヒッツFMにて毎週月曜夜７：３０から放送している歴史番組。（再放送土曜日午前１０:３０より）飛騨の隠れた歴史をわかりやすく解説します。どうぞ応援をよろしくお願いします。</description>
<language>ja</language>
<pubDate>Sun, 01 Apr 2007 23:55:17 +0900</pubDate>
<lastBuildDate>Tue, 15 Apr 2008 22:33:23 +0900</lastBuildDate>
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<title>白真弓の特別展示</title>
<description>白真弓肥太右衛門ってご存知ですか？幕末に活躍した、飛騨白川郷出身の力士です。最近では、古川町の蒲酒造さんのお酒がこの名前で有名ですね。彼の特別展示が、現在、一之宮町 位山文化交流館（一之宮支所横）にて開催中です。皆さんもご覧ください。ところで、彼の伝説は、下記のようになっています。「飛騨の伝説４　白真弓「瀧は白水お寺は御坊、お角力取なら白真弓」大家族、白水瀧、を思い出す白川は、白真弓の出生地である。木谷村の大家族の一員として生まれ名を奥右衛門といった。村一番の力持ちで、牛に荷物をつけて越中へ出て行く時など、細い山道で向こうから荷物をつけた牛の来るのに出会うと牛の腹の下へ自分の両肩をつき込んで、荷をつけたままの牛をかつぎ上げて道の端によけて向こうから来た牛を通してやるのであった。一人前の若者になってから高山へ来て、二之の大阪町屋七左衛門（今の森彦兵衛氏の家）の下男になり、薪一間背負ったり、色々の怪力を出して人々を驚かした。その頃郡代小野朝右衛門が上野ケ原で陣立をすることになって旗手を募った。大きな幟を持って兵士達と進退を共にするには大力がいる。ところがこの撰にあづかって出たのが奥右衛門であった。大男―六尺八寸―の奥右衛門が大幟を持って軍隊の先頭に立って進退する有様は誠に見事であった。この時から奥右衛門の怪力がぱっと町内の評判になった。その後世話する人があって江戸に出て相撲取　浦風林右衛門の弟子となって、名を白真弓肥太右衛門と改め、間もなく幕内力士に加えられ前頭となった。白真弓が最も得意としたのは突きであったが、大力の彼は往々相手を害したので突きの手は一切禁じられていた。それで力のある割合に敵を負かすことは少なかったということである。ところが或時幕府からの命で、外国人と相撲をとって力くらべをすることになったが、突きの手を封ぜられている彼はぐんぐん攻めたてられ危うく負けそうになった。この時、審判の係りをしていた武士が「白真弓、突きの手許す」と呼ぶと、急に猛虎のようにたけり立ち、見事に相手をつき倒したという。安政元年二月アメリカのぺルリが軍艦を率いて浦賀に来り開国を迫った時、アメリカから各種の珍しい品を献上した。そこで幕府は返礼の品を贈った。その内の一品に、米があった。日本人の大力を示してやれと相撲取に運ばせた。白真弓も東の大関　小柳常吉等とその選に入った。そこで白真弓は、背に四俵、胸に二俵、両手に一俵づつ、合せて八俵を持ち、アメリカの軍艦へ運んで行ったので流石のアメリカ人もびっくり仰天したということである。驚くのも尤も、その頃の一俵は五斗入りで目方は約二十貫程あったのである。アメリカ人が白真弓の大力に感心のあまりそのわけを尋ねると、笑って「日本人はおいしい米の御飯を食べ、米からとったおいしい酒を飲むからだ」と答えたということである。」（飛騨の伝説  昭和9年発行 より抜粋）徳積善太</description>
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<category>飛騨の伝説</category>
<pubDate>Wed, 05 Dec 2007 07:30:00 +0900</pubDate>

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<title>飛騨の匠の伝説１</title>
<description>飛騨の匠の伝説について、先に御紹介した「飛騨の伝説」（昭和9年刊行）の中に「飛騨の匠の伝説」がありましたので、ご紹介します。「飛騨の工（その２）いつの頃かたいへんすぐれた腕の飛騨の工がいた。日本国内に並ぶ者がないので、かねて噂に聞く唐の国へ行って修業したいと考えた。ある日鶴が悠々ととんでいくのを見て大いに悟り、身を清め心をこめて大きな木で鶴をつくった。心血そそいだだけあってそれはそれは見事な出来栄えであった。そしてその木の鶴は元気よく羽ばたきをした。工はこれに乗って千人の雲上をかけるように西へ西へと進んだ。程へて越前の国の上空にさしかかった処、この国の弓の名人が怪しいとにらみ、空をかけるこの鶴に向って矢を放ったが、幸に矢は鶴の体にも工にもあたらず翼を射抜きとび去った。その時翼の羽の落ちた処を羽形と呼ぶようになった。工は負傷した鶴をはげまし、とうとう大会を渡って唐の国へ着き、彼の国随一と聞こえた工匠の弟子となり、のち唐の玄宗皇帝のお抱え大工として並ぶ者のない名工となった。長年異国にあった工は、桜咲く大和の国がなつかしく、再び木の鶴に打ち乗って大和の国の都へ帰った。工の帰国後、唐にあった彼の仮の妻が玉の様な男子を産み落した。この子が13歳になった時まだ見たことのない父が恋しく、遂に母の許しを得て便船を求め、長い船旅の浪にもまれ、漸く父の在ます大和の国土をふんだのであった。探し求めて吾が父工を訪ねたが、工はこの子に疑を抱き一室に閉じ込め錠をおろし「お前がほんとうに私の子ならば、この室にこもってこの木で仏像の左半身を刻め。我も亦右半身を造ろう。この二つが合して一体の仏像になったら慥(たしか)に私の子だ。」と言った。やがて各々刻んだのを合わせたら、不思議にも一厘の差もなくピッタリ合って、一体の尊い仏像になった。ここに始めて親子の名のりをあげたということである。　（高山市国分寺の工堂には、この工の木蔵が祀られている。号して飛騨工木鶴大明神と言い、大工の守り神様として信者が多い）」明日は、この伝説の一部にある「羽形＝はかた＝博多」のことである資料を掲載します。徳積善太</description>
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<category>飛騨の伝説</category>
<pubDate>Fri, 30 Nov 2007 20:57:33 +0900</pubDate>

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<title>月ヶ瀬伝説１</title>
<description>月ヶ瀬伝説について調べていましたら、昭和9年発行の本の中に月が瀬伝説の物語がありました。「月が瀬　　　　　　　　「飛騨の伝説　昭和9年刊　小島千代蔵著　P49 より」今日も九郎兵衛は、不愉快な顔をして斧を肩に山を登って行った。後に残った妻も一人娘の信夫をつれて畑仕事に出かけた。九郎兵衛一家は小鳥河に沿う、余部の里に住む水呑み百姓であった。来る日も来る日も暗い中から山仕事に、田畑の耕作に精出しても、暮らしは少しもよくならない。殊に九郎兵衛を暗くしたのは一人娘の信夫のことであった。彼女は生まれつき見るに堪えないような醜い女で、もう２５を過ぎたというのに、誰一人婿になろうという者もない有様であった。夕食後、娘のねた後で父母はいろり端でひそひそ話をしている。「困ったなあ、あの娘には」「早く婿を探さんと私共の行く末も心細くてなりません」「そうだ。俺も毎日毎日よい婿のあるようにと神仏に祈ったり、人に頼んだりしているが何のしるしもないよ」「全く困りました」こんなささやきをもれ聞いた娘はどんなであったろう。夜中泣いて泣いて泣きとおしたこともあった。こうして自分の醜さを呪っている信夫は、一年一夜の楽しい村祭りの夜、あの男も女も老人も子供も踊りくるって夜を更かす場所へ顔を出さなかった。孟蘭盆になって盆踊りがあって毎夜若い男女が心ゆくまで踊るのにここへも信夫は顔を出さない。家にいても面白くない。踊りにも行く気のしない信夫は、家をさまよい出て小鳥川に架かっている名ばかりの橋の上まで来て、青淵に砕けて流れる満月の影を見下して、わが身の不幸をかこっていた。その中に、急にのどが渇いてきたので橋詰から川へ降りて水を掬おうとすると、美しい満月が目の前の水にうつっている。信夫はその月を掬うと皎々たる月影が手に入った。信夫は美しい月影と水を共に飲み干してしまった。このことがあってからこの村の川の面に満月の影が写らなくなったという。ところが、不思議にも醜女信夫の腹はだんだんふくらんできた。九郎兵衛夫婦は娘が名も知れぬ人の子をはらんだのを恥しく思い、遂に我が家から追い出した。信夫は山に隠れて安らかに男の子を産んだ。この子は成人して都に出て立派な工匠となったという。月の子を産んだ村だから天生といい、川瀬の月を掬って飲んだ所を月ヶ瀬ということになった。一説にこの立派な飛騨の工は、鞍作鳥（鳥仏師）だともいわれている。」</description>
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<category>飛騨の伝説</category>
<pubDate>Wed, 28 Nov 2007 23:56:16 +0900</pubDate>

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<title>止利仏師（鞍作止利）について</title>
<description>皆さん、いかがお過ごしですか？ネコ先生から「止利仏師の伝承は、どこまで信憑性があるのか？」とのご質問をいただきました。この時代（飛鳥時代）の出来事というのは、証拠がなく、なかなか伝承の域を出ません。しかし、飛騨には、数々の伝承が残っていることも事実です。今回は、この止利仏師について、お知らせしたいと思います。まず、私の所属します、匠学会が発行した「新飛騨の匠物語」という本には、つぎのように出ています。「この名工の生没年や、生誕地を正史は何も記していない。しかし、飛騨の山中に生まれたという伝承が、今日まで長く言い伝えられている。村の伝説では、止利仏師は同村天生の山中に誕生。１７歳の時に奈良の都に上がり、父多須奈に技術を習って彫刻師となった。その後、法隆寺金堂に安置されている釈迦三尊像など、現在は国宝に指定されている２０数体の仏像を製作したと伝えられている。飛鳥寺（法興寺）の日本最古の仏像といわれる飛鳥大仏、釈迦如来像（６０６年）も止利の作といわれているが、仏像よりお堂が先に完成し、入口より大きい仏像を入れるという不可能なことを、止利の秘技で入口を壊さず、その日のうちに納めたという逸話もある。止利仏師（鞍作 鳥）は、飛鳥時代第一とうたわれた仏師で、わが国仏工の租といわれる。法隆寺の三尊像の光背銘には、司馬鞍首止利仏師と明確に刻まれている。　「日本書紀」は、父を鞍部多須奈、祖父を鞍作司馬達等と記している。司馬達等は中国南梁からの渡来人といわれているが、梁を南梁と呼ぶことは少なく、朝鮮半島の出身であろうという説もある。鞍作部は元来は馬具製作の技術者集団だったそうである。天生伝説では、鳥（止利）の父である多須奈が推古天皇の命により、飛騨に入って材をさがし、河合から白川郷にぬける天生峠で樹を伐ろうと斧を振るうと、樹から血が吹き出したり大荒れになった。そこで多須奈は都に帰って、聖徳太子が１６歳の時に作られた自我の仏像三体のうちの一体を授けられ帰山。天生に安置したところ、それ以後は平穏になり何の異変も起きなかったという。この仏像は平清盛が病気の時に拠出を命ぜられたが、現在では神岡町の吉田常蓮寺にあるという。　月ヶ瀬伝説は、天生峠近くの余部の里の農夫九郎兵衛の娘、忍が満月の夜に川面に映った月を掬って飲みほすと身重になり、生まれた子供は首が鳥に似ているところから鳥と名づけられたという伝説である。これを裏付けるかのように和漢三才図会（江戸時代正徳２年成立の図入り辞典）に、止利仏師は司馬達等の孫であるが、飛騨国鞍作の手為名の子である。天生に来て神女と結ばれ子が生まれた。これが飛騨工となり、と載っている。更に、それにまつわる伝承も幾つかある。いずれにしてもそれらを実証するものは残っていないが、飛騨の山村に長い間伝えられてきたのには、やはりそれなりのことがあってのことと思う。また、止利仏師生誕伝説があるのは、全国でもここだけという。河合村月ヶ瀬には飛騨の匠の碑が建ち、小鳥川には多須奈渕、忍岩、神女の泉と名付けられた場所がある。また、聖徳太子の秘仏を祀ったという跡には、法隆寺の間中定泉管主(1963～1982）の筆による「聖徳太子堂跡」と刻まれた石碑も建っている。天生伝説の場所に建つ飛騨匠堂では匠祭りも毎年行われ、獅子舞とともに勇壮な匠太鼓も披露されなど、村を挙げて止利仏師での地域活性化、村おこしに取り組んでいる。　やはり、ここ河合村は止利仏師ゆかりの地であり、飛騨の匠発祥のルーツなのかも知れない・・・。」飛騨には、鞍作止利の伝承が昔から残っており、月ケ瀬の伝説として今日に受け継がれています。ただし、実証するものが残っておらず、証拠はありません。また、月ヶ瀬という地名は、全国に数カ所あるといわれていますが、近くでは、東名阪自動車道の途中に月ヶ瀬というところがあります。あの場所にはこの月ヶ瀬伝説は残っていないらしいです。そういうことからすると、飛騨に残っているということは、可能性が高いという話になります。明日は、この止利仏師の伝説について、お知らせしましょう。徳積善太</description>
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<category>飛騨の伝説</category>
<pubDate>Tue, 27 Nov 2007 00:04:05 +0900</pubDate>

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