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プロフィール
rekisy
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飛騨に住んで40年。文化の町「高山」に住んでいながら、知らないことが多い事に気づきました。少しでも、皆さんに知っていただくために、文化のまちおこしを目指します。 「歴史」と「音楽」のまちづくりを目指します。応援してください!
<所属研究会>
飛騨の匠学会 所属
立川流彫刻研究会 後援会会員
山王祭 神楽組 所属
日枝雅楽会 会員
倭舞保存会 責任者
飛騨歴史民俗学会 会員
飛騨古川ふるさと案内人会 準会員
下呂検定2008合格者

元 金森顕彰会 理事
日本ホスピタリティ学会 関西支部 客員聴講者
佐藤一斎研究会 客員会員
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2019年10月25日

楠木正成ゆかりの地めぐり1

昨日、大阪のサンケイ新聞さんがお越しになり、高山にある楠木正成ゆかりの地にご案内しました。

1)「嗚呼忠臣楠木正成」の石碑

https://img01.hida-ch.com/usr/h/i/d/hidasaihakken/IMG_0312.JPG

そもそも今回の来訪になったきっかけが、このような石碑が山口にあるとの記述があったからでした。
これは、昭和12年に発行された『大楠公恩師瀧覚御房史蹟』という大八賀村役場にあった、「瀧覚坊顕彰会事務局」発行の
冊子がきっかけでした。
ここには「桜ケ丘八幡神社」のお旅所に在ると書かれていました。

https://img01.hida-ch.com/usr/h/i/d/hidasaihakken/IMG_0293.JPG
山口にある「桜ケ丘八幡神社」

「桜ケ丘八幡神社」宮司の三木宮司さんによると、このような石碑を奉仕して40年になるが見たことがないとの事。

https://img01.hida-ch.com/usr/h/i/d/hidasaihakken/IMG_0295.JPG
サンケイ新聞の新村次長さんと本殿にお参りさせていただきました。

https://img01.hida-ch.com/usr/h/i/d/hidasaihakken/IMG_0296.JPG
桜ケ丘八幡神社のお旅所。 かつては、「山口神社」「楠木神社」などの名称があり、そこには祠が築かれました。
現在は、八幡神社のお旅所として使われています。


https://img01.hida-ch.com/usr/h/i/d/hidasaihakken/IMG_0298.JPG
姉小路基綱の飛騨八所「山口」の石碑

https://img01.hida-ch.com/usr/h/i/d/hidasaihakken/IMG_0300.JPG
田中大秀の句碑

https://img01.hida-ch.com/usr/h/i/d/hidasaihakken/IMG_0299.JPG
平塚家の墓標


結局、周辺部を探しましたが、目的の石碑は発見できませんでした。


地元の方にもお聞きしましたが、このような石碑は見たことがないとの事で、どうやら現存していない様です。

実は、滝町にある高山市史跡「吉野朝ゆかりの伝説地」の記述にもこの石碑の事が書かれていますが、
盗難されたのか、移設されたのか、定かではありません。

http://www.city.takayama.lg.jp/kurashi/1000021/1000119/1000847/1000954/1000976.html

どなたか、この石碑の事をご存知の方がありましたら、お知らせいただきたいと思います。


徳積善太




  
Posted by rekisy at 14:24Comments(0)楠公信仰

2019年07月20日

7月20日の記事

今日の飛騨の歴史再発見は、めでたについて3

宴会のマナーと三町界隈のめでたについて。
めでたが出るまで、席を立ったらいけないのは、いつから始まったか。
めでたの歌詞の意味について、俗説をお話ししています。

ヒッツFM 7月20日 1030〜 76.5Mhz


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Posted by rekisy at 09:52Comments(0)

2019年07月12日

蓮如上人の書状

【蓮如上人の書状をNPO白川郷耕雲塾が購入】

昨日の岐阜新聞一面に白川村付近にいた嘉念坊善俊門徒(白川郷付近にいた浄土真宗門徒)に宛てた書状をNPO法人 白川郷耕雲塾で購入したとのこと。

この書状は10年ほど前から存在が知られており、古物商が押さえていて、中々売却されなかったもの。(750万とあるので、かなり値がつり上がったようです。)

白川郷にとっては大切な書状で、長享の一揆が起こった時に、白川郷の村々でも一揆が蜂起したものの蓮如上人によって止められ、一揆には発展しなかったことを伝えるものです。

また、当時の蓮如上人や子供達と、白川郷の関係を示すものであるだけに、今後の調査が待たれるところでもあります。

飛騨の浄土真宗史には、蓮如上人との関係を示すとても大切な書状です。

徳積善太











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Posted by rekisy at 01:37Comments(1)

2019年07月10日

飢饉の記録

天保8年(1837)飛騨地方は、大旱魃になり、食べ物がないために多くの死人が市内にあふれました。
高山別院の僧は、その遺骸を憐れみ、しゃれこうべだけを北山の御坊山に安置し、その霊を弔いました。
飢饉の記録は、高山市史にはなく、岡村利平さんの『飛騨編年史要』という本に記述がありました。
原本は、御坊山にある石碑の記録を基に作られていることがわかりました。

今回、記録を書き写し、中斉先生に解読してもらいました。

徳積善太
  
Posted by rekisy at 00:37Comments(0)

2019年06月29日

飛騨のめでた考2

今日、めでたについて、新聞社の取材を受けました。

最も広まっているものの1つで、歴史的に一番証拠のないものの1つです。

高山めでた(一般に流布している保浅めでた。)
https://youtu.be/hDZVMqX1WOU

Q いつ頃から始まったか?
→推定ですが、江戸時代中期には、歌舞音曲禁止の時期があり、江戸の神田祭などが禁止され、山車がなくなった時期がありました。
そう考えると、文化文政期以降だと考えられます。
お伊勢参りのいいじゃないかをきっかけに全国に広まった流行歌と思われます。
高山祭の高い山の歌詞も全国にありますので、流行歌だと思われます。

Q 高山が発祥か?
それは違うと思います。歌詞には全国で使われていて節回しが違うものがたくさんあります。
花笠音頭がその例で、同じ歌詞が九州にもあります。一説には、九州で生まれ、北前船により全国に広まったとする説が一般的とされています。

福岡の祝い唄 めでた
https://youtu.be/gaWuo-QmjY4

富山県福光のめでた
https://youtu.be/JJ-kEDpCDqI

Q ミナトと呼ばれたのが発祥とされているが?
残念ながら、徳重屋の味な話でその話がされていましたが、証拠がありません。
文献情報がなく口伝情報しかありません。

神岡のめでた「みなと」
https://youtu.be/Wezda7Z5Z9A

Q 現在の形になったのは?
高山では、昭和40〜60年代に、小坂豊山さんという民謡家と保浅太郎さんという方が、それぞれ、正調めでたとして広められました。お二人とも高山民謡連合会の会長を務められ、ほぼ同時期に2、3年ずれて表彰を受けられました。
(小坂豊山さんーS57日本民謡研究会長表彰、保浅太郎さんーS60岐阜県芸術文化活動特別奨励賞(飛騨人物辞典))

小坂さんも保浅太郎さんも有名な民謡歌手で、広くめでたを流布されたので、多く歌われるようになったと伺いました。

また、消防団には少し歌い回しの違う歌い方があり、30年ほど前に、平田市長さんや市議の小林仁平さんが、消防めでたと呼ばれていた節回しがあり(寺地さん談)、今でも高山では二つの歌い方があります。

小坂さんと保浅さんの弟子 中村重信さんの高山めでた
https://youtu.be/fo_GNr6X9kM
この方のが、正調。微妙に節回しが一般に流布しているものと異なる。

ただし、地方によっても人によっても異なるのがめでたの節回しで、中村重信さんによると、小坂豊山さんは、人の歌い方にケチをつけるものではないと言われていたとのこと。

Q なぜ高山で定着したのか?
これは高山の旦那衆文化が、品のいい文化であったことによると思います。先輩から、最初は料理をしっかり食べ、隣になった方と親交を重ねることが必要。また、料理を作った方に感謝して料理をいただかなくてはいけない。また、先に胃に物を入れることで、悪酔いを避ける効能もあると教えられたことがあります。

高山の座敷料理では、必ず最初にお吸い物が出ます。これは、悪酔いを避けるためのもの。
また、御膳の箸が横に置かれていて、料理をいただく前に手を合わせ、いただきますと言う。これは、神道の考え方で、生きたものを調理していただくときに、殺したものをいただき、自分の身にするということから、感謝する意味があります。そのため、箸を真横に置くのは、結界を表すそうです。
そのため、必ず手を合わせ、感謝してからいただくという風習がそこには隠されています。

料理人にも感謝ですが、本来は生きたものを殺して自分の身になるようにいただくことへの神様への感謝の意味があります。

高山や飛騨で定着したのは、周囲を山に囲まれ、すり鉢の底のような環境に住む人たちが、互いにいがみ合いをすることなく、和を持つことを大事とした地域だからでしょう。

先輩から受け継いだ風習を大事にして、席を乱すことなく、めでたが出るまでは着座ですごし、場を乱さない。そんな風習が、定着したものだと思われます。

Q めでたの分布は?
先ほども話したように高山には二つの調のめでたがあります。
古川では、若松様と呼ばれ、調子が少し違います。
朝日には、朝日めでたがあります。清見にも清見めでたがあり、丹生川めでた、久々野めでたもあります。大体は高山のものと同じですが、ところどころ少し節の違うところがあります。
あと、変わったところでは、八日町めでた。これは、庄屋さんの歌い方が地元に伝わっているものだそうです。

神岡にもありますが、こちらはミナトと呼ばれ、調もマイナー調の暗い感じの歌い方です。材木が流れ着いたのを祝って歌ったという俗説があります。
下呂にもありますが、こちらは一度聞いたことがありますが、最初は高山と同じですが、途中から節が違いマイナー調の暗い感じになる曲です。

益田めでた
https://youtu.be/mmSqJR_XIP4

不思議なのは荘川にないこと。

また、返しというのがあり、大工さんの間で歌われていますが、最近では、お年寄りの方しか歌えません。

こちらは「葉も繁りゃこそ、若松様という」
という歌詞です。

返しめでた
https://youtu.be/xbgkYq2xMmk

Q 歌詞の意味は?
以前、下呂の方に教えていただいたことがありますが、松というのは、落ちた葉で土壌を酸性に変えるため、松山は松以外は生えないようにしてしまう特徴があるそうです。そのため、松が生えて栄えるというのは、権力者が自分の領地を増やして独り占めするような意味があると教えられたことがあります。
この解釈は人それぞれですが、そのような意味合いもあったかもしれません。

Q 変わっためでたについて。
高山のさんまち地区には独特な歌い方をするめでたがあり、これは端唄の松づくしを歌った後にめでたを歌うものです。

「歌いはやせやお大黒。1本目には一の松。2本目には庭の松。3本目には下り松…」などと数え歌になっていて、10本目まで歌ってから、めでたに入ります。
https://www.google.co.jp/search?q=松づくし&ie=UTF-8&oe=UTF-8&hl=ja-jp&client=safari

これは、今では洲岬さんの宴会か、日枝雅楽会の宴会でしか歌われないと思います。
めでたの時には拍手入れません。静かに歌うのが習わしです。

また、めでたの後には、かつては東海道宿続きを歌い、梅川忠兵衛さんを続けて歌って、会員が端唄、小唄を披露したり、座敷遊びに移るのが高山の座敷芸でした。今ではほとんど行われなくなったと思いますが、今のように酒を注ぎに出るのではなく座敷芸に移行して、座興を楽しむというのが高山のお座敷だったと思われます。

東海道宿続き https://youtu.be/5qDgce8zZhA

端唄 大津絵 https://youtu.be/zBaBj2G7GJw
この歌詞に梅川忠兵衛の物語が出てきます。

古川では、若松様の後、ぜんぜのこまんまのこという民謡が入りますが、こちらは拍手入りで歌い、最初の一行を先輩が出されると、おきまりの歌詞で皆が歌います。

若松様 ぜんぜのこまんまのこ
https://youtu.be/9Gnref94I3Q

かつて100番まであったとされますが、私が調べた限りでは70番ほどまでしかわかりませんでした。
しかし、歌詞を見ると、あの子良い子だ瓜実顔で 今度ホテルにしけこもう などという歌詞がありますので、即興で作って楽しんだものと思われます。また、年代は昭和の40年代に作られた替え歌ではないかと思います。ホテルなんていう言葉がありますからね。
https://hidasaihakken.hida-ch.com/e13572.html

Q なぜ飛騨に広まったか?

それは流行歌ですから、旦那衆などが京や江戸に出て流行りの曲を仕入れて、歌い競ったのではないでしょうか。今でもそうですが、当時の粋やトレンドを自慢する風潮があったものと思われます。
ただ、証拠がないんです。

流行歌であったことは、全国的に分布している歌詞であること。地方に伝わって調が変化したことからも、わかります。
高山祭の大八曲が、口伝で覚えて次の代に伝わる時に調が変化し、原曲ではなくなったものが多いです。そのため、その曲を大八崩しと呼んでますが、原曲とは違うものが今に伝わってます。

などとお話しさせていただきました。
めでたの分布はかなり調べましたが、証拠がなくあくまで想像の範疇を越えません。
ご存知の方、教えていただきたいです。  
Posted by rekisy at 10:26Comments(0)

2019年04月21日

冊子 飛騨の歴史再発見!12号…

冊子 飛騨の歴史再発見!12号を発売開始しました。
お待たせいたしました。

  
Posted by rekisy at 19:58Comments(0)

2018年12月10日

高山市民時報に冊子10号が紹介…

高山市民時報に冊子10号が紹介されました!

  
Posted by rekisy at 18:56Comments(0)

2018年06月21日

冊子 飛騨の歴史再発見 9号~12号発行プロジェクト

現在、冊子 飛騨の歴史再発見9号~12号の制作を行っております。

新規会員を募集するため、FAAVOで募集を行っております。
ぜひ、飛騨の歴史について、詳しくお知りになりたい方はご支援をお願いいたします。

https://faavo.jp/hidatakayama/project/2818  
Posted by rekisy at 22:54Comments(0)

2017年04月18日

高山市公式youtubeチャンネルに出演しました

「高山祭」高山市公式Youtubeチャンネル  

I was introduced into the official Youtube Channel as a regional history researcher of Takayama Festival.
It is honor foe me to select as the reporter.


日本語版

https://www.youtube.com/watch?v=Io_KDzsFs6Y


英語版(English version)

https://www.youtube.com/watch?v=sRcyJ8DHyM8  
Posted by rekisy at 14:37Comments(2)

2017年03月16日

第4号発行!

少し遅れましたが、冊子 飛騨の歴史再発見 第4号を発刊しました。
平成21年(2009)1月5日88回放送〜6月22日111回放送分まで掲載してます。






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Posted by rekisy at 09:48Comments(0)

2016年12月10日

第3号発行

冊子 飛騨の歴史再発見!第3号を本日より発売します。
高山市内(田近書店、ブックスアイオー、ぜんな書房)でお求めください!

税込1300円です。





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Posted by rekisy at 12:40Comments(1)

2016年08月02日

ヒッツFM「飛騨の歴史再発見!」がインターネットで聞けます。

このほど、8月1日から、ヒッツFM「飛騨の歴史再発見!」がインターネットラジオで聞けるようになりました。

ただし、放送時間は毎週土曜10:30~と 19:00~再放送です。

http://www.jcbasimul.com/?radio=hits-fm  
Posted by rekisy at 11:45Comments(0)

2016年07月29日

お久しぶりです。

飛騨の歴史再発見のファンの方に朗報。
ヒッツFMが、海外でも聞けます。
サイマル放送が8月から開始します。

ぜひ、飛騨の歴史再発見!もお聞きください。
毎週土曜日午前1030からと午後700からの再放送です。
エリアが広がりますので、ますます精度を上げたいと思います。





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Posted by rekisy at 20:00Comments(0)

2016年05月29日

鍋山城に登ってきました

久しぶりの投稿です。

今日は、城郭研究家の先生の案内で鍋山城に初めて登ってきました。



知らなかったのですが、鍋山城は大鍋山=本丸、小鍋山=出丸、下鍋山=二之丸という3つの山に
分かれているんですね。

本丸の部分は結構広い場所で、ここにどんな館があったのか、歴史ロマンを語りました。



鍋山城の由緒について


本丸のところにある、鍋山城の碑。



上には立派な石垣があるのですが、大手から登った側にしか石垣はなく、これは急造した石垣で
あろうとのこと。
また、松倉城の石垣は、角のところが、大きな石→小さな石→大きな石と計画的に積まれているのに
対して、こちらのものは、まばらになっており、急造したことがわかるとのお話でした。

実は、このお城に住んでいた、三木自綱の弟 顕綱の命を狙ったのが、長瀬甚平と土川新左エ門という
2名です。書状にわざとわからない文字を書き入れており、その時にこれは何を書いてあるのだと尋ねた
殿様に、近くに行かないとわかりませんとのことで、おそば近くに立ち寄り、文字の説明を長瀬甚平が
していたところ、後ろから土川新左エ門が切りかかり、殿様の首を取ったそうです。

逃げるときに、半狂乱になった奥方が追いかけてきて、その首をはねたところ、大蛇になったという
伝説があります。これが、七夕岩の大綱の伝説として今に伝えられています。

この長瀬甚平は、我が家のご先祖様と伝わっています。


このところ、運動不足で、帰りには足がつってしまい、二之丸や出丸には行けませんでした。
体力作りが不可欠です。がんばります。

徳積善太





  

2016年04月30日

秋祭りの屋台が上町区域へ

今日は、高山市政80周年をお祝いして屋台の引き揃えがなされております。
秋祭りの布袋台が上町のエリアへ引きこまれました。





私が調査したところでは、昭和2年8月29日に秩父宮が来高された時に、春祭りと秋祭りの屋台が陣屋前に引き揃えられました。
その時以来、90年ぶりのことではないかと思いますが、定かではありません。






昭和30年台に秋祭りの屋台と春祭りの屋台が安川通りに引き揃えられたことは、何回もありました。
以前、『ふるさと飛騨』『飛騨の昭和』に書きました原稿を引用すると下記の通りです。



「昭和25年から昭和37年まで春秋二大祭りには屋台をお互いに曳きだそうという話が出た。昭和25年4月15日には高松宮ご観覧のため安川通りに曳き出された。
以下、春秋の屋台が安川通りに揃った年は、昭和26年4月、昭和28年4月、昭和29年4月・7月23日夕刻、昭和33年5月4日5日・9月、昭和34年4月9月、昭和35年4月、昭和37年4月9月であった。昭和39年には秋祭りが二つに分裂し、春秋に分れて屋台が曳き出された。昭和40年には国体協賛で10月26日に。昭和41年には春祭り14・15日、八幡祭り16・17日となり昭和43年以降は現在の形になった。写真は、昭和37年の春のものと思われる。左側が秋の神楽台、行神台、鳩峰車、右側が崑崗台(春)などが見られる。」「郡代に拝謁した」という記録を元に、150年ぶりというお話になっているようです。その頃は、桜山八幡祭の時に、拝謁するために陣屋前に屋台が引き揃えられたとのこと。
その時は、別々のはずです。

ところが、考えてみれば、「石橋台」のからくりは明治時代に風紀上の関係から禁止され、永らく上演されていませんでした。

そう考えると、高山のからくり屋台が4台揃うというのは、史上初ではないでしょうか。


ながせきみあき
  
Posted by rekisy at 10:53Comments(0)飛騨のまつり

2016年04月23日

飛騨学の会講演会

今日は飛騨学の会の講演会がありました。
斐太紀14号執筆者への質問コーナーがあると思い、参加しましたが、時間が足らず、そのコーナーはなくなりました。

3人の方の講演がありました。
堀尾雄二先生の「闘鶏楽の歴史」では、文永文禄の役に金森軍が800人で参加しましたが、その時に、九州に伝来していた、朝鮮の踊りを、飛騨に伝承したのではとのこと。九州に飛騨の闘鶏楽と同じ服装や踊りが伝わっていることを、ビデオを見せて証明されました。

本永先生の「大野郡と吉城郡の富山県併合問題」では、大正3年に富山市で大水害がおき、毎年被害が甚大なので、神通川の上流の大野郡と吉城郡を富山県にして、河川改修や治山を行いたいと富山県が動いた話でした。
なかなか面白かったです。

最後は、静岡県の黒柳大造さんが、飛騨出身の作家に共通するビルドゥングスロマンについてお話しされました。
これは、若者の精神的な成長を描くという共通性があるが、それがどうしてこの飛騨出身の作家に共通するのかというお話でした。

なかなか勉強になりましたが、時間が足らなくなり、執筆者コーナーがなくなったのは残念でした。





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Posted by rekisy at 20:55Comments(0)

2016年04月21日

「飛騨の歴史再発見!」冊子発行について

皆様にはいつもこのブログをご愛顧くださり、ありがとうございます。

さて、放送も平成28年3月を持ちまして430回の放送を数えるまでになりました。
これもひとえに、応援していただいている皆様のお陰だと感謝申し上げます。

300回を越えた時に、放送で皆様にお約束いたしましたが、ようやく冊子を発行することに致しました。


つきましては、FAAVOというファンドシステムにて、募集をいたしますので、ぜひご協力を頂きたいと
思います。
下記をクリックして頂き、5000円、10000円、20000円の中から、ご支援金額を選択してください。

FAAVO申し込みはこちら


これからも、飛騨の歴史再発見!を続けていけますよう、皆様のご協力をお願い申し上げます。


徳積善太 こと 長瀬公昭





  
Posted by rekisy at 23:17Comments(0)

2016年02月24日

久しぶりの投稿です 全国削ろう会開催

久しぶりの投稿になってしまいました。

此の所、調査や論文製作に忙しく、なかなか投稿ができない状態でした。


今日は、全国削ろう会の事務局のT地さんにお会いしてきました。




今年、5/14-15に全国削ろう会の全国大会が高山の世界生活文化センターにて開催されます。


T地さんのお店には、かんなくずで作ったバラの花が展示してありました。







この作品、かんなくずで作られたとは思えない見事な作品です。


こんなコサージュもあるそうです。





先日行われた、かんなくずの実演会での模様。
このかんなくず、7ミクロンという厚さだそうです。これぞ職人技。





こんなイベントが飛騨で開催されるなんてすごいですよね。

お楽しみに!


rekisy





  
Posted by rekisy at 17:57Comments(0)

2015年08月05日

8月5日の記事

おかげさまで、本日にて放送400回の録音を済ませました。
平成19年4月から8年間、よく続いたと思いますが、まだまだお知らせしてない話がたくさんあります。

これからも頑張りますので、ご支援をよろしくお願い致します!

ながせきみあき









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Posted by rekisy at 21:19Comments(1)

2015年07月18日

山岡鉄舟研究会全国大会

今日は、山岡鉄舟研究会 全国大会in飛騨高山 にお邪魔してます。
結成から10年、初めての全国大会だそうです。
幕末の志士、山岡鉄舟の顕彰がゆかりの地高山で開かれることには意義があります。

今後、ますますこの会が盛会となることを祈ります。









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Posted by rekisy at 14:27Comments(0)