大発見!富山日枝神社のものと思われる行列表

rekisy

2008年02月23日 01:28

昨日の自己レスです。
本日、富山の日枝神社さんに確認したところ、江戸時代に2回大火があり、史料をほとんど焼失したそうです。
1707年に、祭礼で屋台か山車を曳いていた記録がありますが、詳しくはわからないそうです。
明治の中ごろまで、数台の山車があったそうですが、それも第二次世界大戦の空襲で焼失し、どのような
形であったかなど、現在は何も確認する史料がないそうです。

書類の中に、「明和8卯年に~」という記述があり、明和9年以降のものである事がわかりました。
これは、大発見です。

分析してみたら、行列数が141の役割から成っており、車に関わっている記録を15人で曳いた(他の屋台
などから推定)した場合に、総勢1298人の人たちが行列に関わっている事が分かりました。
これは、高山祭りの行列のほぼ倍の数字です。

やはり、富山は前田家のお膝元という事で、ものすごい数の氏子達によって、祭礼が行われていたようです。

また、東照宮神輿、山王御輿、日光神輿の順で、お神輿が担がれており、当時は3つの神社の祭礼を
同時に行っていたようです。
氏子の区域も現在の日枝神社の区域とは異なっており、とても貴重な史料である事が分かりました。

徳積善太

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