がんどうちの分布について
先日、「がんどうち」について話しましたが、今日は仕事のついでに益田郡の郷土史家の先生などに
その分布について確認してきました。
今日はたまたま仕事のついでに、金山の郷土史家の先生のところや、下呂の先生のところにお邪魔
して情報を収集しました。
金山では「がんどうち」と言わない。ひな祭りです。歌も違いますし、菓子蒔きがあります。
また、下呂では乗政、宮地辺りまではあります。付知はひな祭りで、ここでは甘酒が振る舞われます。
同じ下呂でも門和佐にはない。
また、白川町では、水戸野には「がんどうち」があります。
加子母は不明ですが、付知町では「ひな祭」として行われており、白酒や甘酒をふるまっていたということです。
まだ郡上を調べてませんが、南飛騨の萩原を中心とした行事のようです。引き続き調べます。
小池先生がもう一つおっしゃっていたのは、「雛様と言うのは早く片付けないといけない。
いつまでもあると嫁にいけないという事があり、早く片づけるのに手伝うような意味があった
のかもしれない。それで、お供え物の片づけをすることが、風習になったのでは」
とおっしゃっていました。
同じ下呂でも、森、湯之島、幸田では行なわれていません。
周辺の少ヶ野、竹原、宮地、乗政、保井戸、瀬戸(焼石)、東上田では、行なわれている。
また、小坂の都市部には伝わっていないようです。
これら、都市部のものは早くにすたれたと考えていいようです。また、個人によっても違いますから、益田地区もあちこちである所とないところがありそうです。
これは時間がかかりますね。