着々と準備が進んでいます(金森展)2
今週は、9月1日から始まる「金森家とまちづくり」展について、ご紹介したいと思います。
とき:9月1日から24日まで
場所:飛騨市美術館
入場料:200円
まず、金森家の系図についてお話しましょう!
最初に次の二つの系図をご覧ください。
左側のものが、高山の金森顕彰会で発行されたもの。右側のものが、このほど展示するものです。
基本的には、略系図ですので、一緒なんですが、古川のものは、古川を中心とした系図にしました。
一部、修正箇所を記入して当日の展示をしたいと思います。
古川のものは、基本的に故大野政雄先生が、増島城築城400年記念で講演されたときの資料を
もとにして、製作しました。
古川には、日根野家という旧家がありますが、故大野先生は、この家の経歴を非常に重視されていた
ようです。この日根野家の出自は、美濃の方らしいのですが、金森家の重鎮として金森長近の代より
陰になり日向になり金森家を支えてきました。
系図からわかるように、長近のおばさんが日根野備中守弘就(日ねのびっちゅうのかみひろなり)と
いう方に嫁ぎました。この方は、斉藤義竜・今川義元・織田信長・豊臣秀吉に歴任した方です。
最近、この方のことを題材に、小説が出されたそうです。
金森長近は、この日根野家を自分の家来として登用し、政治を行っていたようです。
もう一つ、高山ではあまり話題に上ることが無かったのですが、長近には兄弟があって、まず弟の
子供が日根野家に養子に入っています。
また、兄の掃部助 金森政秀という人。あまりクローズアップされていませんでしたが、萩原の旅館
あたりにおられたようです。
この人の息子一吉、一長は、大坂夏の陣・冬の陣では、豊臣方として戦います。
今回、展示する展示物の中に、大阪夏の陣絵図(冬任文庫蔵)がございますが、
その中に
「生森掃部介可憲 五百人」とありますが、これは、金森の間違いで、長近からすると
甥にあたる方です。その隣の、「金森主殿義隆」については、どのような方なのか現在
調査中です。
飛騨編年史要によると、長近の伯父の佐藤好方も豊臣方についていたことが記されて
います。
徳積善太