飛騨の名称について
<飛騨の名称について> どうして飛騨って言うの?
お尋ねがありましたので以前調べたことからお知らせいたします。
「一般に、「ひだ」の語源は、その発音からして、山がうねっている「ひだひだ」から来ているとか言われてますが、江戸時代に書かれた「飛州志」によると、飛騨の文字には次の種類があります。
「飛騨」(日本書紀)、「斐陀」(国造本紀)、「比太」(和名類聚鈔註)、「飛駄」(国名風土記)、「飛弾」( 廣益俗説弁)、「卑田」(先代奮事神社本紀)
また、この他にも「飛駄」(大八州記の杣工記・日高見説南留別志)、「襞蹟」(倭訓栞)、「火田」、というのもあるようですが、「いずれも確かならず」(飛州志備考)ということです。
現在も使用されているのが斐太高校の「斐太」という文字です。「斐」は「あやとかすぐれた」という意味、また「太」の字も秀でた素晴らしいところという意味があります。これは、万葉集に出てくる言葉を使ったといわれています。
後に「飛騨」になったのは奈良時代、全国に地名は好ましい名前(好字)にしなさいという命令が出て改められました。それ以来「飛ぶ馬」と書いてひだの当て字にしたそうです。「騨」の字は連銭葦毛の馬を表しているそうです。
昔から飛騨は、名馬の産地で、地名にも御厩野、夏厩、六厩、牧ヶ野など馬に関わる地名がありますが、馬にちなんだ次の伝説があります。
・奈良時代「大宝二年(七〇二)に、胴体が黒色で、額に一角があり、たてがみ尾が白色の神馬が飛騨から朝廷に献上された。この時に大赦が行われ多くの罪人が許され、国人に三年の貢租が免ぜられた」(日本書紀)
・平安時代には、「池月」(丹生川産)「磨墨」(明宝産)という二つの名馬が、宇治川の戦いで先陣争いをした。
・高山の南東、高根村には、名馬販売で大もうけした馬屋敷と呼ばれる建物がつい最近まであった。残念ながら取り壊されてしまったけど、高根村史には素晴らしい建物の写真が残されているんだよ。
・本町の山桜神社は、国主金森頼直公に献上された「山桜鹿毛」という馬をお祀りした神社で、この馬にちなんだお話が、松倉絵馬、丹生川池之俣に残されています。
まだ他にもありますが、飛騨には、馬にちなんだ地名や伝説がいっぱい残っているようです。
徳積善太