蛤石の話
古川の上町から、宮川を挟んで対岸に、蛤城と言う山城があります。
この城は、かつて姉小路氏のうち古河家が山城として建造し、その後、空き城となっていたところを
三木自綱の武将塩屋筑前守秋貞が、ここに住んでいたとの伝承があります。
また、五社神社の修復棟札には、天正5年(1577)牛丸氏の名前が見られることから、一時期、牛丸氏
によって居城されていたとの話もあります。
そのあと、金森氏が天正13年に飛騨を政略したときに、おそらく金森可重だと思いますが、この城に
住んでいたとの伝承があります。
金森氏は、この城の防御をもっと強くするために、背後の山との境目を掘り、大堀切にするなど手を
加えたと思われる遺構が残っています。
さて、その城の名前ですが、この城郭の山頂に蛤石と言う石が存在する事から、この名称になった
とのいわれがあります。
私も実物を確認しようと何度かこの山城に行こうとしましたが、登り口がわからず、断念していました。
地元の方にお聞きしたら、簡単に行けるよということでしたが、車で3回近くにまでいきましたが、結局
あきらめて今日に至ります。
今日、古川の住田さんがFBに画像をアップしておられたので、蛤石の現状がどうなっているのか、
写真をいただきました。それがこれです。
この石、学名は「さざれ石」という名前で、海の底に土砂が堆積するときに、土に混じって石が堆積した
ときに、一緒に固まったものだそうです。
以前『姉小路と廣瀬』を執筆した時に、この石についてのいわれを書きましたが、飛騨の歴史のことを書いた
『飛州志』には、次のような伝説が伝わっています。
「金森長近が古川から高山へ移る時、蛤石を持ちだすよう家来に命じたが、高山に近くなるほどだんだん
重くなり、高山へ着いてから異変が起こった。そこで、元に戻すようにすると軽くなってすぐにたどり着いた」
という話です。
また、「雨乞いをするために、陰陽の一つを宮川に沈めたら、一気に大雨が降り、住民が大変喜んだ」
といわれています。
ところで、この石ですが、河合町の専勝寺にも2個の蛤石が伝わっています。
寺の伝承では、「雨乞いに使った石が下流に流されて、専勝寺に奉納された」とされています。
下記の写真の2つがそれですが、蛤城の石とはあまり似ていません。
徳積善太