久しぶりに、私の先生のコラムを掲載します。(
中仙道大湫宿ページより 許可を得て転載)
― 『 志をもつ人々の奮起を 』 ― 徳増 省允
今日的世相をつくづく考え思うに、日々発生する諸不祥事に対し、当事者のみならず、周囲の者、かかわりのある者全てが、保身や利己的利益のために傍観し、無関心を装い、責任を逃れることを第一として生きようとしている。その誇りなき恥を知らぬ行為行動を普通のことの如くふるまう、良心無き所業といえます。
誇りと恥を失ったところに、真の「志」はなく、人として最も大切な「良心(良知)」の存在なきまま生きようとしているといえます。
大きな歴史周期(日本史の変化400年、世界史の変化800年にくわえて千年紀の同時周期は4000年に1度)の今、大人達は誠に目覚めて、この歴史の大転換期の中で覚悟を定め、次世代に正しき誠の道を継承せねばなりません。そのことが今の世に生きる大人達の役割であり、
生きる上での使命(天命)であると承知すべきです。
「世の為、人の為」に「何を為すべきか」「如何に生きるべきか」。―「静かなる時間」を持って深く考え、究めて、分相応に覚悟して実践行動をすべきときであります。
「平成」の年号をのこして昭和58年(1983)12月世を去った、著名な陽明学者であり、碩学で啓蒙的思想家として世の指南役でもあった故安岡正篤氏の『醒睡記』より、「有志の奮起」と題する教えを紹介しましょう。
故安岡氏は、アフリカの聖者といわれた、A・シュヴァイツァー博士の著書「わが生活と思想」の中より肝銘した言葉として、
「人間性は決して物質的なものではない。人間の内には、表面に現れるより遥(はる)かに多くの理想的意欲が存在する。縛(しば)られたものを解き放つこと、底を流れるものを地上に導くこと、一事を成就すべき人間を、人類は待ち焦(こが)れている」と。
シュヴァイツァー博士の引用のあと、安岡氏は、次のように。
「不幸にして今日、人心風俗は、折角進歩した学問、究明されている真理から背馳(はいち・背く、行き違う)している。/
親達は子供等を学校に入れるだけで、親(みずか)ら教育しようとせず、教師は本来の使命を怠り労働組合員となり、政治家は民衆に迎合して指導力を失い、世人は不義不正を傍看(ぼうかん)して氣概を亡くしている。/曽(かつ)ての偉大な指導者達は皆時代の風潮に屈しなかった人々であり、新しい時代の創造は、こういう信念あり勇氣ある少数の人々の不屈の努力に因るものである。日本の危機に臨んで、有志者の雄健(雄大かつ剛健)を祈る」と。
伝教大師(比叡山開山、最澄)の訓にある「
一隅を照らす」教えを思います。危機的日本を真に、理・義に向かわせるために、大人達、特に指導的立場にある全ての分野の人々が、己の立場や地位に恥ずることなく、真に学び自らに問う時であると信ずるからです。
著名な物理学者でノーベル物理学賞をうけ、又相対性理論の発見者、故アインシュタイン博士が大正11年(1920)来日し、日本国と日本人に託して帰国した、同博士の言葉は何度でも紹介すべきものでしょう。
「世界の未来は進むだけ進み、その間いく度か争いはくり返されて、最後の戦いに疲れるときがくる。そのとき、人類は真の平和を求めて、世界の盟主をあげねばならない。この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜き越えた、もっとも古く、もっとも尊い家柄でなくてはならぬ。/
世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばらない。/われわれは神に感謝する。われわれに日本という尊い国をつくっておいてくれたことを」と。
アインシュタイン博士が「神に感謝する」という「尊い国」日本、その国の今日的世相の実体を知った時、同博士の失望はどれほど大きいことか、その嘆きはいかほどでありましょう。
日本人の底流に営々として流れてきた、
大和(だいわ)=大和(やまと)の精神のもつ尊い国の尊い魂の再生と復活こそが一義でありましょう。そのための最大の努力が、今為されなければならない時、まったなしの状態なのです。「世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る」。それは東の端に位置し、「日出る国」である日本―「日の本(もと)」の国であることを再認識することです。
21世紀は「美の時代」、「文化の時代」であるといわれています。古きをたずねそれを充分温め(消化して)、新しく創造する、そして新しき文化を起すこと。「温故創新」「温故起新」であります。(20年1月初めの中国訪問の折、福田首相は孔子廟を訪ね、温故創新と揮毫しました。)その気概は、何よりも「誇り」を持って、広い大きな歴史観と世界観をもって、胸をはって進むことです。
「美しき国へ」という国家の指針を示したのは安倍内閣でしたが、「偽」の一字が選ばれる世相の現状からは、まことにほど遠い感が否めませんでした。「美しい国」といわれても、今一つはっきりとせず、一般にもその「かたち」が明確ではありませんでした。
美しい心の人が住む国ということであるとすれば、今の政治、経済の分野、教育の分野全てにおいて、まずは指導的立場の人々から、美しい心をもつ、偽りなき人にならなければなりません。悪しき意味での「建て前と本音」を使い分けて、良心を忘れ、恥を何も感じず保身と私欲に全力投球する人達、こんな世の実相に対して日本国民は自らも糺(ただ)し、指導者に猛反省を促すべきでありましょう。
今、思うに、戦国乱世、420余年前の天正10年(1582)6月2日早朝、有名な本能寺の変により、乱世統一による国家成立を前に織田信長が討ち取られたこと。その時の流れを大きく変化させる近世への導火線となった武将が明智光秀と思います。
明智光秀公は、一般的には三日天下とか逆臣とかよくないイメージの中で歴史的評価を受けて来ましたが、近年では謎の多い事件の研究や推理も進み、その背景には多くの人がそれぞれの立場でかかわり、一般的周知とは大きく変わってきています。
そこには「やむにやまれぬ」深い思いと決意があったのではないかと思われる、光秀公の辞世といわれる歌と漢詩を紹介します。
「心知らぬ人は何とも云はば云へ/身をも惜しまず名をも惜しまず」
「順逆に二門無し。大道心源に徹す。/五十五年の夢。覚めて一元に帰す。」
この二つの辞世が光秀公の自作であるか否かは別として、光秀公の心底に流れる使命感を感じずにはいられません。日本の歴史の中で古代より一貫する天皇家の権威と国のかたちを守るための、天命ととらえた乾坤一擲の決断がうかがいしれます。
「心知らぬ」の「心」とは「尊い国」の「尊い家柄」を守護しようとしたもので、「身をも名をも惜しまず」と、身を捨てて国難に志をもって立つ覚悟を表現したものと解せます。又、漢詩の方は織田体制に順ずるか、逆らって尊き家柄と歴史の流れの中での天皇中心の国家を守るか二つの道はない。古代より継承された古神道による随神(かむながら)の道を守る大道が心源であり天命であると。戦国乱世を生きた五十五年の夢から覚めて、まさに己れの良心に従い、天人合一、心身合一の一元にあるのみと結句をむすびます。
アインシュタイン博士の言葉にある「尊い家柄」「尊い国」が戦国の武将の心中にもあったことを思い、「大道」と「一元」の深い意味を味わうことができます。
「美」は宇宙の根源という「真・善・美」の美ととらえて考えることが肝要です。ただ人や町の表面的すがたやありさま、観光的にみた自然環境という目に見える有形の美をいうのみではありません。大切なのは無形である人や町や自然環境のもつ氣、人の心の美しさを忘れてはなりません。尊い国、それは美しい国であり、品格ある国であります。神―天―自然の計(はから)いに順ずる素直な魂(かむながら=随神の道)をもって生きる人の住む国ということでありましょう。尊い国、美しい国の歴史と先人達の大和(だいわ)の精神=大和魂をつちかってきた「日本の良心」に立ち帰り、全ての大人達が残された人生を正しく生き、次世代に継承するために努めるべき使命があると思うのです。
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