私の先生、徳増先生の今年についての記事です。
大人の寺子屋― 平成20年 戊子の年に思う ―徳増 省允
平成19年は「丁亥」(ひのとゐ)の年でした。
「丁」(てい)の上の「一」は、平成18年の「丙」(へい)の上の「一」が続いている一方で、下方の「亅」は
上方に対するもの、旧と新、善と悪といった対極的動きを示し、相方が対する勢力の衝突する相を表わ
しています。
平成18年から、特に19年の年は世事千変あらゆる分野にあって多発した不祥事は記憶できぬほど
であり、政治経済もゆれ動き、世の人々は何を信じてよいのか混迷の極にいたっています。安定と安心
を失った人々の心、依り所なき生活の中で、新年を迎えました。
年末恒例の京・清水寺での平成19年を象徴する一文字は、「偽」(ぎ/いつわり)でした。
http://www.kanken.or.jp/kanji/kanji2007/kanji.html
誠に哀しきかぎりではないでしょうか。経済大国日本は、ものの豊かさの中で大切なことを忘却し、
全ては金(かね)々でしかない世の中です。「偽」は「人が為す」という文字、全ては人びとの為せる結果
であります。人間以外の責任によるものでないことを深く懺悔し反省すべきです。
丁亥(ひのとゐ)の年をうけての今年は、どういう年であるのか、東洋5千年の歴史の中で多くの先人達
が後人の為にのこした偉大な学問と思想の力をかり、平成20年、戊子(ぼし/つちのえね)の年について
考えてみましょう。
陰陽五行説と干支(えと)=十干十二支による60年周期の思想では、干(かん)は「幹」(みき)を表わし、
支(し)は「枝」(えだ)を表わすと説きます。
安岡正篤、邦光史郎両氏の著書を参考として、「干」及び「支」の意義を学び、本年の指針としたいのです。
まず、戊(ぼ/つしのえ)は十干の中の五番目にあたり、茂(しげる)、樹木が繁茂することを表わし、茂る
ことにより風通しや日当たりが悪くなり、根本が弱り、樹木の勢いが落ち、梢が枯れることとなります。
又、花や果実を養い成長させるのにも、多くの花を咲かすため、多くの実を得るためと、整理を行わずにおけば、
花や実(果実)を結果として駄目にします。そこには、剪定とか摘果(果実を間引く)が必要であり、そのための
果断とか果決が求められます。
事業経営や家庭生活でも良い結果を得るためには選択と決断する力が肝要となります。
「子」(ね)は数がふえる(ネズミは動物のなかで最も繁殖力が強く)、植物の芽が兆/萌(きざ)しはじめることを
表わし、「滋」(じ)と同義です。
ふえる、はびこるの意味から、新たな生命、新芽が伸びるなど、新しき生命力の創造と解することができます。
以上のことから、戊子(つちのえね)には二つの意味があるといわれています。
「ふえる」と「しげる」、万物や万事が繁栄し発展してゆくべき年でありながら、他方では「過ぎる」と矛盾や困難が
多く発生すると。繁栄と発展の過程に「落とし穴」があるということになります。
前足に重心をかけず(勇み足にならず)、後足に重心を置き、チェックするために立ち止まる勇氣と留意が大切です。
「過ぎたるは及ばざるが如し」です。
又、私欲私心にとらわれることなく、公欲公心によるグローバルな視点から思索し、行動することが大切です。
私利私欲にとらわれている間は、正しき道、物事の真理は見えてきません。
今、一人ひとりの大人に自らの在り方、考え方を素直な心で考える覚悟と大人の見識が求められているのです。
今年からの4、5年は、今世紀前半を方向づける重大な時期であり、我国の将来を考える時、その選択が重要で
あると思うのです。
全てはゼロに立ち返り、原点に立ち、道理にそって思索、行動する。その為に一人ひとりが誠に学び、自らに問う
ことが必要なのです。
博報堂の主任研究員 中村隆紀氏は、消費者意識調査をもとに、「モノへの防衛意識は高まり、内面(自分)を
磨きたい欲求が強いから」―自分をみつめる意識が高まる背景―「自分の知識を深めることは、自己満足にも
つながるし、社会的価値の向上にもなる。ほかに投資する対象がなく、内面を見つめ直すことに価値を見出している。
企業にしても謹厳実直な姿勢や取り組みが求められる。昨年来の偽装問題などがあるから目標はより厳しくなる」と。
IT技術の発展により、情報はグローバルに把握できるように、多くの書籍によって知識を得ることも容易です。
しかし情報過多の中で、選択することなく、自らに都合の良いものだけを受容し蓄積してよしとする傾向にあること
は憂えるべきと思います。
知識の為の知識を求め、活かすことを忘れたあり様は、一層憂えるべきことです。知識だけが一人歩きしているの
では、何も意味をなしません。単に「物識り」に成ったにすぎないのです。
一方、電通消費者研究センターの野村尚矢氏は、「世相を示す漢字に『偽』が選ばれた通り、あらゆる物への
信頼が泡のようにはじけた。この信頼バブルを回復することは、企業の姿勢として問われるはず。『偽』を『義』に
変えていくことが求められそうだ」と。
知識は単なる知識や情報の蓄積に終わることなく、体験に活かし、実践を通して経験して、見識(識見)を高め
育てることです。
その高い見識は精神修養に勤めることによって、胆識を養い、重厚な己をつくり上げることが大切なのです。
又、重厚な己をつくり上げることが、自ずと胆識を養うことにつながるからです。それがまさに「生きる」意義でも
あると思います。
勇氣をもって決断する「選択力」が求められ、大切さを増す時代になってきます。
選択力を高める為には、
見識と
胆識を備えもつことが必要となってきます。
人品骨柄を備えた「教養人」として生きるためには、
知識・見識・胆識の三識を備えもつことが大切なのです。
一人びとりが「生きる」とは、自らの使命を感得することに他なりません。自らをみつめる意識を高めるために、
内面を見つめ直すことに価値を見出し、世相に蔓延(はびこ)る「偽」を択び捨て、「義」を択ぶことに勤めるべきです。
今を生きる人の使命も天命もそこにあるのです。
平成20年1月4日 記
徳増省允
(許可を得て、掲載しております。徳積善太)