「分限を見わけて、その性(さが)性をしれ」 徳増省允(大湫宿HP 11月号より転載)
この訓は、戦国末期から江戸初期の偉大な先人、
鈴木正三(しょうさん)禅師の教えの一説で
あります。
まず正三禅師の略歴を紹介します。師は、禅僧、思想啓蒙家、小説仮名草子の作家として、
広く世に対する言論人でした。又落髪するまでは、戦国乱世を生きた三河武士でもありました。
その多面な人生経験と自らの天命の求道を極めた修行僧として、石平(せきへい)道人ともいわ
れています。
天草・島原の乱(寛永14=1637年)後の復興に尽力し、乱後の初代代官、実弟の鈴木三郎
九郎重成、そして二代代官、実子の鈴木伊兵衛重辰とともに、三神として祀る鈴木神社として、
現熊本県本渡市にあり人びとに信仰されています。
師は、鈴木正三(まさみつ)として天正7年(1579)、三河国足助庄則定(のりさだ・現豊田市足助
町)の則定城主、鈴木忠兵衛重次(しげつぐ)の嫡子として生誕し、徳川家康が豊臣秀吉の命に
より東海五ヶ国より関東八ヶ国に転封する折、これに従い移住、この時すでに35歳となっていた
のです。関ヶ原、大坂冬、夏の陣に参戦し、大坂城への番士を勤め、江戸駿河台の旗本屋敷に
帰ります。
元和6年(1620)に大愚宗築(たいぐそうちく・正三が師と仰いだ江戸南泉寺の開基で臨済宗
妙心寺派)の立会で剃髪し隠居し、家督を弟の重成に譲ることとなります。
寛永14年(1637)天草島原の乱が同18年平定後、家督を譲った鈴木三郎九郎重成が初代の
天草代官に就任、その復興と人心の安定のため正三禅師も協力を求められて現地に入ります。
そして当地に17の寺院(禅寺9ヶ寺、浄土宗7ヶ寺、真言宗1ヶ寺)と2社を興し、精神的側面
から実弟の重成を助けました。
その後、代官重成は実質年貢を半減すべく幕閣に訴え、江戸屋敷にて切腹します。結果4万
2千石は2万1千石となり、領民の生活は大きく改善されました。二代目代官は正三の実子で
ある鈴木伊兵衛重辰が就任します。
正三禅師の教えは、実践と変化の時代を生きた人として、今日の世相を抜本的に改める上で
の大切な「心(しん)」のあり様、生き方を示してくれるものと思うのです。
今日的世相は、正三禅師の教えのように「分をしる」ことの、できない人びとがあまりに多い
ことに氣付くのです。「分」とは「つとめ」であり、「本分」のことと自覚すべきです。「つとめ」、
「本分」とは、己の役割です。己れは、自らの意思と選択によって、国を選び地域を選び、時代
を選び、両親を選び、生まれ来ることはできません。又、「生まれ来る」ことは、偶然によるもの
でもなく、天(大自然)の計らいによって生ずる必然の結果であると考えるべきです。
「天の計らい」とは、天命であり、使命であり、この世での役割をさすのですから。
人の一生は、
自らの使命を求め一人びとりがそれぞれの立場で異なる経験と苦難をのりこえ、探し求めて致る
べき一路であると考えるからです。
江戸末期の篤農家で、今日的にいえば村づくり町づくりの先達、二宮金次郎翁は、その教えの
中で「分度を知れ」と説いています。
「分度」とは「分限」と同義の意味をもっています。金次郎翁の報徳思想から、天の与えた分を
自ら測り、己の器(うつわ)、能力の程度を知り、それに応じて自らの生活や行動実践の限度を
定めて生きようという教えです。「分限」は自らが天より与えられた分=本分の程度を悟り、その
限度を自覚し、謙虚に生きること。正三禅師の「分限を見わけて」とは、まさに自らの分と限度を
知ることです。他と比較しつづけ競争することは愚かなことであり、それは己の使命(役割)を生き
る上で障害となることに氣付くことです。
オンリーワンとなるには、まず自らの分を知り、分限を超すことなく生きることが大切なのです。
真の学びによって自らの分を知る、分を悟り、分限をもって生活すること―分相応とはそのあり
様をいうのです。その精神のあり様から「知足」(足るを知る)の生き方が自然と成り立つのです
から。
爪先立って、背伸びした無理な己れのあり様、生き方は、結果として自分を不幸へと追いやる
ことを自覚すべきなのです。
今日のわれわれのあり様、生き方は、経済の高度成長とそれにともなう物質・金銭至上主義
にはじまり政治の分野から個人の生活まで、分不相応、不知足、常に他と比較し競争しナンバー
ワンを目指した生き方に慣れ過ぎ、当然のことと思っています。
今、抜本的に考え方、生き方を改めることが大切と思うのです。
来たる時代に如何なることがあろうと、凛として生きること、自らを楽しみ充実した心で生きることが
できるように。
「法(のり)をこえないあり方」、換言すれば「分度、分限をこえぬあり方」が、余裕ある己れを保ち、
平安な心と豊かな情緒ある自分をつくることになるのです。又、余裕がなければ新シミある価値の
創造も生まれてこないと思うのです。
「その性(さが)性をしれ」という正三禅師の教えは、自らの天命による己れのあり様を客観視して、
人意、人為で左右できない天の定め(計らい)を素直に受けとめ、思索して行動実践すれば、自らの
道は必ず開けて来ると説いています。
「性をしれ」とは、生まれついた「分」を知れということでしょう。素直に生まれつきの「分」を知り、
その上で素直に直視して己れを見直すことであります。
「性(さが)」の代表するものは、男性と女性の違いとその使命(役割)です。
人間は自然の摂理を超えた絶対的な生き物ではなく、大自然の視点からすれば、地球という一天体
に存在する生き物の中での、一人類に過ぎないことをまず素直に認識することが何より大切です。
何故に大自然は男性と女性を造化したのでしょうか。
動物の世界で言えば「雄」と「雌」と同義です。天命による男の性(さが)、女の性とすれば、まさしく男の
役割、女の役割がそこにはあります。その最大の使命は、優れた子孫繁栄でありましょう。
今日的にはこの根本の課題が少子化問題として社会問題となり、専属の大臣まで設けられている
こと自体、自然の摂理の視点からすれば、まことに不思議な状況下にあることを思うべきです。
一方、世界的には南北問題の中で、多産化と同時に食糧や医療等、環境問題から幼児の死亡率が
大変高いこと、又、隣国中国での人口増の視点から一家一子政策、アフリカでは多産多死の現状、
自然の摂理に沿わぬ狂った人間のあり様がうつしだされています。
経済の格差、政治体制の違い、東西の先進国と南北の発展途上、開発途上等、国と国の格差、
ここには大自然の環境により人為的には如何ともしがたい問題があることを考慮するとき、違いと格差が
存在するのが大きな自然の価値観からすれば、自然の環境から差異を生ずることは当然と言うことも
可能であり、全て一つの基準で同一化、画一化することが実は理に沿わぬことと言えるからです。
無制限に格差を是正することは、わが国では特に先の大戦後の一つの風潮で、国是ともいうべきもの
でした。今、その無理が社会の諸現象の中に具現化していると思うのです。
人の使命(天命)からなる分相応(分限、分度)、国と国との間にもその歴史や自然環境の中での
位置等から分相応の視点からの違いを生じていることまでも、格差と考えることは、実は大きな誤りで
あると思うのです。
何かを我慢するから別の何かが満たされます。
常に他と比較し、全てに満足を求めて、我慢することを忘れた生き方あり様は、人間の驕りであり、
大自然の摂理に沿うものでないことを深く思うべきです。国と国、地域と地域、人と人、すべてがこの
思いをもって、分に応じて生きるべきことと信じます。
そこに平安と安定の本(もと)があるのですから。
(平成20年7月25日 記 徳増省允)