飛騨の匠の伝説1

rekisy

2007年11月30日 20:57

飛騨の匠の伝説について、先に御紹介した「飛騨の伝説」(昭和9年刊行)の中に
「飛騨の匠の伝説」がありましたので、ご紹介します。

「飛騨の工(その2)

いつの頃かたいへんすぐれた腕の飛騨の工がいた。
日本国内に並ぶ者がないので、かねて噂に聞く唐の国へ行って修業したいと考えた。
ある日鶴が悠々ととんでいくのを見て大いに悟り、身を清め心をこめて大きな木で鶴をつくった。
心血そそいだだけあってそれはそれは見事な出来栄えであった。
そしてその木の鶴は元気よく羽ばたきをした。工はこれに乗って千人の雲上をかけるように西へ西へと進んだ。

程へて越前の国の上空にさしかかった処、この国の弓の名人が怪しいとにらみ、空をかける
この鶴に向って矢を放ったが、幸に矢は鶴の体にも工にもあたらず翼を射抜きとび去った。
その時翼の羽の落ちた処を羽形と呼ぶようになった。
工は負傷した鶴をはげまし、とうとう大会を渡って唐の国へ着き、彼の国随一と聞こえた工匠の
弟子となり、のち唐の玄宗皇帝のお抱え大工として並ぶ者のない名工となった。

長年異国にあった工は、桜咲く大和の国がなつかしく、再び木の鶴に打ち乗って大和の国の都へ帰った。
工の帰国後、唐にあった彼の仮の妻が玉の様な男子を産み落した。
この子が13歳になった時まだ見たことのない父が恋しく、遂に母の許しを得て便船を求め、
長い船旅の浪にもまれ、漸く父の在ます大和の国土をふんだのであった。探し求めて吾が父
工を訪ねたが、工はこの子に疑を抱き一室に閉じ込め錠をおろし「お前がほんとうに私の子ならば、
この室にこもってこの木で仏像の左半身を刻め。我も亦右半身を造ろう。この二つが合して一体の
仏像になったら慥(たしか)に私の子だ。」と言った。

やがて各々刻んだのを合わせたら、不思議にも一厘の差もなくピッタリ合って、一体の尊い仏像に
なった。ここに始めて親子の名のりをあげたということである。
 
(高山市国分寺の工堂には、この工の木蔵が祀られている。号して飛騨工木鶴大明神と言い、
大工の守り神様として信者が多い)」


明日は、この伝説の一部にある「羽形=はかた=博多」のことである資料を掲載します。

徳積善太




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