徳本上人の美濃教化_その6(完)

rekisy

2011年07月25日 20:00

生き仏
徳本上人の美濃教化とその足跡を訪ねて
~徳本名号碑などの調査から~    北川雅弘
(岐阜市歴史博物館研究紀要 第15号 平成13年3月31日発行)


「十、あとがき
 徳本上人が立ち寄った寺院をたよりに徳本名号碑の調査をし、美濃教化の足跡を巡ってみると、
興味深いことにいろいろ気づいた。
 当然のことながら徳本上人が立ち寄った寺院は、おもに浄土宗であった。
 尼寺に派立寄った形跡はないが、浄土宗には尼寺が実に多く、そこにも徳本上人の足跡が残され
ている。新月の千休寺にある徳本名号塔がそれであり、その台座に知るさた「釈帰源・即往」と、無縫塔
の台座の「釈浄願・尼妙順・尼妙蓮」の法名は念仏講員に浄土宗以外の熱心な信者もいたことを伺わせ
ている。

 新月の千休寺や城田寺の善光教会の尼寺では、現在もなお地区住民や禅宗の檀家の人々も維持
管理に当たっている。

 この二カ寺には尼僧の成り手がなく無住の寺となっている。尼寺の多くは住職がなく、危機に瀕している。
 無縫塔の塔身に徳本名号を刻んで建立されているものは何基かあったが、羽島市長間の法恩寺で
徳本名号を中心に左右に夫婦の法名を刻んだ墓石を発見した。現在の墓石は正面に名号を刻んだもの
が一般的であるが、このころから墓石に名号を刻むことが始まったのではなかろうか。

 これからも徳本名号碑などの調査を続けていきたいと思っている。
徳本上人が美濃教化に立ち寄った大垣市の大運寺。
日本一大きいと言われている徳本名号碑のある高山市の大雄寺。

徳本上人のもっとも有力な後継者であった徳住が開山した岡崎市の九品院。
徳本上人が中興し、上人の墓地がある東京・小石川の一行院などが今後、訪問したい寺院である。

また、岐阜県内に徳本名号碑が何基存在するか、徳本名号軸が何幅現存するのか、その分布は地域の
念仏信仰の厚さと広がりの証であり、興味深いことである。

最後に、貴重な資料を拝見させて下さいました関係寺院の方々と、既に徳本上人を調査研究し、いろいろ
ご指導下さった北方の浅野竹三郎さん、徳本名号碑の所在をご教示して下さった、岐阜市歴史博物館や
浄土宗寺院の皆様方に深く感謝を申し上げる。

    注
1 「徳本行者全集」全六巻、大正大学。戸松啓真、阿川文正、大谷旭雄、田中祥雄、後藤尚孝編、
山喜房出版、昭和五十~五十五年刊

2 徳本上人の出家は、二十六歳と遅く諸所に草庵を結び、木食草衣長髪で高声念仏、苦修練行
すること多年、僅かに阿弥陀経の句読しか習わず、宗義を学ばずして、おのずから念仏の教えの
要諦をえたと言う。
  文化十一年(一八一四)に浄土宗の大本山である増上寺典海の招きで江戸に進出し、小石川の一行院を再興した。

3 「日本石仏図典」図書刊行会出版

4 念仏講は念仏を行う信者のグループの会合で、毎月かわるがわる当番となり、その家に信者の人々が
集まって念仏を勤めた。
  後には、その講に属する者が毎月掛け金をして、講中の者が死亡した場合の弔慰金にしたり、会食の
費用などにあて、後に頼母子講の形に変った。

5 百万遍の始まりは、元弘元年(一三三一)に疫病が流行したとき、京都・知恩院八世の善阿上人が
百万遍念仏を唱えたことと言われている。
  浄土宗寺院で善男善女が一堂に会し、環坐して百八願またはその倍数の数珠を繰り、異口同音に
念仏を高唱し、追善供養を行うところがある。

6 岐阜新聞、平成十三年一月十九日付の記事

7 勝尾寺(大阪府箕面市勝尾寺)、高野山真言宗の西国二十三番札所で、勝ち運の寺として信仰されて
いる。境内の二階堂は鎌倉期に法然上人が四年間滞在され、念仏三昧に入られたところである。

8 「教区誌」浄土宗岐阜地区編 昭和五十五年刊行

9 加納藩士田辺政六親子三代の日誌「田辺氏見聞録」から
   八月廿一日徳本聖人岐阜誓願寺え御越由ニて、当町西方寺欣浄寺え御立寄、十念ヲ授被申候、
   誠ニ其聞誉日本ヲゆるがセられ候ヘハ、筆紙之及ぶ所ニあらず、正真生仏と取沙汰まちまち成り、
   六十有余ニ相見ゆる也

10 「鎌倉の仏教」貫達人・石井進編、有隣堂刊

11 「わが町の歴史・岐阜」高牧實著、文一総合出版

図版注

図版1 徳本名号碑
    立派な大字の名号で、念仏講の本尊となった。伊奈波・極楽寺蔵


図版2 岐阜・清泰寺 徳本名号碑
    左側面に天保五年十月の建立年と、当初念仏講中と刻む。


図版3 徳本上人座像
    京都・仏師西田少康作 御丈一尺八寸(54,5cm)


図版4 徳三大徳(天野利兵衛)座像
    作者不明 岐阜・清泰寺蔵


図版5 天野利兵衛の墓石
    右側面に徳本行者高弟、左側面に嘉永元季十月十九日の寂日、講花には開基と刻む。岐阜・清泰寺墓地。


図版6 美江寺・瑞光寺 徳本名号碑
    右裏に文政元年十月六日と寂日を刻む。


図版7 加納・西方寺 徳本名号碑
    裏面には名蓮社号誉上人祢阿弥陀佛徳本行者と、文政元年十月六日と寂日を刻む。


図版8 一枚起請文(木版刷り)
    八月廿二日誓願寺で一枚起請文の高徳を聞き拝受したものと思われる。北川家資料館蔵。


図版9 城田寺・善光教会(庵)無縫塔
    塔身に徳本名号があり、台座には当庵を中興した蓮徴尼の名がある。


図版10 長間・報恩寺 徳本名号墓石
    中心に徳本名号があり、左右に出家夫婦の法名を刻む。


(完)

徳積善太

 



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