坂の上の雲1(廣瀬中佐)_廣瀬氏の銅像
今月末に、「坂の上の雲」の公開セミナーが高山市民文化会館で開催されます。
丁度、1月の第4週にて、「広瀬武夫中佐」のことを話そうと思っていたら、タイムリーな
企画があることがわかりました。
みなさん既に御存じだと思いますが、高山の城山には「中佐平」という場所があります。
何もない、場所ですが、中橋から城山を見ると、いつも国旗が掲げられている場所です。
実は、地名の通りそこには、廣瀬中佐の胸像があります。
そこには、こんな看板があります。
「海軍中佐 広瀬武夫銅像
この銅像は明治三十八年中佐の同窓である高山の有志に
よって建立せられ、昭和十八年大東亜戦に胸像のみ応召
されたのである。惟うに中佐は、明治元年(1868)5月27日
大分県竹田町に生れる。
父が高山裁判所長として赴任したため明治十年高山煥章
学校(現在の東小学校)に学び明治十五年小学校を卒業、
海軍兵学校に入学、明治二十四年一月少尉に任官、明治
27,28年の日清戦争には軍艦扶桑の航海士として参加。
明治37年日露開戦で旅順港の閉鎖戦に三度の壮挙を決行。
同年3月26日壮烈な戦死をとげる部下、杉野兵曹長の姿を
求め「杉野はいずこ杉野...」と叫びつつ戦死した有様は
軍人の鑑として戦前の教科書に取上げられた。柔道は30歳
で四段。没後講道館より六段を贈られた。
人間として人を愛し、部下を慈しんだ心は平和な現在もっと
も大切なことであります。
胸像のなきままこれを放置するに忍びず、昭和42年特別寄進
者の御協賛により中佐の偉勲と徳風を景仰し、城山公園の
風致を整え、以って高山観光の一助として補修復元したもの
です。高山、大野海交会」
徳積善太