250525高山祭大国台について

rekisy

2013年05月25日 23:59

(平成25年5月25日放送分 第294回)みなさんこんにちは。飛騨の歴史再発見のコーナーです。
このコーナーは飛騨の生涯学習者第二号、わたくしながせきみあきがお届けしてまいります。

 先日、飛騨の漢学者として有名な「赤田臥牛」と言う人のお墓にお参りしてきました。
場所は、東山白山神社の参道を登りきる途中を右に入ってすぐのところに在ります。高山市教育委員会の
方で、史跡として登録されて居る場所ですので、看板などが有り、場所はすぐに分かりました。
ところが、行ってみると、もうここ数年、おそらく5年以上お参りされる方がなかったのでしょう。周囲は、
杉木立に囲まれていますので、お墓のところには杉の葉っぱが散らばっており、とても写真を撮れる
ような状態ではありませんでした。

「高山市の史跡なのに、こんな状態では、史跡として認定された方も泣かれるわな]と思って、ほうきを取りに
戻り、お墓を掃除してきました。
たまたま、その界隈に在る、「津野創州の墓」「森宗則の墓」も杉葉や雑木が生い茂り、すごい事になって
いましたが、今回の目的が「赤田臥牛の墓」の撮影でしたので、とりあえず、お墓掃除をさせていただき
ました。
このお墓は、結構大きなお墓で、畳にすると8畳分くらいある広い所でした。杉の葉や落ち葉を集めましたが、
袋を持っていっていなかったので、とりあえず近くの所に纏めておきました。おそらく、ビニールのゴミ袋に
4袋分くらいの杉葉がありました。

 墓掃除をしながら、思った事は、「文化財課の仕事かもしれませんが、市役所の皆さんは大変お忙しい
ので、こういった史跡を保存するグループなどを作って、年に一度か2度くらい墓掃除をするといいな。
そうでないと、こういった史跡が浮かばれないばかりか、お墓に入った人が気の毒だな」と言う事を思い
ました。もし、奇特な方がおられましたら、そういった事を行う事だけでも、故人をしのび、有名な方を
顕彰する顕彰活動になろうかと思います。そういった活動をしてはいかがかと思いました。

さて、本日の放送に入りましょう。
本日の放送は、第四週目ですので、匠の話題をお届けしたいと思います。
今日は先週予告を致しました通り、川原町の大国台についてお話をしたいと思います。

実は先日、この放送がご縁で、高山の上川原町の大国台組の方から、「うちの屋台について、長瀬さんの
話し方でわかりやすく、うちの組の人達に話してもらえないか」という依頼を受けました。1時間程でしたが、
屋台のお話のみならず、屋台を建造した人のお話し、そして、大国台組に伝わる屏風を書いた赤田誠軒
さんについてのお話しをしてまいりました。今日はその時のお話しをしたいと思います。

まず、大国台についてお話ししたいと思います。
大国台組と云うのは、高山市の中心部を流れる宮川の西側に有る街です。
ちょうど橋で言いますと、日枝神社の参道をおりたあたりから西に向けての道をまっすぐ行った所に、
和合橋と云う橋が有ります。その橋から、一本下の升形橋。その橋までの宮川の西側にある町内です。
ここが大国台組のエリアです。

この大国台は、かつて「松樹台」という名前で古文書に登場します。
この松樹という名称は、江戸時代に日枝神社の別当であった寺院=松樹院から採ったとされています。
屋台自体の創建はかなり古く、江戸時代の中期寛永時代に創建されたと云う伝承が屋台組に残っています。
そののち、大国神を上二之町にある鳳凰台組から譲り受けて、屋台の祭神としました。
現在もこの大国様は、屋台に乗っておられますが、近くで見ると大変大きなもので、身の丈が約120cm、
幅が90cm程も有る大きなものです。2つの米俵に乗っておられ、うつむき加減に下を向いて笑っておられる
人形です。かつてはこの人形にもカラクリが有ったと云われており、背中の所に紐を通す穴が残っている
そうです。その紐を引くと、口を開いて、舌を出すと云うカラクリが残っていますので、かつてはカラクリが
あったものと考えられています。

文化年間には、この屋台は大国という名前で曳かれていましたが、弘化4年(1847)の屋台改修の時に、
神岡の石田春皐という飛騨の匠が屋台を設計建造し、現在の屋台の原型が出来ました。
その時に、屋台の名称も「大国台」というふうに名前を変えたと云う事です。毎年、神籤を引いて屋台の
順番が決められますが、この大国台の順番が、真ん中より前だと米の値段が上がる。真ん中より後だと
米の値段が下がるなどと云われていました。昔の高山の人は、米相場の吉凶を占ったとされて居る屋台
なんですよ。
ちょっとここでブレイクしましょう。曲の方は青い三角定規「太陽がくれた季節」をお届けします。
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本日の放送は、高山祭りの屋台「大国台」についてお話ししております。

さて、この屋台は、他の屋台と少し変わった部分がいくつかあります。
まず、入口ですが、ほかの屋台が屋台の後部に屋台の入口が有るのに対して、この屋台は屋台の前部に
入口が有ります。私が調べた所では、入口が前に有る屋台は、山王祭ではこの大国台だけです。
秋祭りでは、下三之町の行神台、下一之町の金鳳台の2台。古川祭では、三之町の白虎台だけですから、
前から入る方式は大変珍しい方式だと言えます。

次に、この屋台は、他の屋台に比べて、屋台を曳く時の揺れが素晴らしいと云われています。
屋台の棟を最上段にして曳く時に、左右に揺れる揺れ幅が他の屋台に比べて大きい事が地元の屋台組の
自慢です。確かに、他の屋台より少しふれ幅が大きいように思いますが、この屋台の構造に「うぐいす張り」
の工法が用いられていると云われています。残念ながら専門家ではありませんので、お寺の床に施して、
上を人が歩くと「キュッ、キュッ」と鳴る「うぐいす張り」と屋台がどのような関係が有るのかわかりませんが、
いろんな本ですとか、地元の屋台の看板にはこの工法が使われて居ると云う風に記されています。

あと、この屋台は、春祭りの屋台のなかで、青龍台と共に「見送り幕」がありません。なぜ付けられて
居ないのかはわかりませんが、見送り幕がない屋台は、春祭りでは青龍台と子の大国台の2台ですが、
秋祭りには行神台・金鳳台・大八台・仙人台・鳩峰車・宝珠台・豊明台の7台が有りません。
これは、かつては有ったかもしれませんが、明治8年の高山大火など、下町の方は、再三にわたり火災が
起きたために、お金のかかる高価な見送り幕が作られなかったものと思われます。
ただし、逆に上二之町の五台山や、古川祭の屋台の様に見送り幕を2枚持っているところもありますから、
見送り幕で屋台の威厳を示す考えがこの屋台組になかったのかもしれません。

さて、この屋台を設計したのは、神岡の工匠、石田春皐と言う人です。

春皐は、神岡で代々大工を営む家に生れ、江戸時代の末期には、飛騨の匠の祖を祖先に持つと云う大工、
四代目水間相模守と共に、東本願寺の御影堂を建造した有名な大工として知られています。
屋台の看板には大門を建造したとなっていますが、私の調べた所では、御影堂ではないかと思われます。
現在、京都に行きますと、この御影堂が再建されていますので、先日お邪魔した時にもかつてこの御堂を
造立した大工さんの事が分からないかと思いましたが、記録がないのでわかりませんでした。

話を戻しますが、この石田春皐が残した有名な建造物は、神岡町吉田に在る常蓮寺の山門、上宝町本郷に
在る浄覺寺の鐘楼。そして、神岡町山田に在る大国寺の庫裡もこの人の作品であると云われています。
いずれもたいへん手の込んだとても緻密な構造の建造物で、ほかの建物とは少し異なる構造を持っています。

さて、この組には、毎年1月から2月にかけて、屋台組独自で行っているお祭が有ります。
「甲子祭」というのがそれです。今年、FBでこの組の方からそういう行事が有ることを教えて頂きましたので、
これは大変珍しいと取材をさせて頂きました。そのお祭は、屋台の大国様を上川原町の公民館にお連れし、
ステージの所に嫡坐していただいて、その前に霊爾とお供え物をして〔五穀豊穣〕を祈願すると云ったものです。
昔から日枝神社の宮司さんに着て頂いて、祝詞を上げてもらい、そのあと組の衆で直会をしてお神酒を
いただくと云ったものです。

調べてみますと、そもそも大国様をお祭するお祭の事を甲子祭と呼ぶようですが、この屋台組のお祭がいつ頃
から始まったものかは分かりませんでした。

また、この大国様をお祭した後に屏風が有るのですが、これは屋台当番飾りといって、祭の当日に当番飾りと
云う飾を行うところに毎年用意されているものです。銀の屏風で4双2幅のものです。
そこには、漢詩が書かれており、それを書いた人は江戸時代から3代に亘って活躍した飛騨の有名な漢学者
の一人、赤田誠軒の書に依るものでした。内容はかなり難しくて、現在解読を依頼中ですが、どうやら大国神
(オオクニヌシノミコト)と大国天という仏教の神様の事が記されているようです。

本日の冒頭にお話ししましたが、その赤田誠軒のお墓を確認しに行った時に、写真を撮影するために、墓掃除
をしてきたというわけです。

さて、本日も時間となりました。赤田臥牛と誠軒の事については、かなり調べておりますので、来週の放送で
お話ししたいと思います。どうぞお楽しみになさってください。
本日はこの曲でお別れです。石川ひとみ「まちぶせ」をお届けします。それではまた来週お会いしましょう。

徳積善太

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