江戸時代の飛騨の酒造業について5 寛政4年の小前帳

rekisy

2008年05月28日 21:00

寛政四年に、酒造をしていたメーカーの名前が列記されています。

これによると、酒造をしていた者による組合組織のようなものがあったのか、大きな酒造メーカーが
やっていけない小さな酒造メーカーに、酒を造って、樽を分配し、大量生産によって価格を下げた
形で、合理的にお酒を分配するシステムを造っています。

今も昔も、合理的な経営がされていたようですね。

その小前帳にある酒造メーカーの名前です。24軒が記されています。
元禄10年には89件(全飛騨)あったわけですが、大分減ってきたんでしょうね。

久保田屋弥十郎  大坂屋吉右衛門  赤田屋 新 助   赤田屋新右衛門 
千虎屋 甚 六   田中屋半右衛門  都竹屋市右衛門  中村屋 吉兵衛 
大森屋 重三郎   吉野屋 清三郎   奥田屋 小平次  佐藤屋 久兵衛 
水間屋彦右衛門  松木屋 傳兵衛   上木屋 甚四郎  加賀屋長右衛門 
土田屋小左衛門  宇野屋兵右衛門  福島屋清左衛門  長瀬屋 弥兵衛 
松本屋 茂 助   細江屋三右衛門  笠井屋 半 七   鍵 屋 與 作 
三福寺村 七蔵  同村 長右衛門  加賀屋久左衛門  谷 屋 市兵衛 
(造酒米貸借小前帳)

これが、現在では、高山に8軒、古川に2軒、神岡に1軒、萩原に1軒の12軒に
なってしまいました。


徳積善太

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