江戸時代の飛騨の酒造業について5 寛政4年の小前帳
寛政四年に、酒造をしていたメーカーの名前が列記されています。
これによると、酒造をしていた者による組合組織のようなものがあったのか、大きな酒造メーカーが
やっていけない小さな酒造メーカーに、酒を造って、樽を分配し、大量生産によって価格を下げた
形で、合理的にお酒を分配するシステムを造っています。
今も昔も、合理的な経営がされていたようですね。
その小前帳にある酒造メーカーの名前です。24軒が記されています。
元禄10年には89件(全飛騨)あったわけですが、大分減ってきたんでしょうね。
久保田屋弥十郎 大坂屋吉右衛門 赤田屋 新 助 赤田屋新右衛門
千虎屋 甚 六 田中屋半右衛門 都竹屋市右衛門 中村屋 吉兵衛
大森屋 重三郎 吉野屋 清三郎 奥田屋 小平次 佐藤屋 久兵衛
水間屋彦右衛門 松木屋 傳兵衛 上木屋 甚四郎 加賀屋長右衛門
土田屋小左衛門 宇野屋兵右衛門 福島屋清左衛門 長瀬屋 弥兵衛
松本屋 茂 助 細江屋三右衛門 笠井屋 半 七 鍵 屋 與 作
三福寺村 七蔵 同村 長右衛門 加賀屋久左衛門 谷 屋 市兵衛
(造酒米貸借小前帳)
これが、現在では、高山に8軒、古川に2軒、神岡に1軒、萩原に1軒の12軒に
なってしまいました。
徳積善太