「現在、高山市図書館の「煥章館」となっている建物は、平成16年4月23日 開館し、
名前は明治初期に同地にあった小学校「高山煥章小学校」にちなみフランス風建築様式の
往時の建物の姿を再現し煥章館と名づけた。現在蔵書15万冊、今後最大蔵書計画数23万
5千冊に向けて充実予定 午後9時半まで開館」(煥章館Hpより)
その煥章学校といわれている建物がこれです。
製作者は、高山の大工 瀧井与六(小説家 瀧井孝作の祖父)で、長野の大工さんたちと
一緒にこの西洋式建造物を建築したそうです。
ここの内部に展示されている鷹は、長らくこの煥章学校の正門にあったものですが、この
煥章館が建造されるに当たり、現在の図書館の内部に展示されています。
さて、今日、別件で煥章学校を創建した当時のお話を伺いに、元高山市教育長の森瀬先生を
尋ねました。そのときに、大変面白いお話を伺いました。
この煥章館を建造するときに、「当時の色が何色であったか。非常に問題になった」という
のです。確かに、斬新的な建物だったに違いありませんが、写真で見る限りでは、白黒のため
はっきりしません。
そこで、外観の色を何色にしようか悩んだことがあり、手すりが緑色だったという古文書があり、
苦労したそうです。生井修齋(一之町の医師で、煥章学校の教授)が、西へよく行っていたという
記録があったので参考にしたそうです。
その時、西にそのような似た建物がないか調べたところ、「奈良女子大学の建物」が非常によく
似ているので、これだということで、緑を基調にした色合いにしたとのこと。
当時、そのような色の建物を建造したとすれば、非常に斬新なことだったでしょう。
高山の建物は、柿渋色の建物が多く、「緑色の手すりだった」ということから、現在
の色調にほぼ間違いないのではとのことでしたが、其の色を決定するのに、非常に
苦労したというお話を伺えました。
緑色なら、絵の具の緑青を使ったものと思われます。当時、建設資金がそんなに
あまっている状況ではなかったと思われます(明治8年にも大火があり、建築
資金集めに非常に苦労した話が残っている)ので、比較的入手し易い絵の具に
しないと、なかなか難しかったでしょうねと言う話をしていました。
このお話はどこかで、ラジオでもお話したいと思います。
徳積善太
アンバランスのバランス。
グッドデザインだと思います。