2008年05月22日
江戸時代後期の雅楽の楽譜
本日、大変珍しいものを発見しました。
江戸時代後期に活躍した、旦那衆、桐山力所という人の、天保二年に授与された雅楽の譜面です。

桐山力所という人は、人物辞典によれば
「きりやま・りきしょ 文化7(1810)~安政5(1858)12.16
郷土史家。高山二之町生まれ。浄所の子。幼名は左六、後に新兵衛、新五郎、晩年は新五兵衛。
名は震。字は尉敦。通称を勘兵衛。家を倘徉園と号する。赤田章斎の門に入り詩文をよくする。
書・絵画・雅楽・茶道に通じ門人が多かった。晩年は家を中所に譲り、京都の小野宮増護大僧正
の門に入って、当時の町民としては最高の桐香院敦公法橋力所大居士の法号を受ける。
著書『飛騨遺乗合府』『飛騨群鑑』『飛州志拾遺』」
となっています。高山の豪商桐山家の1人として活躍した方で、雅楽をおそらく国学者 田中大秀に学び、
江戸時代後期に田中大秀の雅楽社中で演奏していた方です。
ところで、この雅楽の譜面は、笙の譜面で、平調(ひょうじょう)17曲、壱越調(いちこつちょう)13曲、
雙調(そうじょう)13曲、黄鐘調(おうしきちょう)9曲、盤渉調(ばんしきちょう)8曲、太食調(たいしきちょう)10曲
の合計70曲を納めた物です。
今まで、飛騨の江戸時代の雅楽は、写本をしなければいけないために、一般には、数曲しか伝授されて
いないものと考えておりましたが、これによると、田中大秀が、京都の近衛家より、殆んど全曲を伝授して
きたという証拠になります。
飛騨春秋用に書いていた原稿を書き直さなければいけない大発見でした。
徳積善太
江戸時代後期に活躍した、旦那衆、桐山力所という人の、天保二年に授与された雅楽の譜面です。
桐山力所という人は、人物辞典によれば
「きりやま・りきしょ 文化7(1810)~安政5(1858)12.16
郷土史家。高山二之町生まれ。浄所の子。幼名は左六、後に新兵衛、新五郎、晩年は新五兵衛。
名は震。字は尉敦。通称を勘兵衛。家を倘徉園と号する。赤田章斎の門に入り詩文をよくする。
書・絵画・雅楽・茶道に通じ門人が多かった。晩年は家を中所に譲り、京都の小野宮増護大僧正
の門に入って、当時の町民としては最高の桐香院敦公法橋力所大居士の法号を受ける。
著書『飛騨遺乗合府』『飛騨群鑑』『飛州志拾遺』」
となっています。高山の豪商桐山家の1人として活躍した方で、雅楽をおそらく国学者 田中大秀に学び、
江戸時代後期に田中大秀の雅楽社中で演奏していた方です。
ところで、この雅楽の譜面は、笙の譜面で、平調(ひょうじょう)17曲、壱越調(いちこつちょう)13曲、
雙調(そうじょう)13曲、黄鐘調(おうしきちょう)9曲、盤渉調(ばんしきちょう)8曲、太食調(たいしきちょう)10曲
の合計70曲を納めた物です。
今まで、飛騨の江戸時代の雅楽は、写本をしなければいけないために、一般には、数曲しか伝授されて
いないものと考えておりましたが、これによると、田中大秀が、京都の近衛家より、殆んど全曲を伝授して
きたという証拠になります。
飛騨春秋用に書いていた原稿を書き直さなければいけない大発見でした。
徳積善太
2008年04月25日
「いれもの展」開催中
現在、ひだセンターの岐阜県ミュージアムひだで、「いれもの展」を開催中。
飛騨に伝わる入れ物のほかに、ミュージアムで保管されている、インドなどの着物の
保管する棺なども展示中。
ちょっとマニアックな展示ですが、一度ご覧ください。
徳積善太
2008年03月07日
歴史民俗学会の総会がありました
3月3日、高山市民文化会館 講堂にて、飛騨歴史民俗学会の総会がありました。

100人近い会員の皆さんが集られて、総会が行われ、総会の後、勉強会と記念講演会が
行われました。
当日の、講演内容は次のとおり。
<研究発表>
1)湯ケ峰火山の恵み 下呂市 小池秀雄先生

→下呂石と小川石が湯ケ峰火山(死火山)から排出し、それが縄文時代以前より
全国に広まりました。その形成過程と下呂附近で使用されている小川石について
スライドでご説明されました。
2)「斐太後風土記の成立事情」 高山市 北野興策先生

→斐太後風土記が富田禮彦氏によって書かれたが、かれのデータは嘉永六年の
地元から出されたデータに基づいている。それが明治期に至るまで同じデータが
使用されていた。それを実証された。
3)飛騨学の系譜 『飛州志』から飛騨春秋 そして市町村史 高山市 桐谷忠夫先生
→江戸時代に書かれた飛州志も書き間違いや写し間違いなどがある。飛騨春秋なども
そういった古書を引用される場合が多いが、必ず原本で確認してほしい。
孫引き、ひ孫引きといった文書引用は、間違いを招きやすい。
<記念講演>
「飛騨人のルーツは琉球系縄文人 DNA解析による中間結果」
筑波大学名誉教授 住 斉 先生
飛騨人のルーツを探る。DNAは、独特のものがあり、調べてみると琉球系の人と
つながる部分があることの中間報告。
閉会 16時
100人近い会員の皆さんが集られて、総会が行われ、総会の後、勉強会と記念講演会が
行われました。
当日の、講演内容は次のとおり。
<研究発表>
1)湯ケ峰火山の恵み 下呂市 小池秀雄先生
→下呂石と小川石が湯ケ峰火山(死火山)から排出し、それが縄文時代以前より
全国に広まりました。その形成過程と下呂附近で使用されている小川石について
スライドでご説明されました。
2)「斐太後風土記の成立事情」 高山市 北野興策先生
→斐太後風土記が富田禮彦氏によって書かれたが、かれのデータは嘉永六年の
地元から出されたデータに基づいている。それが明治期に至るまで同じデータが
使用されていた。それを実証された。
3)飛騨学の系譜 『飛州志』から飛騨春秋 そして市町村史 高山市 桐谷忠夫先生
→江戸時代に書かれた飛州志も書き間違いや写し間違いなどがある。飛騨春秋なども
そういった古書を引用される場合が多いが、必ず原本で確認してほしい。
孫引き、ひ孫引きといった文書引用は、間違いを招きやすい。
<記念講演>
「飛騨人のルーツは琉球系縄文人 DNA解析による中間結果」
筑波大学名誉教授 住 斉 先生
飛騨人のルーツを探る。DNAは、独特のものがあり、調べてみると琉球系の人と
つながる部分があることの中間報告。
閉会 16時








