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テンボナシをいただきました

古川の郷土史民俗研究家の竹原先生からテンボナシをいただきました。

文献などでは良く出てきますが、見るのも食するのも初めてでした。



これがテンボナシ(乾燥)です。よく、囲炉裏などにありますよね。



昔、木こりの人たちが、冬に甘いものを食するのに食べたそうです。


これの、種は食べれません。(かたくて少し渋いです)種を取ります



種を取った軸の部分を食べます。


何となく、干しブドウに近いような甘みがあり、大変おいしいです。



先生のお話では、縄文時代から飛騨で食べられていたとのこと。
2月位が一番甘くて、おいしいそうです。

こんな食べ物があったとは知りませんでした。



徳積善太

  

日曜日に安国寺の法会がありました

平成21年2月15日、午前11時より安国寺の法会がありました。

一度、どのようなものか見てみたくて、お邪魔しました。


この法要は、導師が説草を唱える合間に、大般若経600巻?を
複数の僧侶で転読(てんどく)し、家内安全を祈願するものです。
先日、ドラムおやじさんのブログにも大隆寺の記事がありましたね。

(画像提供 ドラムおやじさん)

1)初 「大般若波羅蜜多経巻第○○大唐三蔵法師玄奘奉詔訳」
(だいはんにゃはらみたきょうかんだい○○だいとうさんぞうほうしげんじょうぶじょうやく)

教本を両手で戴き、頭の上前方ささげる様にして上文を腹から唱える

2)中「羯諦羯諦波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経」
(ぎゃていぎゃてはらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼだいそわか はんにゃしんぎょう)

右に二回 左に二回 前方手前に一回
尚、手前にする時は自分のねがいを唱える

3)終  降伏一切大魔最勝成就
(ごうぶくいっさいだいまさいしょうじょうじゅ)

経本を上方にささげながら、上文を災難を払う様、腹からの声で唱える
了ったら裏向きのまま机の上に重ね十巻済んだ所で表向きにかえす

とても神聖な雰囲気の中で、皆さんが真剣に読経をされていました。

徳積善太

  

昨晩は、三寺参りでした。

昨晩は、三寺参りがありました。

それにしても、ほとんどの古川の方がきておられるのではないかと思うくらい、
にぎわいました。ただし、例年ほど、観光客がおられず、ほとんど地元の方でした。

私は、昨年に引き続き、ふれあいコンサート(瀬音会)の音響のお手伝いをさせていただきました。


徳積善太
  

飛騨の街道と文化展

現在、高山市郷土館で、「飛騨の街道と文化展」が開催中です。

期間:10月15日~12月23日  休館日:毎週月曜日
開館時間:午前8時30分から午後5時(11月30日まで)
      午前9時から午後4時30分(12月23日まで)


今回の展示会は東海北陸道全通を記念して、飛騨の街道とその文化をたどるという展示会です。
最近までに、寄贈された富田家の資料や、土田雪鴻、田中半十郎の資料を展示しています。

中には、最近高山市の文化財に指定された「斐太後風土記」などの資料もあります。



私が今回注目したのは、田中半十郎の資料です。
今まで、白川郷で焔硝を作っていたということがささやかれていましたが、その証拠となる資料は発見
されませんでした。数年前に、白川郷の和田家から、その証拠となる資料が発見され、話題となりました
が、今回の田中半十郎の資料の中に、大坂から依頼された焔硝を白川郷から運んだという文書があり、
第2の発見となる資料であるだけに、大変面白いと思いました。

また、屋台では、富田家に伝わっている屋台模型や、今回特別に借用された「応龍台」の屋台絵図
(明治年間の製作)があり、失われた屋台の絵図の展示だけに、非常に面白い展示だと思いました。

管材図会、運材図会、斐太後風土記については、表紙しか見ることができませんので、ぜひ中身を
手にとってみてみたいと思いました。

ぜひ、皆さんも一度ご覧いただければと思います。

徳積善太  

江戸時代後期の雅楽の楽譜

本日、大変珍しいものを発見しました。
江戸時代後期に活躍した、旦那衆、桐山力所という人の、天保二年に授与された雅楽の譜面です。


桐山力所という人は、人物辞典によれば
「きりやま・りきしょ 文化7(1810)~安政5(1858)12.16
郷土史家。高山二之町生まれ。浄所の子。幼名は左六、後に新兵衛、新五郎、晩年は新五兵衛。
名は震。字は尉敦。通称を勘兵衛。家を倘徉園と号する。赤田章斎の門に入り詩文をよくする。
書・絵画・雅楽・茶道に通じ門人が多かった。晩年は家を中所に譲り、京都の小野宮増護大僧正
の門に入って、当時の町民としては最高の桐香院敦公法橋力所大居士の法号を受ける。
著書『飛騨遺乗合府』『飛騨群鑑』『飛州志拾遺』」

となっています。高山の豪商桐山家の1人として活躍した方で、雅楽をおそらく国学者 田中大秀に学び、
江戸時代後期に田中大秀の雅楽社中で演奏していた方です。

ところで、この雅楽の譜面は、笙の譜面で、平調(ひょうじょう)17曲、壱越調(いちこつちょう)13曲、
雙調(そうじょう)13曲、黄鐘調(おうしきちょう)9曲、盤渉調(ばんしきちょう)8曲、太食調(たいしきちょう)10曲
の合計70曲を納めた物です。

今まで、飛騨の江戸時代の雅楽は、写本をしなければいけないために、一般には、数曲しか伝授されて
いないものと考えておりましたが、これによると、田中大秀が、京都の近衛家より、殆んど全曲を伝授して
きたという証拠になります。

飛騨春秋用に書いていた原稿を書き直さなければいけない大発見でした。

徳積善太  

「いれもの展」開催中


現在、ひだセンターの岐阜県ミュージアムひだで、「いれもの展」を開催中。

飛騨に伝わる入れ物のほかに、ミュージアムで保管されている、インドなどの着物の
保管する棺なども展示中。


ちょっとマニアックな展示ですが、一度ご覧ください。

徳積善太  

歴史民俗学会の総会がありました

3月3日、高山市民文化会館 講堂にて、飛騨歴史民俗学会の総会がありました。

100人近い会員の皆さんが集られて、総会が行われ、総会の後、勉強会と記念講演会が
行われました。

当日の、講演内容は次のとおり。

<研究発表>
1)湯ケ峰火山の恵み   下呂市 小池秀雄先生


→下呂石と小川石が湯ケ峰火山(死火山)から排出し、それが縄文時代以前より
全国に広まりました。その形成過程と下呂附近で使用されている小川石について
スライドでご説明されました。

2)「斐太後風土記の成立事情」  高山市 北野興策先生


→斐太後風土記が富田禮彦氏によって書かれたが、かれのデータは嘉永六年の
地元から出されたデータに基づいている。それが明治期に至るまで同じデータが
使用されていた。それを実証された。

3)飛騨学の系譜 『飛州志』から飛騨春秋 そして市町村史 高山市 桐谷忠夫先生

→江戸時代に書かれた飛州志も書き間違いや写し間違いなどがある。飛騨春秋なども
そういった古書を引用される場合が多いが、必ず原本で確認してほしい。
孫引き、ひ孫引きといった文書引用は、間違いを招きやすい。

<記念講演>
「飛騨人のルーツは琉球系縄文人  DNA解析による中間結果」
           筑波大学名誉教授  住 斉 先生

飛騨人のルーツを探る。DNAは、独特のものがあり、調べてみると琉球系の人と
つながる部分があることの中間報告。

閉会 16時

  

第15回 飛騨史学研究大会

今日、一之宮町の「位山文化交流館」にて 第15回 飛騨史学研究大会が
飛騨史学連絡協議会の主催で開催されました。

午前中

1)飛騨の林政について 鈴木治幸氏 の研究発表


2)飛騨の古墳編年と歴史的背景について 松本優氏(故人)の研究発表 代理 小島氏


の研究発表がありました。

午後からは

3)飛騨学の発信を担って 桐谷忠夫氏


4)特別講演 飛騨と円空 講師 池田勇次先生


のお話がありました。とても勉強になりました。
内容については、記録していますが、著作権があるので省略します。
お知りになりたい方は、メールください。

徳積善太